【車の歴史】あなたは知ってる?自動車の起源〜現在まで

自動車っていつからあるの? 今では当たり前になった、自動車のある生活。一体いつから走っているのでしょうか。今回は、そんな自動車の起源から日本でのモータリゼーション、最新の自動車までの歴史を振り返ります。

自動車の誕生。新たな時代が始まった。

最初は蒸気自動車だった

自動車の誕生は1769年と言われています。フランス軍の将校であった、ニコラ・ジョセフ・キュニョーが、蒸気の力で動く三輪自動車を完成させました。これは馬なしで動く輸送機関としては初めてのものでした。しかし、その車体は非常に重くて大きいもので、時速5キロ以下というものでした。また、前輪に付いた重いボイラーのせいで操縦性が悪く、キュニョーはパリ市内で走行実験中に壁に衝突する事故を起こしてしまいました。これが世界初の自動車事故と言われています。その後、キュニョーは自動車の実験をあきらめてしまいますが、彼の残した業績はその後の自動車開発の大きな一歩となりました。
その後、イギリスで乗合自動車として実用化され、様々なメーカーが生産するに至りました。そんな蒸気自動車ですが、ガソリンエンジンの急速な発達によって、表舞台から姿を消すことになります。

ガソリン自動車の誕生

現在、最もスタンダードな存在であるガソリン自動車。「オットーサイクル」と言われるガソリンエンジンを作ったのがドイツの発明家、ニコラウス・オットーでした。彼は現在のガソリンエンジンの基礎となるそのエンジンを、1876年に発明しました。
そしてその後の1885〜86年頃に、オットーのエンジンを改良したゴットリープ・ダイムラーとカール・ベンツが、それぞれガソリンエンジンを積んだ自動車を開発します。やがて二人が作った会社は合併することになり、「ダイムラー・ベンツ社」が誕生します。このことから、ガソリン自動車の父は、「ダイムラーとベンツ」と言われています。

自動車の普及。大量生産と個人所有まで。

T型フォード

ガソリン自動車の誕生後、様々な改良と技術開発が行われ、進化を遂げていきます。しかし、当時の自動車はとても高価であり、所有できるのはごく一部の貴族や富裕層だけでした。大衆が自動車を手に入れることなど、想像もできない時代だったのです。そんな中、ある男が発明・確立した自動車とその生産方式が、自動車の大衆化と普及を一気に進めることになりました。
アメリカ人のヘンリー・フォードと、彼が生み出したT型フォードです。1908年に発売されたT型フォードは、その後の改善により、それまでの自動車の生産方式とは全く異なるものになりました。これまでの職人による一台ずつの手作業による生産から、コンベヤラインによる流れ作業での組み立てを採用し、大量生産方式を確立しました。この方式は、自動車の生産台数を飛躍的に向上させ、また部品や構造の簡素化により、大幅なコストダウンに成功しました。これにより、一部の富裕層のみの持ち物であった自動車が一般の大衆にも所有できるようになり、自動車産業全体の発展に大きく貢献しました。このT型フォードは、生産が終了した1927年までに1,500万台以上の総生産台数となりました。

日本における自動車の歩み

タクリー号

日本で初めて作られた、国産のガソリン自動車とされているのが、タクリー号と呼ばれるものです。これは、オートモビール商会が1907年に作った乗用車でした。ガタクリガタクリと走るところから、「タクリー号」の愛称がつきました。

戦後の発展と日本のモータリゼーション

1945年、第二次世界大戦の終戦後は、日本にとって厳しい幕開けとなりました。GHQ(連合国軍総司令部)の統治下に置かれていた日本は多くの規制下にあり、自動車の生産も禁止されていました。1949年には生産制限が解除されるのですが、日本の自動車生産は、海外メーカーのノックダウン生産となっていました。
そういう状況の中、様々なメーカーの開発努力は続いていました。1955年には、トヨタが「トヨペット・クラウン」を発表、発売を開始しました。その後、1958年にスバルが「スバル360」を発売。この車は通産省が発表していた、「国民車構想」を具現化したものであり、十分な実用性を持ちながら、比較的廉価であったこともあり、当時の一般大衆から広く支持されました。爆発的なヒットにより、「日本初の国民大衆車」と言われています。あわせて、各社が大衆車の開発を競い合い、日本のモータリゼーションは急速に推進されました。

日本車の躍進と黄金時代

70年代以降においても、他の外国車には見られない様々なアクセサリーや機能を盛り込み、日本車は発展していきました。また、高い品質と低価格を兼ね備え、日本車は海外でも高い評価と販売台数を上げていきました。ついに、1980年には自動車の生産台数で日本が世界一を記録しました。

新しい時代の幕開け

好調が続いていた日本の自動車業界ですが、バブル経済の崩壊により、生産・販売台数の下降が始まり、長い不況の時代に入ります。自動車産業の低迷は日本だけではなく、世界でも見られる状況でした。
そんな中、新たな技術が開発されます。「ハイブリッドカー」です。1997年にトヨタが「プリウス」を発表しました。これは世界初の量産ハイブリッド車であり、日本の技術の高さと先進性を表すものとなりました。
そして現在、ハイブリッドカーはもちろん、プラグインハイブリッドカーや水素自動車・燃料電池車などのエコカーが主流になりつつあります。さらに自動運転等の技術も日々開発が進められています。自動車技術の進歩と発展は今後もますます期待できるところです。
若者の自動車離れがささやかれてはいますが、やはり自動車というものが、その時代の技術や世相、歴史の一部を表すものであるということは、これからも変わらないと思われます。

まとめ

今回は、自動車の誕生から現代までを振り返ってみました。それぞれ、当時の人たちはその後にこれほどの技術革新が起きるとは想像できていなかったと思います。そういう私も少し前までは、ここまでハイブリッドカーが一般的に普及すると思っていませんでした。もしかしたら、数年後には自動車が目的地まで自動で連れて行ってくれるのが普通になるのかもしれません。これから自動車がどんな歴史を刻んでいくのか、期待したいですね。