【アウディ 100】いろんな意味で、満点をあげたい高級セダン…でした。中古車情報も!

フォルクスワーゲンが、ドイツのアウトウニオンを傘下においたことで、一度は途絶えていたアウディの自動車生産が復活したのが、1965年の事らしいです。そして1968年に発表されたアウディ 100は、高級自動車の需要をねらった製品んであり、まさにアウディ復興ののろしだったのかもしれません。その後26年間に亘り存続したこのモデルには、まさにアウディらしさが表れたいくつものアイテムが投入されました。

長い歴史の中、多様に分岐した車だったアウディ 100

アウディブランド復活後のフラッグシップだったであろう、アウディ 100。この企業が復興して行く過程に伴う形で、ハイパフォーマンスバージョンの200や、北米向けの5000という派生モデル他も生み出しました。1994年に名称が『A6』へ切り替わるまで、同社にとって上位車種の座を守り続けたモデルです。

フラッグシップを目指して登場の初代

初登場した頃の、アウディ 100のキャラクターというのは、4ドアと2ドアのセダンに加えて2ドアクーペも揃えるというものでした。2ドアの2車種は、リアのトランクがはっきり分かれているノッチバックか、流れるような傾斜で処理したファストバックかの差です。

デザインのイメージは、時代なりのクラシカルなものです。ともすれば、アウディが今のように先進技術をウリにする企業として羽ばたく、その前のステップを表しているのかもしれません。

フォルクスワーゲンで開発された『C1 プラットフォーム』を利用した車体は、2016年型のトヨタ アリオンより全長で166mm、ホイールベースでは25mm短いという体格に仕上がっていました。ただ全幅で比較してしまうと、「5ナンバー枠」なんてものが無縁なアウディは、1700mmを超える自由なデザインとなっています。

という訳で、今の比較基準で言うと「とりわけ大きくもないけど、とりわけ小さくもない」というクルマが、初代アウディ 100だったと認識してよいでしょう。当然、この辺りの事情はその時代なりの事情が反映されています。車体重量は、クーペの場合だと1,089kg程度だったらしいので、クルマに無駄な贅肉が付き始める前の時代の一台とも言えるでしょう。

元来、「100」という数字は「100ps」を示唆するものだったそう。その車格を最も言い表すだろうエンジンの排気量は、主として1.8Lが使われ、チューニングを変更することでグレードを分けていました。それらは、最もジェントルな80psから、90psそして100psと3タイプです。

組み合わされた変速機は、4速のマニュアルか3速オートマチックトランスミッションが選択できたと言うこと。サスペンションは、ダブルウィッシュボーン式を前輪に、トレーリングアーム・トーションバースプリング式を後輪に採用していました。

革新を求め歩み始めた2代目

今では、アウディの強烈なアイデンティティの1つとなっている、「直列5気筒エンジン」。その方式がガソリン車として初めて採用されたのが、この2代目アウディ 100だったそうです。登場したのは1976年で、プラットフォームをVW設計の『C2』に切り替えてのフルモデルチェンジでした。

パワーと経済性の両立を目指した、その5気筒エンジン。排気量としては1.9L(100ps)と2.1L(115ps)が用意されています。同時に1.6Lと2.0Lの4気筒エンジンもラインアップ、パワーはそれぞれ、80psと115psでした。また、2.1Lエンジンは、燃料噴射およびターボ過給によりチューンアップされ、スポーティな上位車種(同じ車台の車)アウディ 200として登場してもいます。このインジェクション仕様のパワーは136ps、過給付きでは170psまで強化されました。

ボディタイプには、5ドアの『アバント』が新しく登場した代わりに、大柄な車では需要が少なかった2ドアシリーズは廃止になりました。また、この世代のモデルは『アウディ 5000』として北米に輸出されましたが、折しも巻き起こっていた排気ガス規制の嵐にもまれ、販売は「若干以上」に苦労したようです。

アウディと言えば「あの機構」、を搭載の3代目

1982年になると、アウディ 100シリーズに再びフルモデルチェンジの時期が訪れます。そして、色々な意味で現代のアウディ像が固定したのも、この時代だったかもしれません。

まずアウディは、自動車の空気に対する抵抗に着目、走行中に受ける風の抵抗を出来るだけ削減するようにしました。その結果、この代のアウディ 100では、いわゆるCd値が0.3という性能を達成。このために考案したデザイン手法は、その後世界中で作られる全てのクルマに影響を与えました。日本より高速で走る事が想定されるドイツでは、とりわけ有益な性能となったことでしょう。

さらに大きな進展としては、アウディにとって伝家の宝刀とも言える『クアトロ』の投入です。2輪駆動から4輪駆動への切り替えを持つ古典的な方式を、ディファレンシャルギアにより前後へ駆動を配分するという発想で作りかえた、歴史にのこる発明がこれでしょう。北米においては、この代のアウディ 200を『トランザム・シリーズ』というレース向けに改造、8勝を挙げると言う実績を残しました。

さて、アウディ 100、そのエンジンラインアップを見てみます。するとこれが、実に多様な取りそろえになっていたのが分かります。最もベーシックな1.8L直4エンジンから、排気量を0.1L刻みにして、ガソリン仕様では9種類が用意。さらにディーゼルもあって、排気量は2.0Lに2.4L、そしてTDIの名称が与えられた2.5L直列5気筒エンジンまで揃っていました。

2ドアモデルが完全に消えて、アバントはハッチバックからステーションワゴンへと変身したのも、この代のアウディ 100シリーズです。

集大成、そして次世代へ繋ぐ4代目

1990年に訪れたモデルチェンジでは、いわゆるアウディ像のような印象が、アウディ 100シリーズにも確立したと言えるでしょう。同時に、これがアウディ 100の最後の世代となります。この代には『S4』というスポーツグレードも作られていました。

ここで使われた『C4』プラットフォームでは、、排気量2.8Lのバンク角90度V型6気筒SOHCが、新たに搭載可能となりました。その出力は174psを発揮。後に、このエンジンを排気量ダウンして2.6LとしたV6タイプも用意されることとなります。他のエンジンとしては、100psと116psの直列4気筒2.0Lエンジン2機種や、同じサイズで16バルブ化したもの(142ps)も用意。加えて、2.3Lで5気筒の自然吸気タイプや、2.2LでDOHC16バルブ&ターボ過給という『S4』むけのスパルタンなものも作られています。

フルタイム4WDの『クアトロ』は、全グレードにオプション設定され、5ドアのアバントはワゴンとして存続。『S4』でもワゴンがチョイスできる設定になっていました。

アウディによる、1995年のラインアップ再編成で、このアウディ 100という名称は消滅します。ただ、実質のモデルは同じで、『C4』プラットフォームを使ったクルマは1997年まで継続生産されたということです。

アウディ 100、生き残りは居るか?

これもなにぶん古い車ですので、今の日本で乗り回そうということ自体、あまり現実的とも言えなさそうです。とは言え、古いからこそ興味がある、という向きもいらっしゃるはずです。

ちょっと遊び心で、アウディ 100の中古を検索すると、1975年型のGLグレードが走行距離不明で1,480,000円という車体が出てきました。すでに、ヴィンテージカーの殿堂入りということなのか、意外と付加価値があるようですね。

安い方ですと、1994年型の2.8Eグレードが、328,000円というのもあります。この価格差が出るのは、中古車なりの色々な事情があるということなのでしょうか…。

ご参考にしてください。

まとめ

今のアウディ A6が、だいたい630万円位からの価格です。インフレ率などがあるので数字だけでは比較できませんが、そのルーツであるアウディ 100は、その辺りの類型に属するクルマと思ってよさそうです。

そう考えると、同社のラインアップ内でも真ん中辺りの系譜に属するのが、このアウディ 100のシリーズだったと言えそうです。