【名車】乳母車と呼ばれた「シトロエン2CV」はフランス合理主義の塊だった

わずかなパワーで4人乗り、1936年には基本的な構想がまとまり戦後1948年から1990年まで生産された「シトロエン2CV」。可愛らしいシルエットからファンの多いクルマですが、その中身は先進的な取り組みと徹底した合理主義により小馬力に見合った軽量化と大人4人が乗れる広さを両立した名車です。今回は2CVの中身の凄さについて迫ってみたいと思います。

フォルクスワーゲン・ビートルに匹敵する大衆車「シトロエン2CV」

この2CVが今でも人を魅了してやまないのは、そのクラシカルでユニークなフォルムだけではなく、当時としては画期的な発想を数多く取り入れた上に、2CVという全くもってローパワーなエンジンながらもシンプルかつライトウェイトに抑えるための構造で走行性も高く、またファミリーでも乗ることができた居住性、そしてローパワーゆえの高い経済性に裏打ちされたものだったのではないでしょうか。

ナチス・ドイツの占領から開放された第二次世界大戦後のフランスでは不動の「国民車」としてのポジションをしめ、他のヨーロッパ諸国でも受け入れられた愛すべき存在でしたし、フランス車、そしてフランスという国を象徴するかのような存在になったシトロエン2CVは、1948年の発売から、フランスから生産を引き継いでいたポルトガルでの最終生産になる1990年まで、大きなモデルチェンジもなくトータルで387万2,583台が生産されたと言います。また、基本設計の優秀さを示すように、2CVの基本構造をベースに使った派生モデル数車種の生産量も合計124万6,306台と桁違いに大きな数字になっています。この派生車両を除外しても、単一モデルとしては世界歴代の多々あるクルマの中でも屈指のベストセラー車であり、ロングセラー車となっているのです。

デビューは惨憺たる結果に

しかし、この2CVが最初から大衆ウケしていたとはとても言えなかったのです。シトロエン2CVのデビューは1948年10月7日にフランス最大のモーターショー、パリ・サロンで発表されました。

この時、マスコミや観客はベールの奥にある新車発表に固唾を飲んで待ちわびていました。そして、当時のシトロエン社長、ブーランジェによる紹介の後、ニューモデルの「シトロエン2CV」が除幕されたのです。しかし、詰めかけていたマスコミや観客の反応は「呆然」というのに等しかったようです。その理由は、あのフォルムです。その場には時のフランス大統領、ヴァンサン・オリオールも立ち会っていたのですが、その状況に困惑しきりだったと言われています。

乳母車、缶詰めと哂われた「シトロエン2CV」


既にライバルのルノーは「4CV」で750ccクラスのRR方式大衆車を、もう一つのライバル、プジョーは「203」で更に上の1,300ccクラスのクルマをデビューさせていて、第二次世界大戦後のオーソドックスなスタイルを見せていました。そこに登場した2CVが余りに奇抜なスタイルだと見られたようです。その結果、多くの人達から「醜いアヒルの子」や「乳母車」と2CVを揶揄する声が聞かれ、パリサロンにいたアメリカ人のジャーナリストからは「この『ブリキの缶詰』に缶切りを付けろ」と酷評すらしたそうです。

戦後の動乱期というのは日本に限った話ではなく、ドイツ占領から解放されたフランスでも、この時期に一山当てようと珍妙なバブルカー(超小型車)が幾つもの新規に立ち上げられた中小メーカーから売り出され、どれもが技術的な素地もなく、結果、売上を伸ばすことができない状況にありました。この環境で2CVも同様にエキセントリックさばかりに目が行ってしまい、いずれ消えていくクルマとして認識されてしまったようです。

評判を覆す「シトロエン2CV」の実力

しかし、2CVには1919年から自動車を作り続けてきた技術の蓄積がありました。ですから外観はどうあれ中身の技術的な部分は不足どころか、たくさんのアイデアが盛り込まれていたのです。

まず、クルマのサイズですが、
全長3,780mm(後に3,830mmへ延長)、全幅1,480mm、全高1,600mmと現在のリッターカークラスの大きさがありました。その車体の大きさに比べて車重は、初期型の375ccエンジン搭載車で495kgしか無かったのです(末期には602ccエンジン搭載、590kg)。当時のクルマが、現在のようにエアバッグやシートベルトなどの安全対策となる装備品を付ける必要がなかったという理由はあるとしても、超軽量であり構造も極めて合理的にシンプルなものになっていることの裏打ちと考えられます。

シンプルさを追求して便利さすら生み出していた「2CV」の設計

インテリアは非常にシンプルになっていて、メーターやスイッチはドライバーにとっての必要最低限度に限られています。これは日本の初期大衆車にも見られますが、燃料計をダッシュボードに配置せず、燃料の残量は燃料タンクに計量用のバーを入れて読み取るようにしていました。また、ダッシュボードの下にはドライバーのひざ上ぐらいの高さにトレーを置き、小物を置くためのラゲッジスペースとしています。また、初期のステアリングはパイプを組み合わせただけの簡素な2本スポークという仕様でした。また、シートはパイプフレームによって骨格を形作られた構造をとっていて、そこにゴムベルトでキャンバスを吊っているというものだったのですが、座りにくいというものではなく、むしろ座った人の身体に馴染みやすい特性があり、非常に優秀なシートだと考えられています。そして、シートのパイプフレームはフロアに対して左右2本の爪を使って差し込んだだけというもので、とても軽くできていて前席・後席の両方のシートおを取り外して外に出し出先でベンチ代わりに使うことも多かったそうです。

当時の小型車は居住空間を確保するのに有利なRR式を採用しているクルマが多い中で、FF方式としたシトロエン2CVは、FR方式のような車体下部を通るプロペラシャフトのような部品が必要ないため、床面はほぼフラットになっています。このことは、FF車の基本ではありますが、できるだけ大きな居住空間を確保するために貢献しているといえるでしょう。

手動でも動くワイパー

シンプルさは、かなり極限に達していてフロントウインドシールドのワイパーは電動式を採用せず、フロントタイヤを駆動するギアケースから引き出されたワイヤーケーブルの途中にウォームギアを仕込んで、ワイパーの駆動の動力に利用したものです。そして、このワイヤーケーブルが本来動かそうとしていたものは、意外にもスピードメーターだったのです。この関係から、スピードメーターはワイパーを動かすために都合が良いようにステアリングの左上端に配置されているのです。ただこの構造のため、ワイパーが左右に動くスピードはその時のスピードに比例していました。つまり、高速走行では小雨でも早く動き、低速走行では大雨でもゆっくりとしか動かなかったのです。更に停車中は一切動くことがなかったのですね。このために、ワイパーのスイッチノブを押し込んで、ノブを廻せば手動でも動かすことができるようになっていたのです。

一応、ヒーターもありましたが…クーラーはありません

ヒーターは、と言っても空冷エンジンを冷却し排熱させていた「空冷エンジンの冷却風」が社内に入り込むというスタイルです。ただ、375ccエンジンでは排熱量も小さく、更に送風ファンも備え付けではなかったので、効きは決して良くありませんでした。このシンプルさは後年まで引き継がれ、ガソリン燃焼式の独立したヒーターを装備することはあったのですが、最終的に生産終了となる長い期間、後付けのもの以外、生産モデルとしてクーラーを装備しませんでした。

さて、サイズに少し話を戻しますが、ホイールベースは2,400mmもあって全体に比べるとやや長いものになっています。また、トレッド幅もフロント・リアともに1,260mmと当時の小型車としては広いものになっています。ある意味ゆとりをもたせた作りといえるでしょう。また、強固なプラットフォームフレームがそのままフロアパネルを構成していて、前後にサスペンションアームを配置し、前方にエンジンなどのドライブトレーンをオーバーハングさせる構造をとっています。

そんな質素なクルマでも乗り心地は重要視!

足まわりのサスペンションは、フロントにリーディングアーム、リアにはトレーリングアームで、 フロント・リアのサスペンション・アームはコイルスプリングに繋がっていて、スプリングは横置きのサスペンション・シリンダー内に収められているのですが、この横置きのシリンダーは「半浮動状態」の形で初期は左右の「たけのこバネ」によって揺らぎを制限されていました。また「前後関連懸架」と呼ばれる、前輪、ロッド、コイル、サスペンション・シリンダー、コイル、ロッド、後輪の順で連携されていてコイル・スプリング柔らかく使える方式になっています。これはシトロエンが考案した軽車両向けのサスペンションで乗り心地を確保する上で非常に重要な機構でした。またダンパーは、初期モデルの時点から4輪それぞれに2種類の減衰装置を備えていたのです。

RR全盛期にFFを選択できたシトロエンの技術力

タイヤは資本関係もあったため、ミシュラン製を標準で装備しています。1950年代の125/400mm(16インチ相当)〜125/15クラスのタイヤは、確かに乳母車を連想するくらいに細いものですが、縦細で接地面積が小さいことから自転車で言えばロードレーサー用のタイヤのように転がり抵抗を最小化してパワーの損失を減らすことに繋がっています。それでいて小排気量、小馬力のクルマとして必要なグリップ力は確保されている最適なサイズといえるでしょう。ちなみにミシュランは1948年に世界で最初のラジアルタイヤ「ミシュランX」を発売し、しばらくすると2CV用サイズのラジアルタイヤも用意されました。しかし、現在ではシトロエン2CVが生産終了されたこともあり、ラインナップされているミシュランX-125R15の日本国内での入手は在庫不足になっていて困難な状況です。そのため代替品としてミシュランZX-135R15を履かせたり、あるいは一部の業者が扱っているファイアストンF560-125R15、台湾メーカーのタイヤを使う方も多いようです。ブレーキは初期モデルから油圧制御式を採用したドラム式で、フロントはインボード化していました。なお末期型ではフロントのインボードはそのままにディスクブレーキ化しています。

この時代、軽車両の多くがRRの駆動方式を採用して居住空間をできるだけ広くしようとし、現在では同じ発想で2CVのようなFF式が広く採用されている大きな理由は「ドライブシャフト・ジョイント」がFF式にはネックになっていたためです。現在では等速ジョイントが当たり前に使われていますが、この時代はまだ量産されていなかったため、2CVでは鉄道などでも使われるシングル・カルダン型のジョイントを使用しています。

水平対向エンジンで2気筒でも快適ドライブに

エンジンは、空冷水平対向2気筒OHVガソリンエンジンを、車体前端にオーバーハングした形で搭載指定います。シンプルなこのエンジンは、主要部分にガスケットを使わず組み立てられるなど非常に精緻な設計思想が見られます。また、更にエンジンをシンプルに見せているのは、空冷式を採用したためでしょう。当時は水冷エンジンの構造が複雑なためにトラブルを引き起こしやすかったため、少しでもエンジントラブルのリスクを下げようという試みですが、その他にも軽量化という課題にも貢献しています。

また、快適さ・静粛さを狙うのであれば一般に気筒数が多い方が有利ですが、2CVでは快適さを損なうギリギリのところまで減らした結果、2気筒に至ったという経緯があるようです。これはBMWなどのオードバイのエンジンまで参考として、コンパクトさや一次振動が2気筒でも狙うことができる水平対向エンジンを採用することと合わせて決められた極限の数だと言っていいでしょう。また、その材質は当時としては画期的なアルミ合金が使われて軽量化を狙い、また、当時のレーシングカーに見られた半球形で燃焼効率を上げた燃焼室とクロスフロー型のバルブレイアウトで吸排気効率を上げています。空冷のため、エンジンの前に大きなファンが直結されていて、エンジン全体を冷却する仕組みとなっています。ちなみにこのファンは、エンジンのすぐ手前に置かれたオイルクーラーも同時に冷却してます。

【2CVのチョイ贅沢な機構】その1、セルモーター搭載

こういった簡素化が実って、実際に2CVのエンジンは堅牢さを誇りました。アクセルを全開にして高速走行をしても焼けつくことがなく、また、南国の未開の地を走った時にはオイル切れを起こしてしまったのにも関わらず、バナナから採取した油をエンジンオイルの代替品に使って走らせたとも言われています。

しかし、2CVでも2カ所が当時としてはやや贅沢と思える機構が2つあります。一つはセルモーター式のエンジンスターター、そして4速式のマニュアルトランスミッションです。実は、試作段階での2CVは、運転席からワイヤーを手で引いてスタートさせる構造、つまり自家発電機や当時の農業用発動機と同じ仕様で考えられていました。試作車をワイヤー始動させようとした社長ピエール・ブーランジェの女性秘書が爪を割ってしまったのです。この2CV開発に当ってはブーランジェが陣頭指揮を執っており、この始動方式もブーランジェの意向だったのですが、実際に秘書がケガ(と言っても爪ですが)をしてしまったことからセルモーター式に切り替えたと言われています。また、クラシカルに見える手動のクランキングレバーを使った始動も併存していたので寒冷地などでの始動にも問題がありませんでした。

【2CVのチョイ贅沢な機構】その2、4段式シンクロメッシュギア搭載

また、トランスミッションは、4段式シンクロメッシュギアボックス(1速・後進はノンシンクロ)になっていて。当時、このクラスでの4段変速にシンクロメッシュギアを装備するというのは非常に贅沢な機構でした。実は、これもピエール・ブーランジェの当初の命令とは違っていたのです。ブーランジェは「農民の妻に複雑な4段トランスミッションは扱いきれない」と主張して3段ミッションにしようとしていたのですが、高級車を得意としていたタルボ社から移籍してきたエンジニア、ワルテル・ベッキアはエンジンパワーを最大限に有効利用するため4段式ミッションを採用しようと画策します。その時の主張は「4速はあくまでもオーバードライブギアだ!」というもので、ブーランジェはしぶしぶ納得したといわれています。その影響からか、初期形4速ギアは「4」表示されておらず、高速・オーバードライブ「surmultipliee」から採った「S」が使われていました。このようにベッキアが強く主張できた事は2CVには幸運だったのではないでしょうか。堅牢なエンジンやセルモーターの採用に迅速に対応できたのもベッキアが精緻かつ柔軟な設計をしていたことが基本なのですから。

コストダウンだけが目的ではなかった!2CVの理にかなった機能や仕組み

この他にも、シンプルながら2CVが優秀なクルマであった「必然」が感じられる部分があります。まず、先ほどのトランスミッションですが、運転席のやや前方に置かれています。トランスミッション自体が非常にシンプルであり、確実なシフトチェンジを行う優れた機構を持っていたのですが、配置位置が絶妙なため、床からシフトレバーが突出することもなく、運転席の足元を広くする効果を産んでいます。

また、嘲笑をかった外観も1960年まではボンネットなど外板の一部を波板構造を用いていましたが、これは古い輸送機にも見られた手法で、強度を確保するための工夫でした。強い丸みをもったボンネットも強度確保を狙ったデザインですし、その両脇にあるヘッドライトは外付けで、2CVの足まわりの柔らかさから荷重による姿勢変化を考慮して、簡単に光軸調整が可能な配慮がされていました。

原始的と言われようが、機能を果たせば取り入れていた2CV

メンテナンス性を良くし、また冷却性能を上げるため、フロントグリルは細い横縞状の大型グリルを採用していて、ボンネットフードはフェンダーのすぐ上から開くことができるようになっっています。ただ、これだけでは寒冷地で使った時にオーバークールを招く場合があるので、布やプラスチックのカバーが用意されオーバークールを防ぐようになっています。

4人乗りの社内へのドアは、乗降性を上げるため4ドアが標準とされ、円弧状の高い屋根は居住性を確保するために、そしてコストを下げるために平面ガラスのみを使っています。サイド部分についても、複雑な曲線を使わず、ワーゲンビートルにも取り入れられていた古典的なデザインであるホイールベース間の外部ステップを廃止することで限られた車幅を有効に使うことができています。またフロントウインドの下部にあるパネルは手動で開閉ができて、これがベンチレーターとして機能する仕組みになっています。非常に原始的な構造ですが、このことで車内換気が効率的にできるというナイスな機能になっています。また、このパネルを開けることで入りこむ虫や物を防ぐため、開口部には金網が張られています。

2CVの特長。キャンバストップも快適さだけが目的では無いのです

サイドウィンドウもシンプルな構造を採っていて、今では当たり前な巻き上げ式ではなく、中央から横方向にヒンジを使って二つ折りにする方式にしていて、開け放ちたい時には、下半分を外側から上に回転させ固定用のフックに引っ掛けるようになっています。初期型モデルだと方向指示器という贅沢な仕組みはなかったので、ドライバーはこの窓から腕を外に出して手信号を使わなければいけなかったのですから、なかなか大変だったかもしれませんね。

ルーフは、翌知られているようにキャンバストップになっていて、開けたいときは後ろ側に巻き取る形になっています。初期型ではトランクもキャンバスで覆う形でしたが、後に金属製に改められています。もちろん、キャンバストップが「オシャレのため」という軽い理由な訳はありませんね。このことで狙ったのは、軽量化とコストダウン、そして空冷エンジン特有の高い騒音を社外に放散させるための機構でもありました。また、長い荷物を積載するときにも屋根さえ開けてしまえば積み込める便利さもありました。

【基本情報】
販売期間:1949年〜1990年
デザイン:フラミニオ・ベルトーニ
乗車定員:4名
ボディタイプ:4ドアセダン
エンジン:空冷水平対向2気筒 OHV(type A 375cc)
変速機:4速マニュアル
駆動方式:前輪駆動
サスペンション:フロント リーディングアーム、リア トレーリングアーム四輪独立 (横置、コイルスプリングによる前後関連懸架)

まとめ

元々、シトロエン社は第一次大戦まで大砲の砲弾などを作っていたシトロエン家が経営していた会社でした。そして第一次大戦後にその軍需工場を利用して自動車生産を開始したのが1919年の事です。既にフランスでは自動車生産の先進国と言っていい状態でしたが、大衆車と呼ばれるクルマがなかったことからアメリカのフォードの生産方式にならった効率的な生産で一気に自動車メーカーとしての大手にのし上がります。ところが、そこから高級車生産に鞍替えし失敗、社業はミシュランの手に移ります。

今回、たびたび名前の出たピエール・ブーランジェは、そのミシュランから派遣されてきた元技術屋です。彼はシトロエンの立て直しに奔走し、2CVの原型となるアイデアを作り上げます。それが「こうもり傘に4つの車輪をつけたクルマ」と言われるもので、
・50kgのジャガイモ又は樽を載せて走れること
・60km/hで走行できること
・ガソリン3リッターで100km以上走れること
・荒れた農道を走破できるだけでなく、カゴ一杯の生卵を載せて荒れた農道を走行しても、1つの卵も割ることなく走れるほど快適で乗り心地がよいこと
・車両重量300kg以下
・もし必要とあれば、(自動車に詳しくない初心者の)主婦でも簡単に運転できること
・スタイルは重要ではない
という基本コンセプトがありました。
つまり「乳母車」と言われようが合理主義者ブーランジェには痛くも痒くもなかったのです。それ以上に、日本で1950年代に盛んに取り上げられた国民車構想と同様、当時のエンジニアには厳しい条件を突き付け、それをクリアした2CVが売れるという確信があったのでしょうし、現実に大人4人が無理なく乗車できる小排気量車は特筆すべき存在でしょう。

しかし、ブーランジェは1950年に不慮の事故で亡くなってしまします。つまり2CVがフランスの国民車としての地位を築き上げるところまでは見届けられなかったのですね。しかし、ブーランジェ亡き後、2CVが名車として彼の偉業に数え上げられています。可愛い乳母車「シトロエン2CV」は、ブーランジェの合理精神そのものなのです。

嘲笑から賞賛え、2CVはいつまでも皆に愛される自動車であって欲しいと思います。