【アルファロメオ アルフェッタ】ノルドアルファ復活の狼煙

1920年代、グランプリシーンで活躍していたアルファロメオ。傑作と呼ばれた“P2”・“P3”、ロードゴーイングスポーツ“8C”、高級乗用車“6C”など市販車でも大成功を収めました。事業の失敗から国有化された1930年、暗黒時代の始まりといっても過言ではないでしょう。さらに“国策”という罠に落ちて、アルファロメオの名声は地に落ちます。そんなどん底からの脱却を目指して開発されたのがアルフェッタです。

アルファロメオ アルフェッタとは

デビューは1972年、1984年までの13年間製造されました。“アルフェッタ”とは小さなアルファロメオという意味で、もともとは1950年代初に活躍したグランプリマシン“Tipo159”に付けられた愛称です。4ドアセダンと3ドアクーペが用意され、新しいノルドアルファを代表するモデルとしてリリースされました。
トランスミッションとクラッチを後輪デファレンシャル直前に配置した“トランスアクスルレイアウト”と、バネ下重量が軽くキャンパー変化が無いド・ディオンアクスルの後輪サスペンションを組み合わせて、走行性能を重視したシャシー設計が特徴です。その甲斐あって50:50の理想的な前後重量配分と、シャープなハンドリング、良好な乗り心地を実現して、当時のスポーティサルーンの模範的な存在となったのです。

4ドアセダン ベルリーナ

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アルフェッタベルリーナ

1972年5月に、4ドアモデルの“ベルリーナ”が登場しました。当初はジュリア1750と共通の1,779cc・124馬力のみの設定でした。第一次オイルショック後の不況に向けて、1975年に廉価版となる“アルフェッタ1.6”が追加されています。1.6はヘッドライトが丸型2灯式なので、前方からの識別は容易でした。1976年に、角型2灯式ヘッドライトと豪華な内外装を与えられた“アルフェッタ2000”が登場します。さらに1979年には、第二次オイルショックに対応して“2000ターボディーゼル”も追加され、後に“2.4ターボディーゼル”に発展しています。
1.6と1.8(1750)は1983年まで、2.0とターボディーゼルは1984年まで生産されましたが、基本的に同一設計でボディパネルを一新したアルファロメオ・90にバトンタッチしました。4ドアの累計生産台数は448,417台とのことです。
ブラジルでは、アルファロメオが買収した“ファブリカ・ナシオナル・デ・モトーレス(Fábrica Nacional de Motores/FNM)”がアルフェッタをベースに外装デザインを一部変更して“FMNアルファロメオ・2300・リオ”というモデル(1985年以降はアルファロメオ・85に名称を変更)を、1974年から1986年まで生産していました。

3ドアクーペ GT

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アルフェッタGT

1974年に3ドアのGTシリーズが追加されました。スタイリングデザインを担当したのはジョルジェット・ジウジアーロで、広いグラスエリアと大人4人が快適に乗車できる居住性が魅力です。内装が素晴らしくイカしていて、タコメーターだけがドライバーの正面に位置し、他の計器類はセンターに配置されるていました。当時としては異色のレイアウトで、レーシングアルファの復活などと言われました。
セダンと同様に当初は1,779ccエンジンモデルのみでしたが、1976年に廉価版の1.6と上級モデルの2.0GTVが追加されました。さらに1979年に1,962ccにターボチャージャーを追加して150psまでチューンした“2000ターボデルタ”が400台生産されています。
1980年に、2,492cc・150馬力のV型6気筒エンジンを搭載した“アルフェッタGTV2.5”が登場しました。このエンジンは傑作との評価が高く、1980年代のアルファロメオのイメージ回復の先駆けになりました。1983年以降はアルフェッタの名称が外され、単に“アルファロメオGTV”と呼ばれるようになります。4ドアの生産終了後の1987年まで継続生産されました。累計生産台数は137,543台とのことです。

日本への導入

アルフェッタシリーズは、当時のディーラーだった伊藤忠オートによって1973年に輸入開始されました。遅れること2年、GTも1975年に導入開始されました。伊藤忠オートの方針によって、ほぼ全てが右ハンドル仕様です。DOHCエンジンによる高い動力性能と傑出した操縦性は日本市場でも大歓迎されました。特に、当時のカーグラフィック編集長だった小林彰太郎氏が1975年にベルリーナを購入したことで、当時のマニア層に広く受け入れられたのは間違いありません。
好評だったアルフェッタですが、排気ガス対策が厳しくなった1977年以降は北米輸出仕様の2,000ccに切り替えられます。大幅な性能低下の上に大型バンパーの装着、米国向けのサスペンションセッティングによる操縦性悪化など、すべての魅力を失ってしまいます。女性ドライバーを意識してオートマチックモデルの追加投入もありましたが、伊藤忠オートは1960年代以来のアルファロメオ販売から1983年に撤退しました。日英自動車が後を継いで、少数限定枠を利用して本国仕様のGTVとGTV2.5V6の限定輸入を継続しました。

最後にまとめ

世界中で始まった排気ガス規制への対応策が無く、すでに設計が古くなったエンジンをさらに圧縮を下げるなど、もはやアルファロメオの存在価値が問われる事態に陥っていました。度重なるストライキでの労働意欲低下や、生産技術も世界標準から大きく劣ったアルファ・ロメオにとって、これまで以上に凝ったコスト高の製品はかえって経営を圧迫することになってしまったのでした。理想を追求する設計が優先で作業性や生産効率を二の次とする企業体質、すでにそのような量産車メーカーが存続できない時代になっていたのです。