【シトロエンDS】20世紀の名車ランキング第3位!の実力

1955年から1975年まで、21年で145万台以上を売り上げたフランス車のお話です。“宇宙船”と評されたデザインと、他に類を見ない独創的な油圧システムを利用してサスペンション、パワーステアリング、ブレーキなどを統括制御するというアイデアで“異次元の自動車”と呼ばれた車です。パリサロンでのデビューの日に、1万2,000件を超えるオーダーを受けた“20世紀の名車ランキング”第3位の車です。

シトロエンDSについて

20世紀の名車ランキング第3位、偉大な自動車の称号を受けたシトロエンDSとはどんな車なのでしょう。じっくりと見てみましょう。

出典:http://www.wsj.com/articles/the-citroen-ds-19-why-its-the-ultimate-classic-car-1430501156

名前の由来

車名の“シトロエンDS”は、フランス本国では “スィトホエン・デ・エス” と発音します。この語源は開発コードの省略形だとか“Désirée Spéciale(デズィへ スペシアレ・特別な憧れ)”の略などと言われていますが、その詳細についてシトロエンは明言していません。フランス語で同じ発音の“déesse(デエス・女神)”の意味だという説もあります。

特徴

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8F%E3%82%A4%E3%83%89%E3%83%AD%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%81%E3%83%83%E3%82%AF%E3%83%BB%E3%82%B5%E3%82%B9%E3%83%9A%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A7%E3%83%B3

シトロエンDSに与えられた最大の特徴は、ポンプでつくりだした油圧を動力にしたサスペンション機構を中心に、パワーステアリングやブレーキアシストも制御する“ハイドロニューマチック・システム・Hydropneumatic System”の採用です。
ボディサイズは全長4.81m×全幅1.8m×全高1.47mで、1950年代中期のヨーロッパ車としては大型な部類に入ります。搭載するエンジンは初期形では1.9L、最終形でも2.3Lと決してゆとりのあるサイズではありませんが、車輌重量が1.2t〜1.3tと軽量なおかげで動力性能に大きな不足はありません。
随所に意表を突くメカニズムが搭載されているばかりか、設計者が重きを置いた航空機の設計思想が随所に盛り込まれ、“車体重心は前に・空力重心は後部に”という弓矢のような重量配分が直進安定性に大きく寄与しています。
DSはごく一般的な量産車として企画開発されていて、本国フランスではタクシーや救急車などの特装車にも酷使されるような車種で、トヨタで言えばセンチュリーや2000GTのような特化型の少量生産車というよりは量産型高級車として量産されたクラウンと同じ立ち位置の車です。
量産ファミリーカーにジェット旅客機やロケットエンジン並みの精度が要求される油圧制御技術が導入されているのは、後にも先にもシトロエン社以外に例がないでしょう。

出生の経緯

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%88%E3%83%A9%E3%82%AF%E3%82%B7%E3%82%AA%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%83%90%E3%83%B3

トラクシオン・アヴァン

シトロエン社は、1934年に開発した7CV“シトロエン・トラクシオン・アヴァン”で、すでに前輪駆動方式を実現していました。量産モデルへの前輪駆動導入例としては、世界的にも早い時期の試みと言えますが、以後は乗用車だけでなく商用車にも前輪駆動方式を積極的に導入しています。
当時としては過渡的な設計だった“トラクシオン・アヴァン”シリーズですが、当初の4気筒1,303cc“7CV”に続いて、すぐに4気筒1,911cc“11CV”、さらに翌年には6気筒2867cc“15CV-six”が追加され、第二次世界大戦中の製造休止がありましたが、15CVは1955年まで、11CVは1957年まで生産されるロングセラーモデルでした。
トラクシオン・アヴァンの主任設計者は、ヴォワザン社出身の元航空技術者、アンドレ・ルフェーブル(André Lefèbvre)という人です。前輪駆動のほかにも、モノコック構造やトーションバーによる独立懸架機構など、先進的なメカニズムを多数導入しました。
シトロエン社は1934年に過大投資による経営難に陥り、大手タイヤメーカー・ミシュラン社の系列に入りましたが、前輪駆動車の新たな模索は続けられていました。

VGD構想

ルフェーブル技師は、1938年当時のシトロエン社長、ピエール・ブーランジェの命を受けて“トラクシオン・アヴァン”の後継車となるべくアッパーミドルクラスの乗用車開発を開始し、“VGD”というコードネームを与えました。“Véhicule de Grande Diffusion(大量普及自動車)”の意味で、トラクシオン・アヴァンと同様に量産型乗用車として生産するという意図ははっきりしていました。
ルフェーブルが打ち出したVGDコンセプトの概要は、
●安全性の追求
●居住性(乗員を路面の影響から隔てる)
●路面状況を問わないロード・ホールディングの能力確保
●空力面の追求
だったと言われています。

戦争による凍結と再開

まもなく第二次世界大戦が勃発してしまい、開発はいったん中止されました。本格的な開発作業は、第二次世界大戦後に持ち越されることになってしまいまいました。終戦後すぐに本格的な開発が再開されています。開発途中の1950年、計画を推進してきたピエール・ブーランジェ社長が事故死するというアクシデントはあったものの、後を引き継いだのロベール・ピュイズも引き続きVGD計画の推進を支援してくれ、開発を続行することができました。
この時点で、ルフェーブルは
●軽量・低重心かつモダンで個性的な空力ボディを用いる
●前後輪重量配分を2:1とする
●トレッドは前輪を広く、後輪を狭くする(ルフェーブルがシトロエン以前にヴォワザンのグランプリカーに倣った手法)
●サスペンションに革新的なシステムを導入する
という設計方針を追加します。
ところがその開発内容があまりにも複雑多岐にわたるため、その開発は大幅に遅れることになりました。その間に、プジョー・203(1948年)、フォード・ヴデット(1949年)、ルノー・フレガート(1950)、シムカ・アロンド(1951年)と、ライバルメーカーから競合車種が続々と登場していました。フラッシュサイド・ボディ(車幅を有効に用いるため、側面をフラットにして車内容積を広げたデザイン)のライバル車に対し、独立フェンダーと外付けヘッドライトという旧態依然としたデザインのトラクシオン・アヴァンは、1950年代に入っても延々と生産され続けたのです。

いよいよ販売

VGDが“DS”として発表されたのは1955年で、フランスの自動車メーカー中では戦後最後発の上級車でした。ですが、結果的にシトロエンはこの“DS”で、競合各社を突き放すことになったのです。

デビューの日

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS

1955年10月5日、フランス最大のモーター・ショー、パリ・サロンでDSは発表されました。“異次元の自動車”とうわさされ、公開直後15分の間に743件の注文を受けたばかりか、その日一日で1万2,000件余りのバックオーダーを受けたのです。

販売戦略


1957年までトラクシオン・アヴァンと併売されましたが、トラクシオン・アヴァンの生産終了後はその代替としてDSの仕様を簡素化した廉価版“ID19”が登場します。“ID”はフランス語読みで“イデー”ですが、同発音の“Idée”(=アイデア)とかけたネーミングです。
DSのエンジンを簡素化し、ハイドロニューマチックからサスペンション以外を切り分けて、一般的なトランスミッションとブレーキを採用して、パワーステアリングを廃したものです。こうしてDS/IDシリーズはシトロエンの中~上級レンジを一手に担う車種になりました。
最大のライバルであるプジョーの上級車種展開はなかなか進まず、1960年代前半まで1,600cc級が上限で2,000cc級の投入は1968年の“504”まで遅れます。こうした事情もあって、DS/IDシリーズは競合モデルのルノー・フレガート、シムカ・アリアーヌ8をしりぞけてフランスの上級車市場を独占しました。シャルル・ド・ゴール大統領をはじめ、政府首脳の公用車にも広く用いられました。
生産はフランス本国の他、ベルギー工場、およびイギリスのスラウ工場でも行われ、スラウ製DSシリーズはそのままイギリス市場向け右ハンドル仕様になりました。

マイナーチェンジ

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS

1960年に電装系統が従来の6Vから12Vへ変更されました。1962年9月にはマイナーチェンジが行われました。ノーズ部分の形状を若干変更し、換気機能が改良されました。1964年に豪華仕様の“DS19パラス”が追加されました。
1967年に、DSシリーズにとって最も大きなマイナーチェンジが行われました。最大の変化は、それまで固定式の2灯(パラス仕様は外付け式の補助灯2灯が追加)だったヘッドライトが、それらを包括してガラスカバー付きの4灯式コンビネーションライトになったことです。このデザインは、シトロエン傘下のパナール・ルヴァッソールが1963年に発売した“パナール24c”に先行採用されたモチーフでした。
この“猫眼”型ライトのうち外側のランプは、サスペンションに通じたリンクで吊られていて、車体のピッチング挙動に連動して常に水平を保ち、内側2灯(ハイビーム時のみ点灯を選択できるドライビングランプ)はステアリング角度に連動して左右に首を振って常に進行方向を照らす構造です。
電子回路やアクチュエータを使用しない、機械式のディレクショナルライトです。リンクにより旋回方向内側灯の方が大きく振る構造で、曲がる先をしっかりと見据えることができるようになっていました。 首振りライトはタトラT77aやタッカーでも先行例がありましたが、勢いのあるDSでの採用は特に有名になりました。 複雑な構造ながら、S字フックやネジで分解・調整が簡単にできて整備性は良好でした。猫目の樹脂製ハウジング内面には成形扉があり、これを開ければ内面やレンズを清拭できます。

モデル末期

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBSM

シトロエンSM

1970年にマセラティ製の強力なV形6気筒エンジンを搭載した高性能クーペ“シトロエン・SM”が最高級車として開発されましたが、その後もシトロエンの上級主力モデルはDSでした。改良を繰り返して長期生産されたDSですが、シャーシや駆動系の設計が古い上に室内スペースの効率が悪く、部品点数や精度管理など生産効率に関する制約が余りにも多かったことから、70年代に入ると市場競争力では不利になりました。
ついに1974年に、よりモダンで穏健な設計の“CX”が、DSの後継モデルとして発売開始されました。一時は並列製造販売されましたが1975年にDSは主力生産を終了し、翌1976年には救急車などの特装車も生産を終了したのです。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBCX

シトロエンCX

スタイリング

出典:http://amicale-citroen.de/2015/60-jahre-ds-duesseldorf/

ボディデザインを手がけたのは、シトロエンの社内デザイナーでイタリア人のフラミニオ・ベルトーニです。トラクシオン・アヴァンや2CVのデザインもベルトーニの作品です。ボディ自体は応力を負担せず、走行に必要な強度をもたせた骨格の外側にパネルを装着する“スケルトン構造”が特徴です。当時まだ梯子形フレームを用いてボディを別構造にしていたアメリカ車などに比べると、軽量化と剛性確保は十分に配慮されています。
ボディパネルは部位によって素材が使い分けられ、ボンネットフードはアルミ製です。屋根部分は強度部材である必要はないので、低重心化を狙って当時最新の素材であったFRP(繊維強化プラスチック)が使われています。DSのすぐ後に発売されたスバル360も同様の手法が使われています。初期の屋根は色が薄く、部分的に日光を透過するほどでしたが、徐々に不透過性に改められています。

宇宙船の完成

出典:http://www.mad4wheels.com/models/1954_Citroen_DS/detail_image.asp?id_pic=194592

ベルトーニは、トラクシオン・アヴァンのスタイリングを変えながら、さらに極度に徹底して流線型にすることでDSのデザインを作り上げたと言われていますが、最終的には他のあらゆる自動車と隔絶し、“宇宙船”とまで評されるデザインを作り上げました。1955年時点においてもっとも進歩した空力デザインの一つと言えます。
箱形断面形状のサイドシルがあるので、下膨れデザインにせざるを得なかったのでしょう。サイドウインドウは平面ガラスが使われているものの、前後で角度を持たせてデザイン上の破綻を回避しています。サッシレスドアやモールレスデザインも当時としては他に例がありませんでした。

例を見ない程の先進デザイン

先端は低く尖ったグリルレス・デザインで、半分埋め込まれたヘッドライトとあわせて空気抵抗の抑制に寄与しています。これを“牡蠣のような”と表現した小説もありました。1950年代には、スポーツカーでもこれほど思い切ったデザインはなく、ラジエーター・グリルが権威を伴った装飾だった時代に4ドアの大型乗用車でありながらグリルがないその外観は人々にとっては驚嘆の対象だったようです。

量産を見据えた工夫も

出典:http://jp.autoblog.com/2014/04/19/secret-citroen-stash-paris-xcar-video/

ルーフとトランクは後方へと低く垂れ下がり、テールは細くすぼまっていて、テールライトがコンパクトに収められています。フロントウインドシールドが垂直に近く立っているのは、数少ない“時代相応”な部分と言えます。ドアは窓枠のないサッシレススタイルにしてスマートに仕上げられ、気密性は車体側のゴムシールで確保することでモールレスも実現しています。これも当時としては大胆な手法と言えます。
幅の広いCピラーは横縞の入ったアルミ板で覆われ、デザインのアクセントになっています。ルーフ後端とリアウィンドの段差は、空気の渦を抑制する役割を持ちながら、チリ合わせに苦労しないようにと生産性を配慮したデザインです。
スケルトン構造を生かし、許容される隙間をやや大きく取ってゴムブッシュとメッキモールを適所に用いることで、パネルの継ぎ目を曖昧にして細かなチリ合わせの必要がないデザインに仕上げられているのは、巧みな生産性向上のための対策でしょう。
トランクフードが開いた状態でも運転席からの後方視界を妨げないように設計されいますし、リアフェンダーは整備性を考慮してボルト1本を外すだけで簡単に脱着できるようになっています。

大型車ゆえの工夫も

フロントバンパーは大きな曲線を描いていて、その先端にはオーバーライダーが装備されています。これは、ステアリングをいっぱいに切ったときにバンパーが描く円周上に装着され、オーバーライダーが前方車両に触れていなければ駐車位置からそのままバンパーを前方にぶつけることなく脱出できる目印になっています。外見とは裏腹に小回りが利いたのです。リアのCピラー上部に装備されたリアウインカーランプは設置場所こそ風変わりに見えますが、後続車からの視認性は高く実用的と言えます。このウインカー外部はDSのステンレス製に対してIDでは赤プラスチックでしたが、1960年以降はDS・IDともに同一のステンレス製に変更されました。

インテリア

出典:http://bestcarmag.com/gallery/1967-citroen-ds/page/15

1955年当時では、内装用の材質として一般的ではなかったプラスチックやビニールを多用しているのも特徴のひとつです。しかもベージュや白系統など、従来では考えられなかった大胆な色遣いも取り入れ、材質の弱点を目立たせない工夫が施されていた点も、高度なインダストリアル・デザインだったと言えるでしょう。
またダッシュボードは連続した曲面デザインで構成され、1本スポーク支持のステアリングとともにモダンな印象になっています。残念ながら1969年以降の後期形は、黒系統・直線基調のビジネスライクなダッシュボードに移行してしまいました。

高級家具かリムジンか

シートにはウレタンフォームを大量に使い、表皮にはベロア系生地を使った贅沢な構造です。ソファーのように身体が沈み込むゆったりとしたシートと、ハイドロニューマチック・サスペンションとの組み合わせで、“雲に乗っているよう”とか“豪華客船のよう”などに例えられる独特の乗り心地です。
車内は広くゆとりがあり、そのままリムジンとして通用するレベルなんです。後にはグレードによってシート生地にビニールレザーが使われ、“パラス”など上級モデルでは革張りシートもオプション設定されました。
1973年から、北米仕様と日本仕様にはヘッドレストの装備が義務付けられたので、シトロエン・オリジナルのヘッドレストが少数生産されました。

ステアリングに込められた想い

ステアリング・ホイールの1本スポークの位置には「厳密な指定」があります。正面衝突の際にステアリングにぶつかったドライバーを、車内中心方向に逃すためです。左ハンドル仕様車では、直進状態で時計の“8時”の位置、右ハンドル仕様車では“4時”の位置が正解です。

モデルバリエーション

上述した“スケルトン構造”のおかげでボディ形状の変更は容易でした。欧州では人気のステーションワゴンや、オープンボディがつくられました。

ステーションワゴン

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS

1958年、IDをベースにしたワゴンモデルが発表されました。屋根を高めにして、上下2分割のテールゲートと両側のフィンにテールライトを縦に並べたデザインは、当時のアメリカ製ステーション・ワゴンの影響が見てとれます。
後部座席のバリエーションによって名称が分かれていました。
●コメルシアル(Commércial)2列5人乗りで後席を折り畳み仕様にした商用車
●ブレーク(Break)コメルシアルの荷室に横向きのジャンプシート2座を追加したもの
●ファミリアール(Familial)3列目に3人がけシートを装備して8人乗りとした大家族向け
ワゴンモデルは、IDベースのほかにDSベースのバージョンも追加され、機能性の高さと長距離走行に適した性能から1975年の生産終了までその期間を通じて高い人気を保ったいました。イギリスでは“サファリ(Safari)”の愛称で販売され、イギリス車にはほとんど類例のないキャラクターから高級ワゴンとして人気がありました。
ハイドロニューマチックの恩恵として自動車高調整機能を有するDS/IDのメカニズムは、ワゴンモデルには最適と言えます。車高調整機能を駆使すれば、停車中には車高を下げることで荷室床面を低くして、荷物の積み卸しをしやすくすることも可能です。
またコメルシアルをベースに、後席を2:1可倒式にして担架を搭載可能にした救急車仕様の“アンビュランス”も製作され、患者搬送のような用途にもDSの優れた乗り心地が威力を発揮することになったのです。DSのデザイナー、ベルトーニは1964年2月に脳溢血で急逝してしまいましたが、このとき彼を病院に搬送したのは外ならぬDSの救急車だったそうです。

オープンボディ

出典:https://www.classicdriver.com/en/article/driven-citro%C3%ABn-ds-d%C3%A9capotable

1958年頃から、フランスのカロシェ(=カロッツェリア・ボディ架装工房)であるアンリ・シャプロン等が、DSをベースにした豪奢なオープンモデル“デカポタブル (Décapotable)”を受注生産するようになりました。もともと強固なフロアパネルによって剛性を確保しているDSは、屋根を切り取っても補強する必要がなく、またスケルトン構造のおかげでデザインの自由度が高いことを生かしたアイデアです。

シャプロンの架装したデカポタブル・ボディは、ベルトーニのオリジナルDSデザインの美点を巧みに生かした秀逸なものでした。長大なボディとホイールベースをそのままに客室部を縮めて、2+2の座席を合わせた贅沢なレイアウトは、戦中・戦後の高級車への禁止税的税制によって軒並み壊滅してしまった往年のフランス車、ブガッティ、ドライエ、ドラージュ、ヴォワザン、サルムソン、タルボ等々を彷彿とさせ、非常に魅力的なスタイルです。シャプロンは、戦前フランス製高級車のボディ架装を多く手がけた名門カロシェです。

高級車メーカーが過去のものとなった1950年代後半のフランス自動車界には、量産車と一線を画したステータスのある高級車は、唯一クライスラーV8エンジンを搭載したモンスター的豪華車“ファセル・ヴェガ”しか存在しませんでした(そのファセルも1964年に倒産)。それゆえDSデカポタブルは、フランスの上流層から歓迎されたのです。
当初シトロエンの正規モデルではなかったものの、その好評ぶりに対応するかたちで1960年には正式なカタログモデルになりました。架装はもちろんシャプロンが担当しました。DS21に移行した後も実質の後継車となるマセラティV型6気筒エンジン搭載の高級クーペ“シトロエンSM”が発売された直後の1971年まで、合計で1,375台が限定生産されました。価格はDSの2倍という超高額でした。
アンリ・シャプロンは、デカポタブルの他にリムジン仕様とも言うべき“DSプレスティージュ(Prestige)”も製作しています。前後席の間にガラスの仕切りを入れ、エア・コンディショニングやステレオを装備した特装形で、価格はDSの2~3割増程度に抑えられていたので、公用車やハイヤーなどに好んで用いられました。

大統領とDS

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%83%88%E3%83%AD%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%83%BBDS

DS/IDは、フランス政府機関の公用車として広範に使用され、常用する政治家も多くいました。中でもフランス第五共和国大統領シャルル・ド・ゴールはDSの愛用者の一人で、あらゆる公式行事に際してDSを利用したことで知られています。
ド・ゴールのアルジェリア政策に反対する過激な右派軍事組織「OAS」は、彼の暗殺を企てて1962年8月22日、パリ郊外の路上で移動中のド・ゴール夫妻のDS19を機関銃やサブマシンガンなどで襲撃したのです。弾丸はド・ゴールの頭をかすめ、リアガラスを砕き、ボディに穴を開け、片方の後輪をパンクさせましたが、DSはハイドロニューマチック・サスペンションおよび前輪駆動による無類の安定性と運転手の優秀なテクニックによって、残る3輪で疾走を続けながら速やかに現場を脱出できたと言います。ド・ゴール夫妻は無傷で、OASの襲撃は失敗に終わったのでした。DSの特異なメカニズムが、結果として国家元首をも危機から護ったのです。
このエピソードは、フレデリック・フォーサイスの小説をフレッド・ジンネマン監督が映画化した“ジャッカルの日(1973年)”の冒頭でリアルに再現されています。なお本作冒頭では、閣僚を迎えるために官邸の車回しに漆黒のDSが並ぶシーンを見ることもできます。

大統領専用リムジン

出典:http://www.autobild.de/klassik/bilder/citroen-ds-21-presidentielle-3525694.html#bild1

1968年11月、車体を大型化して防弾・装甲装備を大幅強化した、大統領専用の特別型DS“プレジダンジェル”が作られました。任期末期のド・ゴールに続いて、後継大統領のジョルジュ・ポンピドゥも使用しました。
アンリ・シャプロンによる架装のこのスペシャルは、直線的ディテールを随所に取り入れた一種独特のスタイルを持つ風変わりなリムジンでした。全長6,530mm、全幅2,130mm、ホイールベース3,780mmというアメリカ製リムジンに匹敵するサイズで、総重量は2,660kgに達しました。厚い防弾ガラスを装備するため、一般のDSのようなサッシレスドアではなくサッシ付きのドアになりました。
エンジンは同時期のDS21用、2,175ccで4速仕様ですが、この車の目的から低速での長時間走行を想定したギヤ比になっています。発電機とバッテリーは2系統(35A×2)あって、一方は後席エアコン専用です。
構造は本格的なリムジンそのもので、運転席と客席の間は曲面ガラスで区切られ、客席中央に随行員用の折りたたみシートが備わっていました。後席にはバーとハッチが装備され、2本のボトルとグラスが用意されています。
車体先端両脇には国旗を立てることが可能で、バンパーには照明が装備されていました。普段は右側に自国旗(フランス三色旗)が立てられますが、外国からの国賓乗車時には右に相手国旗が立てられるためフランス国旗は左側に立てられます。また、ボンネット先端部には同心円トリコロールの飾りが付いています。
外装はド・ゴール夫人の趣味により、グレー系のツートーン(ボディ:Alizé Grey・ルーフ:Silver Grey)に塗装されていました。

ラリーでの活躍

出典:http://blogs.yahoo.co.jp/hrysd/GALLERY/show_image.html?id=61543161&no=3

アンダーパワーかつ巨大な図体でパワーや小回りを活かした機動性とは縁のないDS/IDシリーズですが、実は多くのレースやラリーに出場して好成績を収めています。前輪駆動と低重心構造による高い操縦安定性と、ハイドロニューマチックによって確保されるサスペンションのしなやかさは、ラリー・フィールドにおいて大きな長所でした。
プライベーターたちの手で、1956年からモンテカルロ・ラリーに出場しています。1959年にはポール・コルテローニがドライブするほぼノーマル状態のID19が優勝しています。1960年からはシトロエンのワークス・チームがDSで活動を開始しました。優勝こそ多くなかったですが、多くのラリーで上位入賞する好成績を挙げています。
1963年のモンテカルロで総合2位、1964年のアクロポリス・ラリーで2位など、より強力な競合チームと互角の戦績を残しているのです。
1966年には高速型の新型エンジンを搭載したDS21が登場し、ラリーにも投入されました。この年のモンテカルロ・ラリーでは、パウリ・トイポネンのDS21が総合優勝していますが、実は上位を独占したイギリスのBMCミニ・クーパーSが「灯火レギュレーション違反」という理由で失格になったために4位のDSが繰り上げ優勝となった“タナボタ”優勝でした。
この時期になると競合チームの性能向上も著しかったことから、シトロエンはDSのラリー・フィールドを北アフリカ等での耐久レースに移行させました。もともと長距離走行を得意とするDSは、モロッコ・ラリーなどの過酷な環境でタフさを発揮したのです。
1969年には、DSの全長をホイールベースともども強引に大幅短縮し、低いルーフのクーペボディにした軽量なスペシャルが製作されました。このDSクーペは1969年のモロッコ・ラリーでデビューし、従来型DSとともに上位を独占するという成功を収めました。DSによるラリー活動は、生産期間最終期にあたる1970年代中期まで続けられました。

最後にまとめ

いかがでしたか。ある意味シトロエンが一番良かった時代かもしれません。当時考えられる最新技術を結集した最高の量産乗用車です。最近はすっかり姿を見なくなりましたが、現代でも十分通用する能力を持っていると思います。そういえば、SMAPの稲垣さんが所有しているので、若い人でもご存知かもしれませんね。20世紀の名車ランキング第3位(ちなみに1位はT型フォード、2位はBMCミニです)の実力を体感できる機会はないかもしれませんが、いつか出会えることを期待しています。