【ランボルギーニ ウラッコ】猛牛のライバルは2頭の跳ね馬!?

フェラーリに追いつけ追い越せだったランボルギーニが、“打倒ポルシェ911”をかかげて開発したのがランボルギーニ・ウラッコです。得意のミドシップレイアウトを武器にライバル同様の2+2シーターを実現し、年間生産2,000台を目標に突き進んだプロジェクトの結末やいかに!?

ランボルギーニウラッコとは?

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%B3

かのフェラーリを好敵手と位置づけスーパーカーの開発を続けていたランボルギーニが、ポルシェ911の対抗馬として開発したのがランボルギーニ・ウラッコです。1970年のトリノショーで発表されましたが、実際の市場投入は1973年のことでした。ポルシェ911に対抗するために開発されたウラッコに求められた基本コンセプトは、
●2+2のミドシップであること
●価格を911と同程度に抑えること
●年間2000台の生産を行うこと
の3点だったと言われています。
すでにランボルギーニミウラでミドシップレイアウトは成功していたものの、2+2はイスレロやハラマと言ったフロントエンジンのFRしか実績が無く、試行錯誤を繰り返したのでしょう。かくしてウラッコの車輌構成は、当時としてはとても斬新なアイデアで成り立っていたのです。

後の標準となる斬新なアイデア

すでにミウラでミドシップレイアウトを経験していたランボルギーニですが、ミウラは2シーターの贅沢なスーパーカーでした。小柄なボディに2+2の室内を成立させるために考え出したレイアウトは、エンジンとギアボックスを一列に横置き搭載するジアコーサ式をベースに、その真後ろにファイナルギアを配置するという、当時としては極めて斬新なものでした。このレイアウトを実現するために選ばれたのは90°V型8気筒エンジンです。ミウラにはV型12気筒エンジンが搭載されていましたが、12気筒エンジンを横置きするとギアボックスの行き場が無くなってしまいます。ミウラではエンジンの下にギアボックスを配置する2階建て構造のイシゴニス式が採用されていましたが、生産性やメンテナンス性で劣るために量産目的だったウラッコではエンジンを短くできるV型8気筒とし、ジアコーサ式レイアウトを採用したのでしょう。
当時としては斬新なアイデアだったと書きましたが、その後のミドシップやFFではこのレイアウトが一般化しています。現代のFF車もほとんどがこのレイアウトを採用していることを考えると、時のチーフエンジニア、パオロ・スタンツァーニのアイデアがいかに素晴らしかったかがわかります。

スタイリングデザイン

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%82%A6%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%83%E3%82%AF

ランボルギーニ・カウンタック

ランボルギーニ・ウラッコのスタイリングデザインを担当したのは、ミウラ同様ベルトーネに在籍していたマルチェロ・ガンディーニです。後のランボルギーニ・カウンタックやランチア・ストラトスもガンディーニの作品です。ミドシップレイアウトのエンジンにフレッシュエアを導入するためのエアインテークをBピラー(2+2の場合はCピラー)にスリット状に設けるのが特徴になっています。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%81%E3%82%A2%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%A9%E3%83%88%E3%82%B9

ランチア・ストラトス

奇抜なデザインのインストゥルメント

出典:http://www.carpicker.net/cars/lamborghini/Urraco/interior

インテリアでは、室内幅のほぼ1/2に及ぶ横長のメーターパネルが特徴的です。中央にウォーニングランプ群とそれを挟んで各種補機メータを左右それぞれ3個、さらに最両端にタコメータ(左端)とスピードメータ(右端)を一列に配置するという前衛さです。

ポルシェ911、フェラーリディノ246GTを上回るスペック

ウラッコに搭載されたV型8気筒エンジンは、ボアφ86.0mm×ストローク53.0mmという超オーバースクエアな設定から、2,462ccの排気量と10.5:1の圧縮比に4基のウェーバー・キャブレターとの組み合わせによって220ps/7,500rpm・23.0kgm/5,750rpmという高出力を発揮しました。これは当時のポルシェ911S(2.2L)に比べて40ps、ディノ246GTと比較しても25psのアドバンテージを持っていたのです。

●ランボルギーニウラッコP250
全長:4,249mm
全幅:1,760mm
全高:1,115mm
ホイールベース:2,450mm
トレッド(F/R):1,460mm 1,460mm
車輌重量:1,150kg
エンジン形式:水冷90度V型8気筒SOHC16バルブ
ボア×ストローク:86.0×53.0mm
総排気量:2,462cc
燃料供給:ウエーバー40IDF1×4
最高出力:220ps/7,500rpm
最大トルク:23.0kgm/5,750rpm
トランスミッション:5速M/T
サスペンション(F/R):マクファーソン・ストラット
ブレーキ(F/R):ディスク
タイヤ(F/R):205-14 205-14
ホイール(F/R):7.0×14 7.0×14

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%A9%E3%83%BC%E3%83%AA

フェラーリディノ246GT

3年も遅れたデリバリー

ランボルギーニは最新のコンピュータテクノロジーを導入して生産をオートメーション化し、ウラッコを年間2,000台製造する計画でした。ところが1971年8月にボリビアで起こったクーデターにより、ランボルギーニ・トラットリーチ SpAと前政府との間に結ばれていた5,000台のトラクター購入に関する契約を破棄されてしまいました。その結果資金難に陥ったランボルギーニは、ウラッコの生産のために設備投資どころかランボルギーニ・トラットリーチ SpAの全株をフィアットに移譲し、自動車部門の株式51%をスイス人投資家のジョルジュ=アンリ・ロゼッティ(Georges-Henri Rossetti)に売却することになってしまったのです。オートメーション化をあきらめ手作業によって生産することになりましたが、生産効率はあがらず莫大なコストが掛かることになり、販売価格も引き上げなければならなくなりました。

販売不振

1972年秋に生産を開始して1973年にはようやく発売にこぎつけることができましたが、販売成績は思わしくありませんでした。超がつくオーバースクエア設定の新型V8エンジンは信頼性に乏しく、中でも深刻だったのはクランクシャフトとドライブベルトの破損でした。どちらかが壊れると最低でもシリンダーヘッドにダメージがあり、最悪のケースはエンジン自体が使い物にならなくなりました。1974年には年間500台を生産できるまでになったことからアメリカでの販売も開始しましたが、北米からの注文はごくわずかでした。
結局、総計791台を生産したところで1979年に製造中止しました。ですがこのウラッコの車体と3.5リッターV8エンジンは、後の2シーターオープンカー(タルガトップ)のシルエット、ジャルパに受け継がれることになりました。

ウラッコのバリエーション

ウラッコP250

デビュー当初のウラッコです。エンジンはV型8気筒SOHCでボアφ86.0mm×ストローク53mm・2,463ccのティーポL240型。圧縮比10.5で220PS/7,500rpm、23kgm/5,750rpmを発揮します。最高時速220km/h、0-100km/hは6.2秒と発表されていますが、実際のエンジン出力は180PSほどしかなかったとも言われています。

ウラッコP250S

装備関係に違いがあるとのことですが、詳細は不明です。エンジンやサスペンションなどの主要部分はP250と同一とのことです。画像を見比べる限り、フロントフォグランプくらいでしょうか。

ウラッコP200

2,000cc以上の車両に厳しい付加価値税が課せられるイタリア国内向けに用意された小排気量モデルです。ストロークはそのままにボアを77.4mmに下げて排気量を1,995ccにしています。182PS/7,500rpm、18kgm/3,800rpm。0-100km/hは7.2秒。というスペックでしたが、66台しか売れなかったそうです。

ウラッコP111

出典:https://en.wikipedia.org/wiki/Lamborghini_Urraco

1974年8月に登場したP111は、巨大市場であるアメリカの規制に合わせた北米市場向けモデルです。P250のエンジンにサーマルリアクター、エアポンプ、ステンレス製排気マニフォールドを備えて、当時の連邦排ガス規制に対応しました。出力は若干低下し、180PS、20kgmになっています。また大きな5マイルバンパーと、前後にサイドマーカーをつけています。北米での成績はまったく振るわず、販売されたのは21台のみとのことです。

ウラッコP300

1975年4月にデビューしたP300は、P250のエンジンボアをそのままにストロークを64.5mmまで延長して排気量を2,997ccにし、DOHC化しています。圧縮比9.2で250PS/7,500rpm。最高時速265km/hと発表されています。カムドライブをチェーン化し、トランスミッションも強化されていました。
P250との外観上の違いは、ボンネットフードに設けられたラジエター排熱のためのスリットが5本に増えていること、フロントグリルが拡大されて編み目からスリットに変更されています。

ウラッコラリー

1973年に試作されたラリーです。ラリー選手権グループ5の規定に従って、ボブ・ウォレスが1973年秋から暮れにかけて1台だけ試作したレーシングカーです。エンジンはP300に採用された2,997ccのDOHCエンジンの試作品が積まれていました。

ボブ・ウォレスとは?

出典:http://www.sun-a.com/magazine/detail.php?pid=6954

ボブ・ウォレスは、ランボルギーニが自動車製造を始めた直後に加入したテストドライバーです。ニュージーランド出身の彼がどのようないきさつでランボルギーニと出会ったのかは定かではありませんが、その開発能力は高く評価されています。ランボルギーニミウラの改良を兼ねた試作車“イオタ”の開発で有名です。ただ、イオタに限らず60年代~70年代のランボルギーニ車が高性能を誇ったのは、ジャンパオロ・ダラーラ、パオロ・スタンツァーニ、ボブ・ウォレスが揃ってのことだと思います。

派生モデルたち

ウラッコの後を受け持つことになったのはランボルギーニシルエットでした。とは言っても、シルエットはウラッコのボディとエンジンを流用しています。後継車というよりは派生モデルといったほうが適切な気がします。

ランボルギーニ史上一番売れなかったクルマ“シルエット”

2+2のウラッコの販売が開始された1973年ごろ、ウラッコをベースにした2座席スポーツカーの企画が立ち上がりました。このプロジェクトで生まれたのが、1976年のジュネーブモーターショーで初披露されたシルエットです。デザインは財政的な理由からオリジナルのボディを開発せず、ウラッコのボディを流用しました。ベルトーネによって手が加えられ、オリジナルのスポイラーとカウンタックに近い形状のオーバーフェンダーを追加して、ウラッコとは違うイメージにまとめられています。またウラッコのアバンギャルドともいえるメータ配置は常識的なものに改められています。ウラッコの+2座席は取り外されて2シーター化し、ルーフは脱着式のタルガトップが採用されました。エンジンはウラッコと共用の3.0L水冷V8DOHCエンジンをMRレイアウトで搭載しています。出力が向上していて、260ps/7,800rpm・最高時速は260km/h・0-100km/h加速は6.5秒となっています。1979年まで生産が続けられ、1981年のジュネーブモーターショーでデビューしたジャルパにバトンタッチしました。フェラーリ308やポルシェ911の対抗馬として大量に販売するつもりでしたが、ランボルギーニの公式サイトによれば総生産台数は54台で現存している台数は31台とのことです。

さらに改良されたジャルパ

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%9C%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%83%BC%E3%83%8B%E3%83%BB%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%AB%E3%83%91

1981年ジュネーブショーで発表されたジャルパです。シルエットをベースにベルトーネが手を加えていますが、オーバーフェンダーが大きくなったエボリューションモデルのようです。搭載されたエンジンは、ウラッコから続くV型8気筒DOHCで、ボアφ86mmをそのままにストロークを75mmまで伸長することで、排気量3,485cc・255ps/7,000rpm・32kgm/3,500rpmを発生します。排気量の拡大とともにリア荷重が増大し、極太のリアタイヤをもってしてもコントローラブルとは言い難いハンドリングだったようです。総生産台数は179台とのことです。

最後にまとめ

ランボルギーニウラッコ、いかがでしたか。いまとなっては良い思い出ですが、スーパーカーブームの真っ只中には、ランボルギーニと名がつくだけでおおはしゃぎしていました。V8エンジンを搭載したフェラーリをスモールフェラーリと呼ぶように、スモールランボルギーニとも言うべきウラッコも、子供の目には最高にカッコよく写ったのでした。