空力でF1に革命を起こした男!天才エイドリアン・ニューウェイ

航空工学の応用し1970年代にロータス72というマシンでボルテックジェネレーターの乱流効果をロータス78というウィングカーのグランドエフェクト効果でF1に空力革命を起こしたのが当時のチームロータスのオーナー兼デザイナーだったコーリン・チャップマンでした。そしてその10年後にルールによって閉ざされていた空力の扉を開けて新たな革命を起こしたのがエイドリアン・ニューウェイなのです。

エイドリアン・ニューウェイとは・・・

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エイドリアン・ニューウェイがF1デビュー3作目の出世作1990年Leyton House-Judd CG901Bと2010年Red Bull-Renault RBをドライブする映像

1994年5月1日の悲劇

1994年5月1日、アイルトン・セナはイモラのタンブレロコーナーでマシンのコントロールを失ってクラッシュをして命を落としました。ご存知の方は多いと思いますが、その時のウィリアムズのチーフエアロダイナミシストだったのがエイドリアン・ニューウェイでした。

イタリアではサーキットの事故も一般の交通事故と同様に扱う法律となっていて検察は法的手順に則り、セナの死亡事故に関係する6名を提訴し罪状は業務上過失致死罪でした。

その6名は
フランク・ウィリアムズ(ウィリアムズチーム代表)
パトリック・ヘッド(ウィリアムズチーム・テクニカルディレクター)
エイドリアン・ニューウェイ(ウィリアムズチーム・チーフエアロダイナミシスト)
フェドリコ・ベンディネリ(イモラ・サーキット オーナー兼代表)
ジョルジョ・ポッジ(イモラ・サーキット ディレクター)
ローランド・ブルインセラード(レースディレクター)
でした。

判決は1997年12月16日に6名の被告全員が無罪判決でしたが、州検察はパトリック・ヘッドとエイドリアン・ニューウェイに対して上訴しましたが、最終的には2005年5月27日に両名とも無罪となりました。

ニューウェイの葛藤

エイドリアン・ニューウェイは2013年のインタビューで今でも アイルトン・セナに勝てるマシンを与えられなかったこと悔やんでいるということを語っています。

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/3/

Williams FW16 with Ayrton Senna

“There was an aura about him, it’s something difficult to describe. He most certainly had a presence. He was very personable, in terms of involving you and making you feel as if you were special. He was very involved at the factory and would want to know what we were doing with the wind tunnel model and I think that motivated people at the factory without a doubt. In the car, his results speak form themselves. I guess one of the things that will always haunt me was the fact that he joined Williams because we had managed to build a decent car for the previous three years and he wanted to be in the team which he thought would build the best car and unfortunately our 1994 car at start of season wasn’t a good car. With Ayrton’s raw talent and determination, he tried to carry that car and make it do things that it wasn’t capable of. It seems such a shame, and so unfair that he was in that position and by time we did get the car sorted out, he wasn’t with us any longer.”

出典:www.jamesallenonf1.com

「セナには言い表しがたいオーラがありすごい存在感でした。彼はとても人懐っこくて相手にとって特別な存在に感じさせて皆から好かれていました。彼はファクトリーの作業や風洞実験の様子を知りたくてよく足を運んでいましたが、それが間違いなくスタッフのモチベーションになっていました。
私たちが過去3年間ベストのマシンを作ってきたことによって彼がウィリアムズに来たのに1994年のシーズン当初は残念ながら私たちのマシンは良い出来ではなかったという思いが私にずっとつきまとっています。そしてアイルトンの天性の才能と決意によって、そのマシンの限界を引き出そうとしたんだと。彼はもう私たちと一緒にいられません。私たちがマシンを与えた時点でそんな立場に彼をしていたなら、それがこんなにつらくてあまりに不公平な事だと今も思っています。」

事故の原因は何だったのだろう

裁判の中では事故原因は「溶接したステアリングコラムの破損」とされました。また前年の1993年まで許されていたアクティブ・サスペンションが禁止された年でもありました。これが空力性能を不安定にさせた事は間違いありません。親友だったゲルハルト・ベルガーには「マシンの挙動が不安定で走りたくない。」と話をしていたということも聞かれます。また前年度にそのシートに座っていたTV解説者の宿敵アラン・プロストに対して「レースに君がいなくて寂しい。」とスタート前のフリー走行中に無線で話しかけてもいました。このグランプリは予選初日のルーベンス・バリチェロのクラッシュによる骨折事故、予選2日目でのローランド・ラッツェンバーガーの死亡事故、スタート直後のペドロ・ラミーがJJレート追突して起こった多重クラッシュによるセイーフティカーによる先導がありレースが再開した2周目に事故は起こりました。そして現在でもその原因は解明されていません。

この年はFIA会長マックス・モズレー主導でトラクションコントロール(TCS)、アクティブサスペンション、アンチロック・ブレーキ・システム(ABS)などが、開発コストの抑制やドライバー同士のバトルを増やすという方針で禁止されました。また、レース中の順位変動を活発化しエンターテイメント性を高めるためレース中の給油が再開されました。
しかし、レギュレーションの大幅改正により、開幕前から安全性に疑問の声が上がっていて、開幕前のテストではJ.J.レートが負傷し2戦を欠場、開幕戦後、ジャン・アレジも同じくテスト中の事故で負傷して2戦を欠場。その後も第4戦モナコGPでのフリー走行の事故でカール・ヴェンドリンガーが意識不明の重体、モナコGP後のテストでペドロ・ラミーが事故で脚に全治1年の重傷。続くスペインGPの予選ではラッツェンバーガーの代わりに出場していたアンドレア・モンテルミーニが両足を骨折する事故。ドイツGPではヨス・フェルスタッペンとベネトンのピットクルーが給油の際に火傷を負いました。この様に安全性の問題が浮き彫りになって、レギュレーションがシーズン途中で変更される異例の事態となりました。

「空力の鬼才」と何故呼ばれているのか

ドライバーにライバルと言わしめたデザイナー

彼の設計の凄さは数字が物語っています。1988年〜2013年までの過去に彼が生み出したF1マシンの26台中11台がチャンピオンカーになっているという事実です。それ以外でチャンピオンを取ったのはプロスト1回、セナ3回、アロンソ2回、シューマッハー7回、ハッキネン1回、バトン1回、その顔ぶれを見るとわかる様にニューウェイが現役だった26年間は天才ドライバーVS天才デザイナーの戦いだったことが良くわかります。アイルトン・セナを魅了し、シューマッハーやアロンソからは「ニューウェイとの戦いだ」と言わしめたほどにエイドリアン・ニューウェイの生み出したマシンは傑出していました。

ニューウェイのエアロダイナミシストデビュー

エイドリアン・ニューウェイのウィリアムズ〜マクラーレン〜レッドブル時代にデザインされたマシンは近年の歴代チャンピオンカーなのでご存知の方が多いと思います。そこで今回はそれ以前のデビューから「空力の鬼才」と呼ばれる様になる前の作品をご紹介したいと思います。

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/2/

フェイティパルディF8 (1980年のエアロダイナミシストとしてのF1デビュー作

大学で航空工学を学んでレース界に身を投じて最初のエアロダイナミシストの仕事がハーベイ・ポスルスウェイトのアシスタントとして1980年ウィングカー規制前のフィティパルディF8でした。

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/2/

マーチ82G GTP
通称「ロブスターの爪」と呼ばれアメリカのIMSA GTPレースでタイトル獲得 (83G & 84Gと担当)

1981年にシャシーコンストラクターだったマーチに転籍をして、彼のウィングカーとはアプローチの違う新たな空力に対する考え方はアメリカのGTPやインディカーですぐに成果が表れてチャンピオンマシンとなって才能の片鱗を見せました。

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/2/

マーチ85C(1985年)アメリカのインディカー作品
インディ500での勝利とシリーズタイトルを獲得

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/2/

マーチ 86C(1986年)この年もシリーズタイトルを獲得

このアメリカでの成功にも関わらず、ヨーロッパに戻り「ForceF1」という新興F1チームにエアロダイナミシストとしてロス・ブラウンやニール・オートレイといった蒼々たるメンバーと共に参加したのです。しかしスポンサーの撤退がありチームが解散してしまってマーチに戻りました。

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/2/

レイトンハウス・マーチCG881

1988年に日本のレイトンハウスがマーチに依頼をしてエイドリアン・ニューウェイのオリジナルマシンがF1デビューしました。当時はターボエンジン全盛でマクラーレン・ホンダがセナ&プロストとF1界を席巻していましたが、この年の日本GPで非力なNAエンジンにも関わらずアラン・プロストを抜いて一時トップを走って周囲を驚かせたマシンです。

ニューウェイの空力革命

出典:http://minkara.carview.co.jp/userid/373537/blog/12667462/

出典:http://minkara.carview.co.jp/userid/373537/blog/12667462/

この年に日本人初のフルタイムF1ドライバーだった中島悟が乗っていたロータス100Tとニューウェイが作ったCG881のリアを比較すると一目瞭然です。26年前にすでに現在の主流となっているディフューザーをF1処女作で採用していたのです。1983年にウィングカーが禁止されてフラットボトム化してからもウィングカーによるグランドエフェクトの概念から抜け切れずに、ロードラッグとフロントとリアのウィングでダウンフォースの減少を補っていた時代にディフューザーによる新たなダウンフォースの獲得手段を見出したのがエイドリアン・ニューウェイによる革命でした。

現在のダウンフォースとグランドエフェクト

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/asaka0704/68570757.html

エイドリアン・ニューウェイの考え方に倣った1990年のマクラーレンが採用した通称「バットマン・ディフューザー」

現在でも30年以上前のウィングカーによるグランドエフェクト効果でダウンフォースを解説している場面が多く見受けられますが(ましてコアンダ効果を引き合いに出している勘違いもありますが・・・)似て非なるものなのです。エイドリアン・ニューウェイが行ったのはディフューザー革命です。この上の画像を見てもらうとマクラーレンのディフューザーが渦を発生させようとしている意図が形状的によくわかると思います。現在は寸法や形状に規制がありディフューザーの跳ねあがった形状が翼後端の様に見えるのでウィングカーと同じだと思われがちですが、ディフューズ(diffuse)=放散・拡散という意味で、要するにディフューザーによって生成される渦でボディ下面の空気を後方に引っ張り出して放散することでダウンフォースを得るというのがエイドリアン・ニューウェイの考え方です。

出典:https://www.linkedin.com/pulse/how-work-formula-1-aerodynamic-design-timoteo-briet

エイドリアン・ニューウェイは毎年の様に変わる空力規制と闘いながら進化を続け、現在のF1ではボディ下面が前傾姿勢を作る事で上図の濃い青色の部分2ヶ所(フロアパネル前方部分とディフューザー部分)でダウンフォース=グランドエフェクト効果を得ています。ボディ下面のダウンフォース生成をウィングカーと同じ様に説明すると発生場所が2ヶ所あることに矛盾が生じてしまうのです。このアイディアも2011年頃から取り入れられていた手法でエイドリアン・ニューウェイの凄さはウィングカーではない新たなダウンフォースの獲得方法を26年も前からF1の世界で実践し研究開発を続けていることなのです。

出典:http://www.roadandtrack.com/motorsports/news/a18417/the-secret-underside-of-a-modern-f1-car/

フロアパネルの前部に翼端渦の発生かボルテックスジェネレーターの役割をもつ翼状のパーツが見えます。(貴重なアングル)

またニューウェイは下面だけではなく上面の複雑な曲面のボディデザインやボルテックスジェネレーター等を活用して境界層剥離(高速の空気がボディから剥離して失速してしまう状態)を防いで、リヤウィングやディフューザーの上面に高速な空気を流してその効率化とその安定化の為に細心の注意を払っています。ブロウン・デフューザーと呼ばれた噴流(排気ガス)によるコアンダ効果を利用した高速な空気の上面気流処理もその一つになります。

レッドブル時代の躍進

出典:http://www.racecar-engineering.com/articles/f1/the-cars-of-adrian-newey/5/

1988年にターボ時代の終焉を向かえ、エンジン性能によるチーム格差がなくなってからは空力よる競争となりました。まさにエイドリアン・ニューウェイの時代です。1990年~1996年までのウィリアムズでナイジェル・マンセル、アラン・プロスト、デーモン・ヒル、ジャック・ビルヌーブの4人のチャンピオンを生み出し、1997年~2004年までのマクラーレン時代にミカ・ハッキネンの2回のチャンピオンに貢献しました。しかし伝統的な両チームでの空力担当だけの役割では思い通りのマシンを作ることが叶わず、2006年レッドブルの移籍によって初めてマシンの全てを空力の為に使える環境を手に入れました。

出典:http://www.hpctoday.fr/best-practices/infiniti-red-bull-racing-calculer-pour-tout-gagner/

当時はフェラーリエンジンを搭載していましたが、2007年からルノーエンジンにスイッチをして、風洞中心にファクトリーなどチームのエンジニアリング強化を進め、徐々にマシンにニューウェイの意思が反映されて結果が表れてきました。2009年にはセバスチャン・ベッテルの加入でその年2勝を上げると2010年から2013年までは4年連続でセバスチャン・ベッテルのドライブによってタイトルを獲得しました。その功績は収入にも表れていて当時のベッテルが9〜10億円と言われていた時に15〜16億円の年俸でドライバーより高額でした。その状況は現在も変わらずチーム一番の高給取りであることは間違いありません。

2010年からはレッドブルが他のチームを寄せ付けない速さを手に入れて、2013年までは空力に対する規制が毎年の様に強化されていき、エイドリアン・ニューウェイ対FIAの空力規制の戦いといった感じでした。この規制はレッドブルだけではなく全チームに適応されるので、結果的にはニューウェイの適応能力に他のチームが追いつかず、FIAのルール変更がレッドブルの独走を援護射撃した形となりました。この状況を考えると1983年のコーリン・チャップマンのウィングカーについても、1994年のアイルトン・セナのアクティブサスペンションについても、今回のメルセデスPUの独走に対してのルール改正案にも、FIAの対応には疑問が残ります。いつも理由は「開発コストの抑制やドライバー同士のバトルを増やすという方針」です。あまりに早計な対応にはF1ファンもついて行けずに興味が削がれる結果となります。コンストラクターやエンジンサプライヤーの努力や投資に対して敬意を払い、ましてやライバルチームの高い能力とファイティングスピリットを信じて「3~5年くらいの期間は様子を見て、どうしても駄目ならルールの変更をしますよ」ってルールをまずFIA自身に課した方が良い気がしますね。

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この動画はボディ上面の空気の流れが可視化されていて空力に興味がある方にお勧めです。

まとめ

アイルトン・セナの事故によって一時はF1界から身を引く事も考えたエイドリアン・ニューウェイでしたが、思いとどまってウィリアムズ~マクラーレン~レッドブルとチームを移籍しながら2014年まで第一線でその才能を如何なく発揮しました。しかし、度重なる空力規制が彼の新たな領域を目指すモチベーションを削ぐ結果となり、2014年のマシンを最後にチーフ・テクニカル・オフィサーの役を退く決断をしました。現在でもレッドブルのチームメンバーとしてサーキットにも顔を出していますがF1から少し距離を置いてテクニカル・アドバイザーとして陰でレッドブルF1チームを支えています