【ランボルギーニ カウンタック】今も光るその存在感と価値に注目!

ランボルギーニ カウンタック。往年のカーマニアやスーパーカーファンなら、それを見かけた街角で、思わず駆け寄った記憶があるでしょう。まさに、70年代スーパーカーの代表格なのがこの車です。現在生産されている、ランボルギーニのスーパースポーツカーたち、その原点にあるとも言えるのが、カウンタックと言う存在です。今回は、今も光り続けるスポーツカー界の一大アイコンを振り返ります。

カウンタック、そのルーツ

今も、スーパースポーツカーだけを作り続ける、イタリアはランボルギーニ社。カウンタックの生みの親であるこの会社の歴史は、1963年、すでにトラクター製造業で一財をなしていた、フェルッチオ・ランボルギーニによって操業されたところからはじまります。彼が掲げたそのビジョンは、「フェラーリと肩を並べるようなラグジュアリースポーツカーを生産する事。」
彼らにとって最初のプロトタイプ(350GTV)から、そのエンジンは当然のようにV12気筒が採用されていましたから、フェルッチオのスポーツカーに対する妥協を許さない姿勢が見られます。そして、カウンタックの前進である、ランボルギーニ ミウラ(これも特別な存在感のある逸品です)が、1960年代の中盤にすでにV12気筒エンジンをミッドシップ(搭乗者の背後に搭載)マウントする車として発表されていましたから、歴史の上でも、ランボルギーニ社は世界のスポーツカー市場をけん引してきた、特別な存在であると言えるのです。現在に至るまで、幾多の名車をリリースしてきた同社にとっても、ランボルギーニ カウンタックは、一つの時代に一つの頂点を極めた、アイコン的な存在と言っても過言ではありません。
この野心的なスポーツカーのことを思うとき、たとえその人が車好きでなくとも、フェルッチオ・ランボルギーニの思い入れを感じ取らずにはいられないことでしょう。

1971年ジュネーブモーターショーでの鮮烈な出来事

先に書きましたとおり、ランボルギーニ社は、1960年代中盤には、非常に先進的なスーパースポーツカー、ランボルギーニ ミウラを持っていましたし、この車の売れ行きも非常に好調で、同社にとっては大きな収益源となっていました。しかし、フェルッチオ・ランボルギーニのスポーツカーに対する思い入れは、彼の会社をその位置にとどまる事を許さなかったようです。
1971年のジュネーブモーターショー、走行性能的には最終型ともいえるミウラSVを展示した同社は、それとともに後継車種となる新車、ランボルギーニ カウンタックを展示したのです。マルチェロ・ガンディーニが描いたその姿、デザインコンセプトは、今も当時も、ある種、異様とも呼べる斬新なもので、まさに未来からやってきたスーパーカーを具現化していました。そんなカウンタックLP500は、本来SVに与えられるはずだった、このショーでの主役の座を、あっさりと奪い去ってしまったのです。

ミッドシップ、そしてスポーツカーとは?

現代では、タイヤ、サスペンションのジオメトリー、さらにもっと積極的な車体姿勢制御の技術(ランボルギーニ社にもこの技術はあります)が進歩していて、高速道路も含めた私たちの日常的な運転では、特別な不安を抱くことはまったくありません。しかし、自動車に移動の手段以上の楽しみを求めた時その先にある一つのゴールは、ランボルギーニなどにみられるミッドシップ・スポーツカーなのです。
ここでは、フェルッチオ・ランボルギーニが追い求めたその姿について、少し考えてみましょう。

ミッドシップレイアウト、エンジンの最適な置き場所

自動車は、真上から見たとき長方形に見える金属の箱で、普通に考えても1トンから1.5トンあるその箱が、たとえば伊豆や箱根のワインディングロードを、時速60キロメートル程度の速度でも快適に移動し続けなければなりません。思い返せば、これだけだってとても凄い事です。そして、1.5トン(場合によったらもっと重い)の重量の大部分は、当然のことながら一番複雑な機構であるエンジンによって占められています。自動車をスムーズに動かすというのは、このエンジンを動かす、いや、振り回すということにほかなりません。
ここで、金づちを振り回す時を思い浮かべてみましょう、通常通りに柄の部分を握って振ると、当然、頭についた金属の重みを手首に感じて、さほど長くかからない時間のうちに疲れや痛みすら感じるでしょう。では次に、(使い方としては間違っていますが)金属の部分をつかんで、柄を振り回すことを想像してみましょう。少なくとも、感じる重みはかなり軽減され、はるかに楽に振り回すことができるはずです。
車に例えると、前者はボンネットの中にエンジンを搭載する、フロントエンジン車、後者は運転席の後ろにエンジンを搭載する、ミッドシップ車と考えることができると思います。自動車は、かならず前輪からコーナーなどでの旋回運動を始めます、つまり、前方にエンジンの重量を抱えることは、どうしても車の運動性能にはマイナスの要因になるわけです。ミッドシップマウントは、道路上で回転(旋回)運動をする車の中心部分に、もっとも重い機構(エンジン)を置くことで、その運動性能を最大化するという設計思想なのです。

ミッドシップの種類、縦置きと横置き

F1も、ル・マンやWECを走るLMPカーも、モータースポーツ用に専用設計された、ほぼすべてのレーシングカーが、ミッドシップレイアウトを採用しています。しかし、ランボルギーニなどのスーパースポーツカーは別格としても、現在市販されている日本車を見渡した時このレイアウトは非常に稀です。それは、この方式を市販車として成り立たせるには、さまざまな障害を生み出すレイアウトだからです。一番重く、そして多分一番大きな部品、エンジンを、運転席の後ろに置くと、後席二つを犠牲にするという以上にレイアウト上で邪魔な存在になります。
そして、その邪魔者を置くにも、エンジンのシリンダー(燃焼室)の並びを、車体の向きと同じ方向に置く、縦置きと、車体の向きと直角に置く、横置きという二種類の方式があります。ランボルギーニ ミウラは横置きでした。(ホンダの旧型NSXやS660も横置きミッドシップを採用していますね)なぜかといえば、大きなエンジンを車の中心あたりに縦に配置してしまうと、どうしても車体の長さを必要としてしまい、運動性の向上を求めていたはずなのに、本末転倒となってしまうこともあるからです。
しかも、フェルッチオ・ランボルギーニには、V12気筒エンジンに対する確固たるこだわりがありました、V12エンジンは、さまざまな方式と比べて見てもいわば最も長さのあるエンジンタイプ、それを縦置きミッドシップに配置すれば、車の前後のレイアウトに相当な負担をかけることになるのは、容易に想像できる話です。そんな訳で、横置きを採用したミウラでしたが、今度は、横置きならではの技術的な困難に直面します、そういったいくつもの欠点を払しょくし、完全に生まれ変わらせた後継車種が、思い切ってエンジンを縦置きミッドシップにした、ランボルギーニ カウンタックだったのです。

エンジン=熱の発生源をどうするか?

エンジンは、強烈な熱の発生源であり、相当量の冷却を要求します。空冷でも水冷でも、最終的には外気に熱を逃がすことになる訳ですが、エンジンを車体の後方に置けば、当然ながら風の当たり具合が悪くなります。F1など、レース用のフォーミュラーカーは、ドライバーの座席の両脇、前輪と後輪の間にぷっくりと膨らんだ部分がありますが、あそこには大きなラジエーターが収まっていて、さらにその部分へ、前方から空気を積極的に取り入れられる構造を追及することで、エンジンからの巨大な熱を処理している訳です。
しかし、たとえカウンタックが、究極のスポーツカーを目指したとしても、フォーミュラーカーと同じ冷却方式を採用するのは、到底無理なこと、ですから、1971年のジュネーブでお披露目されたプロトタイプ、カウンタックLP500も、市販化までの段階で、冷却問題を解決するのにかなり手間取ったといいます。結果、いよいよ市販化されたカウンタックは、排気量を縮小したLP400になりました。

ランボルギーニ カウンタック、その車種バリエーション

エンジンはV12、それを縦置きミッドシップにすえた車体に、四輪ダブルウィッシュボーンサスペンションを採用したランボルギーニ カウンタックは、非常に人目を惹くガルウィング式のドアも含めて、発表当時から先進的なスポーツカーの象徴でしたが、フェルッチオ・ランボルギーニのスポーツカーに対する思い入れは、当然のことながら、この車にも幾多の改良を加えてゆきます。それは、現在のウラカンなどへと通じる、過激ながらも洗練されたスポーツカーの系譜を形作ってゆくことになるのです。
一つ一つの製品に、あふれかえるばかりのフェルッチオの情熱とこだわり、ここで、歴代カウンタックのバリエーションを振り返ってみましょう。

カウンタックLP500

1971年ジュネーブモーターショーで発表され、スポーツカーの歴史にも大きなインパクトを与えたプロトタイプは、LP500と呼ばれ、エンジンの排気量は4,971 cc、その出力は440 馬力/7,400 rpmで最大トルクは51.0 kgm/5,000 rpmを発揮。それを搭載する車体は、重さ1,130 kg、全長4,140 mm、全幅1,890 mm、全高1,029 mmです。2,450 mmのホイールベースの間に、運転座席とエンジンを積み、さらにスペース他の問題を解決すべく、トランスミッションをエンジンの前方に搭載しています。
このミッション配置は、シフトレバーとギヤボックスの間のリンクを最短としたため、先代のランボルギーニ ミウラが抱えていた、ギヤチェンジのぎこちなさをも解消して、スポーツカーとしてさらなる進化を遂げている車となりました。

カウンタックLP400

1974年に、いよいよ市販化された、記念すべき本当の意味での最初のカウンタックは、LP400のコードネームを与えられました。もちろん、基本パッケージはLP500と同じながら、エンジンは、排気量3,929 cc、最大出力375 馬力/8,000 rpm、最大トルク36.8 kgm/5,500 rpmへと縮小されて登場しました。その分、車体重量は1,065 kgに削減され、サイズは、全長4,140 mm、全幅1,890 mm、全高1,070 mmとなっています。さまざまな技術課題を乗り越えて市販化されたこのモデルは、結局、150台生産されたのだそうです。

ウォルター・ウルフ・カウンタック

カナダの石油王にして、F1チームを所有してもいた人物、ウォルター・ウルフが、LP400を自身の手でカスタマイズしたバージョンがあり、ウォルター・ウルフ・カウンタックという希少な存在として、ファンの間で語られています。これは、オーバーフェンダーやリヤウィングなどを交換したバージョンとなっていて、3台のみ製作されたと言います。

カウンタックLP400S

ウォルター・ウルフ・カウンタックは、1978年に市販バージョンとして正式に登場しました、そのコードネームはLP400S。車体全長はLP400と同じ4,140 mmですが、全幅は1,995 mmとややワイドに、また、全高はLP500と同じ1,029 mmまで下げられ、ホイールベースは2,443 mmと、LP400より7mm短縮されてもいます。ただ、ドレスアップのためか重量は1,351 kgとやや重くなっており、搭載されるエンジンは排気量3,929 ccのままでも、最大出力353 馬力/7,500 rpm、最大トルク37.0 kgm/5,000 rpmと、やや、マイルドな方向性にチューンされています。最終的に237台が生産されました。

カウンタックLP500S

1982年になると、いよいよプロトタイプと同じ排気量4,754 ccのエンジンを持ったカウンタックLP500Sが市販化されました。その最大出力は375 馬力/7,000 rpmと、LP400と同等ながら、最大トルク41.7 kgm/4,500 rpmを発揮する、力強いモデルとなっています。北米用に輸出されたタイプにのみ、キャブレターではなくKジェトロニックのインジェクションが組み合わされました。それが搭載される車体は、全長4,140 mm、全幅1,995 mm、全高1,029 mm、ホイールベース2,443 mmで、重量は1,490 kgというスペックです。
ボディーと内装をLP400Sから引き継いで、エンブレムのみが5000Sとなっているのが、このカウンタックLP500Sで、ちなみに、このLP500Sまではエンジンの各シリンダーに吸気と排気バルブを一つずつもった、2バルブ形式を採用していました。総生産台数は324台です。

カウンタック5000QV

1985年になると、カウンタックにも4バルブ化の時代が訪れます。エンジンの各シリンダーバルブを、吸気2、排気2として、エンジンを通る空気の効率を高める技術です。フェラーリ・テスタロッサに対抗してリリースされた、その先進的なカウンタックは、5000QVと呼ばれます。(Qはクワトロ、Vはバルボーレ、4バルブの意味です)
その形式だけでなく、排気量を5,167 ccにアップされたエンジンは、最高出力455 馬力/7,000 rpm、最大トルク51.0 kgm/5,200 rpmを発揮し、全長4,140 mm、全幅2,000 mm、全高1,070 mm、そしてホイールベース2,500 mmのボディーに搭載されています。車体の重量は1,490 kgでした。総生産台数は632台です。

25thアニバーサリー

1988年に、ランボルギーニ社は創立25周年を迎え、それを祝ってリリースされたバージョンが、25thアニバーサリーです。車体サイズおよび、エンジンの排気量と出力は、5000QVと同様(5,167 cc、455 馬力/7,000 rpm、51.0 kgm/5,200 rpm)ながら、ドレスアップのためか重量が1,680 kgと、やや重くなりました。しかしながら、657台と最も多く生産されたのがこのバージョンであり、それゆえ、現在中古車市場で最もよく見かけるタイプのカウンタックとなっています。

カウンタックの中古車って、まだあるの?

すでに生産終了となっているランボルギーニ カウンタックですが、いまだに特別な思い入れを持ったファンも多いのが、このスーパーカーです。その逸品、実際に手に入るのでしょうか? 新車がないので中古車市場を見てみると、思ったより数はあるように感じられはします、そして、そのバージョンはやはりアニバーサリーが多いようですね。逆に、市販化第一号のLP400は、手に入らないと思ったほうがよさそうです、なんと言っても、1974年の製品ですから、普通に考えても相当なクラシックカーになってしまいますから、仕方ありません。ちなみに、最近生産されている他のランボルギーニ車とは違い、中古市場では価格が応相談となっている事がほとんどで、やはり、現在となっては、実車の存在自体が貴重で付加価値のあるものとなっていると思われます。

まとめ

そのスポーツカーに対する熱い思い入れで、ランボルギーニ カウンタックを生み出したフェルッチオ・ランボルギーニは、しかし、1972年にこの会社の株式のほとんどを、スイス人投資家のジョルジュ-アンリ・ロセッティに売却し、事業の運営から手を引いて行ってしまいます。その頃、活発化してきた組合による労働争議にゆすぶられ、自分なりのやり方に一つの限界を感じたからでした。
しかし、彼がさった後も、ランボルギーニ社は情熱あふれる本物のスポーツカーを開発・製造しつづけています。ディアブロからムルシエラゴ、そして最新のウラカン LP 610-4と続く、自動車ファンを魅了する純スーパースポーツカーの血統、その最初の起源となったのが、まさにランボルギーニ カウンタックという革命的な車だったのだ、と言えるのでしょう。

暴れ牛ブランドのオーナーとそれを愛する人専用のランボルギーニオフィシャルウェブサイト:ランボルギーニの最新ニュースとイコン的な車をご覧ください。