ジオット キャピスタ〜バブルと消えた国産スーパーカー

1986〜1991年のバブル期はスーパーカーブームが起こり、これまでで1番たくさんのスーパーカーが輸入された時期でもあります。また、ホンダを筆頭に日本の自動車メーカーがエンジンサプライヤーとして競ってF1に参戦してF1ブームが起こったのもこの時期です。国内の好景気に支えられて日本企業が様々なことに挑戦をした時代でした。

夢の幕開け

日本がバブル景気で沸く1988年1月に女性下着メーカーのワコールからワコール・スポーツカー・プロジェクトとして国産スーパーカー・ジオット キャスピタの計画が発表されました。この計画の生みの親である林みのる氏は国産レーシングカーの製造会社童夢の社長であり、世界的に有名なル・マン24時間耐久レースをはじめとして国内外で活躍をしていた日本レース界の重鎮でもありました。またそのエンジンはスバルがイタリアのレースエンジン専門メーカーと共同開発したF1専用エンジンを搭載する予定で、ワコール、童夢、スバルという日本でも有数の企業3社が「公道を走れるF1」を目指して立ち上げた国産スーパーカーの市販計画だったので、当時は大きな話題となりました。

ジオット キャスピタって?

・エンジン名称:スバルMM NA 
・エンジン機構:水冷水平対向12気筒 60バブル 3,497cc 
・出力:585ps/10,750rpm 39.2kg-m/10,500rpm
・変速機:マニュアル6F-1R
・車体:CFRP(カーボンファイバー)モノコックボディ 
・定員:2名
・最低地上高:油圧可動式 レース時・70mm/一般路速行時・130mm
・タイヤ:F/245/40ZR17  R/335/35ZR17
・全長×全幅×全高:4,534mm×1,996mm×1,136mm 
・重量:1,240kg

(第28回 東京モーターショー・スバル参考出品車)

現在、この1号車は石川県小松市にある日本自動車博物館に展示されています。

華やかなバブル時代

他にもあった国産スーパーカー

同じ時代に市販化された国産スーパーカーの代表といえば初代ホンダNSXです。この車も1989年に発表され1990年に市販が開始されました。その後幾つかのマイナーチェンジを繰り返しながら2005年の販売終了まで15年間に渡って唯一成功を収めた国産スーパーカーと言えるでしょう。日本の市販スーパーカーの歴史はNSXの歴史と言っても過言ではありません。そして待望の2代目NSXが10年以上の時を経て今年の春に販売予定されています。楽しみですね。

F1ブーム真っ盛り

そしてF1ブーム真っ只中の日本で絶大な人気を誇っていたマクラーレン・ホンダを駆るアイルトン・セナが1990年に鈴鹿サーキットで2度目のワールドチャンピオンの栄冠に輝いた年でもありました。

このグリーンのマシンは1990年のシーズンに活躍したF1「ベネトンB190」というマシン。ちなみにドライバーはワールドチャンピオンの栄冠を3度も手中に収めネルソン・ピケというブラジル出身のドライバーです。イタリアのアパレルメーカー名を冠したチームで、F1同様にビビットカラーのポロシャツが当時は大流行していました。

公道を走れるF1

さらば〜スバルよ〜

計画発表の翌年1989年春には正式にジオット キャピスタと命名されて、9月には1号車が完成してテスト走行も実施されました。また10月に開催された東京モーターショーでは富士重工業(株)のブースに参考出品されて市販に向けて順調に計画が進んでいる様に見えました。ところが、年が明けた1990年からエンジンサプライヤーとしてF1に参戦したスバルは期待した成果を上げられずにシーズン途中で撤退を表明してF1エンジンの開発・供給中止の決定を下しました。その結果ジオット キャピスタは搭載するエンジンを失うという事態に陥りました。

最高峰へのこだわり

そんなスーパーカーやF1で華やかなニュースが飛び交っている中で、エンジンの供給先を失ったジオット キャピスタは搭載可能なエンジンとして日産V6ターボやホンダ製F1エンジンなど検討が行われまたが、最終的にイギリスのエンジン・ディベロップメント製のF1用ジャッドV10エンジンが選ばれた。しかし、スバルのエンジンが水平対向エンジンだったのでV型エンジンを搭載するための設計変更の必要があり、ボディデザインも市販化に向けて一部修正されました。

・エンジン名称:ジャッドGV
・エンジン機構:72°V型10気筒 DOHC50バルブ 3,497cc
・出力:585PS/10,750rpm 39.2kgm/10,500rpm

当時の国土交通省が定めた保安基準に合わせてドアミラーは固定式、フロントの可動式スポイラーや2灯プロジェクターランプは廃止された。ボディカラーは1号車のシルバーに対してクリーム色に塗られた2号車の画像は下記URLでご覧下頂けます。

https://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/e/e4/Osaka_Auto_Messe_2014_%2866%29_JIOTTO_CASPITA.JPG

夢の終焉

エンジン問題をクリアして計画は進められていましたが1991年頃からバブル終焉の予兆が見え始め、国産スーパーカーを市販しても採算が取れるような状況ではなくなりつつありました。そして1992年に2号車が完成し、1993年には国内のナンバープレートを取得した状態で再公開されましが、同時に市販計画の中止も発表されました。設立した販売会社のジオット(JIOTTO)はイタリアの画家ジョット・ディ・ボンドーネの名前にちなんで付けられ、車名のキャスピタ(CASPITA)はイタリア語で"驚き"をあらわす感嘆詞を使ったそうです。

そしてエンブレムは始祖鳥をインカ文明風にアレンジしたそうですが、その歴史を擬える様に世界で1台だけの国産スーパーカー(2号車)は遺跡として滋賀県米原市にある童夢の風洞施設「風流舎」内の倉庫に眠っています。