【三菱 コルト】超長寿ブランドに教わるオールディ&グッディな日々

調べてみると、日本初の携帯電話が登場したのは、もう30年くらい前らしいんです。まぁ、持ち運べるとは言うものの、体裁は軍用の無線機と大して変わらなかったんですけどね。とにかく、それまでは通信手段も有線のみで、ネットもないからソーシャルもない、シンプルな原始時代の延長だった訳です。でも、さらに20年前も遡ると、そこには歴史に名を残す車が結構生まれているんです。そう、その一台が三菱 コルトでした。

コルトは、ガレージでいつもあなたを待っている仔馬

手のひらサイズの端末から、コンピュータネットワークの中へどんどん入って行ける今の時代になっても、自動車の形については、その基本概念は失われずに残っています。つまり、適当に大きなサイズの金属の箱を用意して、その両サイド前後に4つのタイヤを取り付ける、というものですね。一時期、3輪の軽トラックが走っていた時代もありましたが、現在ではそれも消滅しているようです。
エンジンの基本原理も、最近の100年間であまり進化していないなどという話も耳にするのですが、ともあれ、今も継承されている構造の全てが、車を走る機械として成り立たせるために、最も合理的と言うことなのだと思います。また同時に、それが走ってゆく姿を見ると、人の心に不思議な共感というか共鳴を起こしたりして、人はその愛着を捨てきれず、同じクルマ作りの方法を続けているのかもしれません。野を超え山を越え走ってゆく自動車は、機械と言うよりむしろ動物に近いイメージがあり、道具というよりむしろ相棒と呼ばれるべき存在です。
実は、びっくりする程前(1917年)に量産乗用車を作っていた三菱自動車(当時は造船)が、1962年に市場投入した大衆向け自動車に、コルト=仔馬と名付けたのは、消費者に上手く売り込むテクニックとか、あるいは謙遜や皮肉ですらなく、これが日本の人々の生活に広く溶け込んで、新しい時代の相棒となってくれるよう、願ったからではないかな、と思う訳です。

三菱500が、歴史のはじまり

出典:http://www.mitsubishi-motors.com/jp/spirit/history/year/1960/60_1.html

究極シンプルから発散される愛されパワー、三菱500

モノコックのボディーに、駆動はRR(リアエンジン・リアドライブ)を採用し出来るだけコンパクトに、ウィンカーも両のピラーに一つずつで十分、という、究極シンプルな大衆車が、コルトの前身となった三菱500です。その車体は風洞実験などを経て設計され、なかなか合理的なシェイプを持っています。とにかく廉価に、というコンセプトで開発されたそうですが、そのとっかかりのない丸っこい背中や、きょとんと前を見つめる2つの眼(ヘッドライト)などが特徴的で、レトロで原始的と言えばそうですが、味方を変えれば、現在ではありえないキュートさが演出できてしまっています。
このクルマ、名前は500ですが、そのエンジンはモデル中期に493ccから594ccへと変更されて、グレードアップが図られています。そして、このマイナーチェンジ版、三菱500スーパーデラックスは、驚くべき傑作とも言える車で、1962年のマカオ・グランプリレースへ出走し、優勝をかっさらってしまうのです。日本生まれの仔馬(コルト)を侮るなっ、と言ったところでしょうか。

コルト発進は600ccから

レースへの参戦により、三菱500の技術力は確かめられましたが、その一方で、シンプルの極みという基本コンセプトは、発展を始めた日本社会の中でh商品力を落としはじめます。同業他社も、軽自動車の枠へ新車を活発に投入してきたからです。と言う訳で、装備や装飾などの細部を見直し、当時の消費者の需要を満たすよう再設計し、1962年の6月に新たに生まれたのが、コルト600というコンパクト2ドア車でした。
動物の赤ちゃんみたいだった500のシェイプから変わり、コルト600のボディーは前後を絞り込まれて、もっと人目に栄える魅力を表現していて、客室にはベンチシートなども取り入れられインテリアも改善されました。さらにシフトレバーはカラム式になり、ウィンカーやバンパーも、まっとうな自動車なみに進化しています。搭載されるエンジンは、三菱500から受け継いだ594ccのものです。基本的に、先代のグレードアップ版と言うことになりますが、このコルト600もまた、1963年のマレーシア・グランプリレースで、クラスのトップ3を独占して優勝しました。
ルックスの愛らしさ、という意味で評価すると、ベースになっている三菱500の方に軍配があがる気もしますが、経済が安定的に成長するようになった当時の日本では、いろんなモノがついている製品の方が、より好まれるようになったのかもしれませんね。

コルト1000は4ドアセダン

この時代、我らが、仔馬(コルト)の成長速度はとてつもなく速いものでした。相変わらず、きょとんとした丸目ライトが、フロントセクションの愛嬌ポイントとして残っていても、1963年7月に発売された、三菱 コルト1000は、前席と後席それぞれに扉を備えた、大人っぽいセダンとなったのです。おそらくまだ、元服には早かったかもしれませんが、977ccまで拡大されたOHVエンジンは、おとなしそうな車体を最高速125km/時まで引っ張って見せ、それは中型車並みと言っても過言ではない性能だったそうです。その走りを支えるために用意された、フロントにストラット式、リアにリーフスプリング式のサスペンションは、油圧式ダンパーと合わせて適格にチューニングされていて、車体が持つポテンシャルは高かったと言います。

コルト1500、仔馬の脱皮?

1960年代、日本は豊かになる階段を昇り続けていました。国内の交通インフラもどんどん充実していましたし、車を使って競争をするサーキットも建設されてきました。だから、1965年にもなると、自動車を取り巻く情勢は明らかに三菱500の頃とは違っていて、さらなる高速への対応が求められることになります。同年、それに応えるべく登場してきたのが、三菱 コルト1500という4ドアセダンです。コルト1000から、車体を大型化してエンジンは1.5リッターの直列4気筒へと成長、70psを発揮し、140km/時の最高速度を記録ました。
実際のところ、4つ目にされたヘッドライトなどを見ると、みんなが愛したあのキュートな仔馬の印象はどこにも残っていない、と言いたくなるのですが、別の角度から見れば、1960年代の日本を走ったオールドカーが持つべき雰囲気と存在感を、まとめて具現化している一台とも言えそうです。この頃から、本来の名称が持つコンセプトからは離れてゆくことになる、そんな三菱 コルトではあったのですが、その名前だけは、後々、数十年間も生き残ってゆくのでした。

コルト800は、スペシャルティ、1000Fはその発展形

出典:http://www.mitsubishi-motors.com/jp/spirit/history/year/1960/60_10.html

コルト1000Fに加わったハッチバックタイプ

さて、元気でキュートな仔馬のイメージは、1965年の11月に発売された、コルト800に残っていました。この車は、コルト伝統の2つ丸目のヘッドライトを採用しつつ、ファストバックで2ドアのセダンという、スペシャルなコンセプトを打ち出した一台です。水冷2サイクルの843ccエンジンを搭載し45psを発揮、低速時に吸気がキャブレターに吹き返す現象を防ぐ「リードバルブ給気自動管制方式」、なんていう新機軸も用意していたんだそうです。足回りもこだわっていて、フロントには横置きリーフスプリングのダブルウィッシュボーン式を、リアにはリーフスプリングで車軸式を、それぞれ搭載して時代に合わせた進化を遂げています。
全体的にはシャープで、リア制動灯の上部に施されている尾翼を思わせる造形は、当時としては、ちょっと尖った印象もあったかもしれませんね。 1966年になると、このデザインを流用してエンジンを1.0リッターで55psまで拡大した、コルト1000Fというモデルも生まれます。この1000Fでは、室内の収納スペースやシートにも改良がくわえられ、使い勝手がアップしました。さらに1967年12月には、ハッチバックタイプも追加されて、かなりの飛躍を遂げています。
多彩なシートアレンジのあるコルト1000Fでは、ラゲッジルームに収められたスペアタイヤを、脚が折り畳み式になっているテーブルでカバーする、という気の利いた装備も用意されたそうで、この辺は、野山を元気にかけまわり、オーナーさんの充実したレジャーのために頑張るコルト、という本来の目的へ、ちょっと立ち返った部分もあったのでしょう。

コルト1100、プラスアルファの魅力

ちょい足し、が結構効くのは、料理だけではありません。いや、むしろ、エンジンの排気量へちょい足しすると、確実な性能アップを見込めます。1966年の9月に登場した三菱 コルト1100は、エンジンに100cc分を足して、58psの出力を得るという、高いパフォーマンスを売りにしていた車です。基本的には、コルト1000のバージョンアップ版であり、4ドアのセダンでしたが、ボディは軽量化されてさらなる走行性能アップを果たしています。
やや勇み足で大人ぶりすぎたコルト1500とは違って、1100は丸目2灯のヘッドランプを継承していて、オールドカー独特なキュートさが感じられるのが魅力です。車の品質としては、拡大された室内に加え、ワイパー、ヒーター、デフロスターの性能も向上されており、快適性を追求してもいます。

コルト1100Fは丸形2灯の最終型

いわゆるクラシカルな三菱 コルトの世代は、1968年の8月に発売されたコルト1100Fスポーツと、同年11月に追加されたコルト1100Fスーパースポーツが最後となりました。名称に表れている通りに、2ドアのボディーに高い走行性能を加えた、言ってみれば仔馬兄弟の中のフラッグシップモデルです。搭載されたエンジンは、1100Fスポーツに58psのタイプ、1100Fスーパースポーツに至っては、SUツインキャブによりチューンアップされ73psを絞り出しました。このスーパースポーツタイプは、前輪ディスクブレーキ、ラジアルタイヤ、前席3点式シートベルトなども標準装備しています。
1962年に生まれたキュートな仔馬が、6年の歳月を速足で駆け抜けながら急速に成長し、ついに俊足の名馬となった、この1100Fスーパースポーツには、そんな評価をあげても良いのではないでしょうか。

ニューコルトとコルトギャラン

出典:http://www.mitsubishi-motors.com/jp/spirit/history/year/1960/60_12.html

ニューコルトは新世代

1968年5月、とうとう三菱 コルトがフルモデルチェンジをし、シャーシを共用しながらもにエンジンバリエーションを増やした、ニューコルト1200および、ニューコルト1500として生まれ変わります。この時、三菱500の時代から受け継いできた、あの丸目ライトを廃止して四角目の2灯式という、かなりモダンなデザインへ進化しました。
おりしも、東名高速道路の区間開通が相次ぎ、日本にも真の高速モータリゼーション時代がやってきたこの時期、新しいコルトは、全体的にすっきりとして変なとっかかりのない、いわば、空力も意識した立派な普通の自動車へと成長しています。もちろん、大きくなったそのボディーには、より上級の居住性や安全性が与えられました。
そして、三菱 コルトの最終進化型と言えるのが、1969年の12月に発売された、コルトギャランです。「より美しく」「より高性能」「より広く」「より静かに」「より豪華」、を追い求めるコンセプトのこの車は、実質上、あの愛くるしいコルトとは無縁の車だったかもしれません。そのエンジンには三菱自動車としてはじめてのOHCとなる、1.3リッターと1.5リッターが搭載されています。ご存知の通り、この後、三菱 ギャランは、より上級の車格へと進化・成長をしてゆくことになりました。

現代に生き残るコルトのブランド

駆け出しの小さな自動車だったころから、最終型のギャランまで、コルトの名前は三菱自動車の1960年代を代表するブランドだったことは間違いありません。そしてそれは、その後に生まれた多くの三菱車に影響を与え、この企業のイメージの中で生き続けています。
ここでは、そんな風に現在も生きている、あるいは、ちょと前まで使われていた、コルトの名前について見てみましょう。

21世紀の復活版コルトは、現代的なコンパクトカー

コルトギャラン以来、長らく使用せずに放置されていた三菱 コルトの名称は、21世紀に入り一度復活しています。それは、ミラージュディンゴの後を引き継がせるため、三菱自動車が、ダイムラー・クライスラー社とプラットフォームを共同開発し、国際的かつ近代的な、排気量1.3〜1.5リッター域をカバーするFFコンパクトカーとして登場しました。そのシャーシは、ダイムラーが販売したスマート・フォーフォーにも使われていたそうで、我々の仔馬君も、とうとう大きく世界へと駆け回るフィールドを広げた訳です。
21世紀版のコルト、そのエンジンはDOHCを主体とし、MIVEC(ミツビシ・インテリジェント&イノヴェイティヴ・バルブタイミング&リフト・エレトクロニック・コントロール・システム)なんていう、もの凄い先進技術まで詰め込まれ、ラインアップの頂点には、三菱・コルトRALLIART Version-Rというインタークーラーターボモデルも用意される、それはそれは、すごく進歩したクルマなのでした。
しかしまぁ、その丸みあるボディーシェイプが与える、ややもすると、うずくまったような印象は、あの三菱500に通じる部分もあるような、そんな気もしますよね。

【基本情報】
名称:三菱・コルトRALLIART Version-R
エンジン排気量:1,468cc
エンジン出力:163ps
エンジントルク:21.4kgm
全長:3,925mm
全幅:1,695mm
全高:1,535mm
重量:1,110kg
ホールベース:2,500mm
サスペンション:マクファーソンストラット式(前)/ トーションビーム式(後)

ミラージュの輸出名(他)として

1978年に、三菱自動車の大衆コンパクトカーはミラージュにバトンタッチします。そして、おそらく何らかの大人の事情により、輸出名でミラージュに代え使われた名称がコルトでした。提携関係のあった米国クライスラー社では、1983年からプリムス・コルトとして、4ドアセダン、2ドアクーペ、そしてハッチバックの3タイプがOEM供給されています。このクライスラー版コルトは、1987年からの2世代目、1991年からの3世代目まで続きました。さらに欧州向けとしても、コルトの名称で同じように輸出されています。
三菱にはシャリオとRVRという、2種類の5ドア車がありましたが、これもクライスラーへのOEM供給がなされるときに、プリムス・コルトビスタとして、コルトをルーツとしたブランド名称が与えられました。
まぁ大昔すでに、丸くてころりんとした動物の赤ちゃん的な、あのキュートさは失っていたとしても、当時の日本メーカーの得意技術であった、経済的で快適なコンパクトカーを、世界中に広めるために活躍したと言うことでは、本来のコルトに与えられたコンセプトを継承・標榜していたのだろうと思います。

クラブ名称として

原点である三菱500の頃から、海外のレースへ意欲的に参戦して、その技術を磨き証明してきたのがコルトです。その輝かしい功績は、現代のモータースポーツシーンにも、少なからずの影響を残しているはず。そして、その一例であるのが、CMSC(コルトモータースポーツクラブ)というJAF登録クラブで、当然、三菱の車を愛する人が集い、さまざまな競技へ参加したりしている自動車クラブになっています。
このクラブが発足したのが1964年ですから、まさに自動車の方の三菱 コルトが現役だった時代に、ユーザーがこのクルマに対して抱いていた愛着を原点にして、誕生したのがこの組織だと思います。その後、クラブとしては、全国の販売ディーラーを中心にした人達が、自主的に支部を設立・普及させながらネットワークを作っていったもので、その販売店とのつながりは今でも健在です。
現在では会員数は約800名を数えており、2016年の活動としては、7月に開催される『2016年JAF東日本ラリー選手権第5戦のツール・ド・東北』を筆頭に、他、ダートトライアルやジムカーナなど、普通のドライバーでも参加できるレベルの自動車競技を、複数主催してくれています。もちろん、全日本選手権クラスの競技へ多くの会員が参加していて、その中からは過去に何人もチャンピオンを輩出してもいます。
ちなみに、三菱自動車とは、組織運営上なんらの関係がある訳ではなく、乗っている車のメーカーには、特別な規制は設けていないようなので、ご自宅の近くに支部(全国30ヵ所)がある人で、もっと自動車ライフを楽しみたいというお考えがあれば、一度、問い合わせしてみるのもいいでしょう。

三菱車のファンを中心にしたモータースポーツクラブ

まとめ

経済・文化・政治の各方面でも、全てが今よりずっとシンプルで、シンプルであるからこそモノが伝えてくる本当の愛らしさを感じられた、そんな古き良き1960年代。そんな時代に、小さな体に大きな使命を担って生み出されたのが、三菱 コルトという車でした。その4本の足(タイヤ)を地面に踏ん張り、健気にも日本のモータリゼーション発展の推進力として、頑張り続けたのです。もうすでに、古典の世界に埋もれてしまった感もある、コルトの車名ではありますが、モータースポーツを含む世界で積み上げた実績は、現在にも少なからぬ影響を与え続けていると思います。
自動車がスマホ寄りに変化している今ですが、三菱自動車さんはあえて再び、究極までシンプル化した上で面白いクルマを、復刻されてはいかがでしょうか? 名前はそう、コルト660で。

三菱自動車のグローバルサイトです。

あの60年代を走り抜けた三菱車について解説が書かれています