【F1死亡事故】モータースポーツを発展させた英雄たち

モータースポーツの誕生とともにドライバーやライダーは死と隣りあわせで戦ってきました。スポーツにおいて頂点を目指すのは至極当然ですが、栄光を手にするための代償もまた大きいのです。1950年に始まったF1の歴史。安全基準の厳格化にともない死亡事故は激減していますが、永らく死亡事故が無かったF1でも一昨年に死亡事故が起きています。しかもこの日本で。今回はF1の歴史の中で召された英雄を顧みたいと思います。

F1創生期 1950年代

この時期、“インディアナポリス500マイルレース”通称インディ500”もF1選手権の一部でしたが、1レースのために海を渡るヨーロッパのドライバーはいませんでした。厳密に言えばインディ500での事故はF1の事故でもありますが、そのレースの性格も鑑みてここでは扱いません。また、対象をレース中(予選含む)の事故のみとし、テスト中の事故などは除外します。

1954年 ドイツGP オノフレ・マリモン(アルゼンチン・マセラティ)

出典:http://f1.wikia.com/wiki/Onofre_Marim%C3%B3n

予選中のクラッシュでした。マシンから投げ出され、その下敷きとなって胸を圧迫されて亡くなりました。
享年30歳。

1958年 フランスGP ルイジ・ムッソ(イタリア・フェラーリ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BDhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BDhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%82%A4%E3%82%B8%E3%83%BB%E3%83%A0%E3%83%83%E3%82%BD

10周目にカーブで曲がりきれずクラッシュしました。マシンは何度も横転しながら大破し亡くなりました。
享年33歳。

1958年 ドイツGP ピーター・コリンズ(イングランド・フェラーリ)

出典:http://wall.kabegami.com/detail/80088763/Collins%20At%20Silverstone

11周目にオーバースピードでコーナーに進入、マシンはそのまま激しく横転してマシンの外に投げ出されました。頭部に致命傷を負ったコリンズは、病院に運ばれた時点で既に息を引き取っていました。
享年26歳。

1958年 モロッコGP スチュアート・ルイス=エヴァンス(イングランド・ヴァンウォール)

出典:http://wildsoft.motorsport.com/drv.php?id=195702010&l=L

エンジンが故障し高速でバリアに激突。車は炎上しました。イギリスに空路で搬送されましたが、事故の6日後に重度の火傷のため病院で亡くなりました。
享年28歳。

成長とともに被害も拡大した1960年代

1960年 ベルギーGP クリス・ブリストウ(イングランド・BRM)

出典:http://afw.fc2web.com/ziko/1960belgianGP.html

20周目にオーバーテイクを仕掛けコースアウトし、そのままアームコ・バリア(二重構造のガードレール)に激突しました。そのバリアを突き破って土手に衝突しマシンは大破しています。 突き破った際に鋭利な凶器と化したアームコ・バリアによって下顎から上を切断されて亡くなりました。
享年22歳。

1960年 ベルギーGP アラン・ステイシー(イングランド・ロータス)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%B9%E3%83%86%E3%82%A4%E3%82%B7%E3%83%BC

25周目に6位走行中だったステイシーの顔面に鳥が直撃して亡くなりました。
享年26歳。

1961年 イタリアGP ウォルフガング・フォン・トリップス(ドイツ・フェラーリ)

出典:http://blog.livedoor.jp/markzu/archives/51342537.html

2周目に追い越しから接触事故を起こし、コースに投げ出されて亡くなりました。
享年33歳。
この事故は、巻き込まれた観客14人が亡くなる大惨事となりました。

1964年 ドイツGP カレル・ゴダン・ド・ボーフォール(オランダ・ポルシェ)

出典:http://afw.fc2web.com/ziko/1964Beaufort.htm

予選走行中にコースを外れ、コース脇の法面を転落しました。防護ネットを突き破り樹木に激突して逆立ち状態で停止しましたが、ボーフォールはマシンから投げ出され病院に搬送後、二日目に亡くなりました。
享年30歳。

1966年 ドイツGP ジョン・テイラー(イングランド・ブラバム)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A7%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%86%E3%82%A4%E3%83%A9%E3%83%BC_(%E3%83%AC%E3%83%BC%E3%82%B5%E3%83%BC)

接触事故からコースアウトしてクラッシュ、マシンが炎上しました。消防隊と現場近くにいた観客によって救出され病院に搬送されましたが、やけどの状態がひどく1ヶ月後に亡くなりました。
享年33歳。

1967年 モナコGP ロレンツォ・バンディーニ(イタリア・フェラーリ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%AC%E3%83%B3%E3%83%84%E3%82%A9%E3%83%BB%E3%83%90%E3%83%B3%E3%83%87%E3%82%A3%E3%83%BC%E3%83%8B

88周目にヌーベル・シケインでコントロールを失いクラッシュし、マシンはパーツをばら撒きながら横転し炎上しました。さらに漏れたガソリンに引火して爆発しました。炎上するマシンに長時間取り残されて大火傷を負い、3日後に病院で亡くなりました。
享年31歳。

1968年 フランスGP ジョー・シュレッサー(フランス・ホンダ)

出典:http://ja.espnf1.com/f1/motorsport/image/22015.html

3周目にメインストレート先の下りでコントロールを失い、まっすぐ土手にクラッシュしました。仰向けでコース脇に落ちると満載した燃料とマグネシウムを多用したボディは激しく炎上し、帰らぬ人となりました。
享年40歳。

1969年ドイツGP ゲルハルト・ミッター(ドイツ・BMW)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B2%E3%83%AB%E3%83%8F%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%BB%E3%83%9F%E3%83%83%E3%82%BF%E3%83%BC

予選中BMWのF2マシンで出走し高速ストレートを走行中に突然右のフロントタイヤがホイールごと外れました。コントロールの利かなくなったマシンは約170km/hでスピンし、キャッチネットを突き破りフェンスに激突しました。マシンは粉砕しミッターは亡くなりました。
享年33歳。

安全基準を考え始めた1970年代

1970年 オランダGP ピアス・カレッジ(イングランド・デ・トマソ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%82%A2%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AC%E3%83%83%E3%82%B8

イースト・トンネル手前の右コーナーでスピンし、外側ガードレールに衝突してコースアウトしました。さらにイースト・トンネルの橋の欄干に激突し、コース横の草地に転落炎上しカレッジは亡くなりました(車が炎上する前にすでに亡くなっていました)。
享年28歳。

1970年 イタリアGP ヨッヘン・リント(オーストリア・ロータス)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%83%E3%83%98%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%83%88

予選走行中、最終コーナー手前のブレーキングで突然姿勢を乱し、コースアウトしてノーズからガードレールに激突しました。両足が見えるほどに大破したマシンの中で亡くなりました。
享年28歳。

1973年 オランダGP ロジャー・ウィリアムソン(イングランド・マーチ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%82%B8%E3%83%A3%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%82%A6%E3%82%A3%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%A0%E3%82%BD%E3%83%B3

8周目のS字コーナーを通過した際タイヤトラブルからコースアウトしてガードレールにクラッシュ、マシンは飛び上がって一度土手に乗り上げた後コースに転落して横転し火災が発生しました。横転後も逆さまのままコースを燃え上がりながら滑り、ガードレール沿いのインコース脇にようやく停止しました。同僚のデビッド・パーレイがマシンを止めて駆け寄り消火と救出を試みましたが、奮闘むなしくウィリアムソンは燃え盛るマシンの中で亡くなりました。
享年25歳。

1973年 アメリカGP フランソワ・セベール(フランス・ティレル)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%82%BD%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%AB

予選アタック中にオーバースピードでガードレールに接触しフロントノーズが弾け飛び、コントロールを失ってスピンし反対側のガードレールへフロント部分から突っ込みました。ガードレールの支柱に激突し車体は横転し、宙を舞ったマシンは事故の衝撃でめくれ上がったガードレールの真上に落下しました。セベールはマシンごと股から顎の下まで、真っ二つに引き裂かれ亡くなりました。
享年29歳。

1974年 アメリカGP ヘルムート・コイニク(オーストリア・サーティース)

出典:http://afw.fc2web.com/ziko/1974HelmutKoinigg.htm

10周目にサスペンショントラブルに見舞われ曲がらないまま三段ガードレールに接触したマシンは、跳ね返ることなくそのままガードレール最下段を突き破って直進しマシン上部もろとも首を切断され亡くなりました。
享年25歳。

1975年 オーストリアGP マーク・ダナヒュー(アメリカ・ペンスキー)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%9E%E3%83%BC%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%83%80%E3%83%8A%E3%83%92%E3%83%A5%E3%83%BC

予選中にクラッシュするも意識はあり会話もできましたが、搬送ヘリコプターの高度変化による脳溢血のため3日後に亡くなりました。
享年37歳。

1977年 南アフリカGP トム・プライス(ウェールズ・シャドウ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%88%E3%83%A0%E3%83%BB%E3%83%97%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%82%B9

路肩で炎上していたマシン処理のためにコースを横断したマーシャルを撥ねてしまい、そのマーシャルの持っていた消火器を顔面に受け亡くなりました。
享年27歳。
撥ねられたマーシャルは、体を真っ二つに引き裂かれ、遺体の上半身が宙を舞いながら地面に叩き付けられるという凄惨な事故でした。

1978年 イタリアGP ロニー・ピーターソン(スウェーデン・ロータス)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%BC%E3%83%BB%E3%83%94%E3%83%BC%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BD%E3%83%B3

スタート直後に発生した多重接触事故に巻き込まれクラッシュの上炎上しました。両脚に重度の骨折を負っていたものの普通に会話ができる状態で、命に別状はないと思われていました(事故直後担架に乗せられたピーターソンが手を動かしていたり、救護員と会話している映像がありました)。ミラノの病院に搬送され手術を受けましたが、翌日未明に容態が急変し亡くなりました。
享年34歳。
骨折部位から血管に流れ出た脂肪粒が肺・腎臓・脳の血管に詰まり、血液循環を阻害する脂肪塞栓症が死因です。

神話が生まれた1980年代

1982年 ベルギーGP ジル・ヴィルヌーヴ(カナダ・フェラーリ)

出典:http://www.f1-bar.com/learn/gills-villeneuve.html

予選アタック中、抜きにかかった車のリアタイヤに乗り上げ、回転しながら宙へと舞い上がりました。マシンは前部から路面に激突して垂直状態のまま横転して大破し、シートごとマシンから投げ出されコース脇のフェンスに叩きつけられました。現場や病院で救急隊により蘇生処置が施されましたが、頚椎その他を骨折しておりその日の夜9時過ぎに亡くなりました。
享年32歳。

1982年 カナダGP リカルド・パレッティ(イタリア・オゼッラ)

出典:http://afw.fc2web.com/ziko/ziko1980a.htm

スタートでエンストした車輌に追突し運転席が押しつぶされる形となり、両足は折れ胸をステアリングで圧迫されていました。救助作業の最中にマシンが炎上し、消火作業で救出に時間を要してしまい、病院に運ばれましたが胸郭破裂で亡くなりました。
享年23歳。

この後しばらくF1では死亡事故がなく、カーボンモノコックの採用により強度が高くなったことなどから“もうF1で人は死なない”というナンセンスな神話が生まれました。

神話に頼りすぎた1990年代

1994年 サンマリノGP ローランド・ラッツェンバーガー(オーストリア・シムテック)

出典:http://f1-gate.com/other/ratzenberger_23406.html

予選二日目のタイムアタック中にフロントウイングが脱落しコントロールを失い、310km/hでコンクリートウォールに激突しました。頚椎骨折、内臓破裂などで亡くなりました。
享年33歳。
事故の衝撃は、強度の高いカーボンモノコックに穴が開くほどでラッツェンバーガーの体は露出していました。突然ウイングが脱落した要因については、事故の1周前にコースアウトした際にフロントウィングにダメージを受けていた可能性が高いと言われています。

1994年 サンマリノGP アイルトン・セナ(ブラジル・ウィリアムズ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A2%E3%82%A4%E3%83%AB%E3%83%88%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BB%E3%83%8A

超高速左コーナーを時速312kmで直進してコースアウトし、コース脇のコンクリートウォールに激突してマシンは大破しました。セナは意識不明のままヘリコプターで緊急搬送されましたが脳死状態に陥り、事故発生から約4時間後に亡くなりました。死因はステアリングシャフトの頭部貫通によるダメージです。
享年34歳。
車載映像には、シフトダウンしステアリングを左に切るもののマシンが曲がらないままコンクリートウォールに向かう映像が残っていますが事故原因の確定的な結論には至っていません。セナの事故後早急に該当部への改良がなされ、クラッシュした際にステアリングシャフトがドライバー側に動かないデザインとなりました。

なおも悲劇は続く 2010年代

2014年 日本GP ジュール・ビアンキ(フランス・マルシャ)

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B8%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%83%93%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%82%AD

44周目にハイドロプレーニング現象でコントロールを失いコースアウトしました。運悪く先にコースアウトしたマシンを撤去していたホイールローダー(クレーン車)に後方から激突しました。救急車で搬送され緊急手術が行われ、手術は成功しビアンキは人工昏睡状態のまま治療が継続されました。自発呼吸の回復とバイタルサインの安定が認められ母国へ移送されましたが、九ヵ月後の2015年7月17日ビアンキは意識が戻らないまま入院先の病院で亡くなりました。
享年25歳。

終わりに

この場に登場願った英雄たちに敬意を表しできるだけ肖像を用意しましたが、画像の荒いものや完全ではないものしか用意出来なかったことをお詫び申し上げます。他にもテスト中やF1サーカス以外のイベントで起きた事故、マーシャルや観客が巻き込まれた事故もたくさんあります。技術の進歩や安全基準の厳格化にともない、いつしか“F1で人は死なない”と思い込んでいた80年代~90年代。とりわけドライバーの安全を誰よりも訴えていたアイルトンの事故は大きな衝撃でした。“二度と起こさない”と誓ったにもかかわらずジュールの悲劇を繰り返してしまいました。もう二度とサーキットで人が亡くなることがないように願うとともに、今一度すべての英雄たちの冥福を祈ります。