【ロータリー専用モデル】無敵のハコスカGT-Rを打ち破った「マツダ・サバンナ」

アフリカのサバンナを走る猛獣の野生美、そして世界初の蒸気船と原子力船「SAVANNA号」から命名された「マツダ・サバンナ」。ロータリーエンジン搭載専用モデルとして開発されたクルマです。1971年に登場すると、すぐにレースで活躍をはじめ、王者「日産GT-R」との死闘を繰り広げます。今回は、そんなマツダ・サバンナに迫ってみます。

ロータリーエンジンのために作られたクルマ「マツダ・サバンナ」

コスモからファミリア、そしてルーチェ、カペラとロータリーエンジンを搭載してきたマツダがロータリーエンジン専用車として開発した「マツダ・サバンナ」。1971年に発売された当初はセダンとクーペの2つのボディタイプがラインナップされました。また輸出も行われ、輸出仕様車の名前はサバンナではなく「RX-3」とされました。

当初搭載された初代マツダ・コスモから引き継がれた10A型エンジン。このエンジンは幾度も改良されていて、サバンナに搭載される10A型はファミリ・ロータリークーペをアメリカへ輸出するため、排ガス対策がなされたバージョンがベースとなりました。この対応とは、ロータリーエンジンの特性ともいえる排ガス中の成分への対応で、NOx(窒素酸化物)が少ない一方で、多く排出されてしまうHC(炭化水素)を減らすため、排気ポートの出口にサーマルリアクターを取り付けたものでした。サバンナには更に、排気ポートのタイミングと3穴式ハニカムポートへの変更を行うことでマフラーへの負荷を軽減していました。

この10A型エンジンに、4速フロアマニュアルのトランスミッションを組み合わせ最高出力105馬力としました。また、ロータリーパワーへの対応としてリヤのショックアブソーバーがバイアスマウントされています。足まわりは、ロータリーエンジン対応として全グレードで全輪にディスクブレーキが採用されています。翌年、1972年1月にグランドファミリアバンをベースに、ロータリーエンジンを搭載し、そして登録を商用から乗用に変えたスポーツワゴン、そして10A型搭載車としてははじめてREマチック(3速オートマチック)装備車両を追加しています。

国内レースの勢力図を塗り替えたマツダ・サバンナ

サバンナは非常にレースを意識した形で販売が行われています。まずサバンナの販売当初からツーリングカーレースであるTS仕様のサバンナをサーキットに持ち込み、レースキットの開発に着手しています。ちなみに、この走行を富士スピードウェイで行った時には、日本スキー連盟からの依頼で屋根にスキーヤーを乗せスキーヤーへの風圧体験試験も行ったそうです。

この1971年、マツダはヨーロッパにロータリーエンジン搭載のカペラを持ち込みレースで実績を残し始めます。一方、国内レースではトヨタ1600GTを撃破し無敵の強さを誇っているGT-Rが一人勝ちの状況で「GT-Rが負けるとニュースになる」とまで言われていました。そこにマツダもカペラで攻め込んでいきますが、10月10日の「富士マスターズ250キロレース」でマツダ・サバンナがデビューします。この時点では、予選で1.5秒以上のタイム差をつけられ、更に本戦ではロータリーエンジン勢が苦手な雨天だったこともあり、4位には食い込むもののトップからは1分以上の差がつくという結果に終わってしまいました。

そして12月12日に行われた富士ツーリストトロフィ500マイルには、マツダワークスサテライトチームから参戦します。このレース前からGT-Rは50勝目という金字塔の樹立のため、空力特性の向上を図り、リアスポイラーに続きバンパー下にフロントスポイラーを装着するなど、新たなライバル「マツダ・サバンナ」への対策を行っていました。このレースにワークスGT-Rは3台投入と50勝目に王手をかけて臨みます。が、結果は、ワークスGT-Rは全てリタイヤ。プライバシーのGT-Rが3位に入っただけという散々な結果に終わった一方で、サバンナは遂にGT-Rに代わって表彰台のトップに立つことになります。

1972年。王者GT-Rを追い上げる「マツダ・サバンナRX-3」

翌1972年は更に熾烈な状況が生まれます。前年のマツダRX-3の活躍から、日産とマツダの対決になるであろうことは早くから予想され、また騒がれていました。その中でマツダはサバンナRX-3としてTSレースので規定している生産台数をクリアし、JAFの認定を取得します。このRX-3は普通のサバンナとは違い12A型エンジンを搭載していました。この12A型エンジンは1970年に初代マツダ・カペラ(RX-2)に搭載するために開発されたエンジンで、ノーマルでも120PS/6,500rpmと10A型に比べパワーを向上しています。一方のGT-Rは前年にクリアできなかった50勝目を3月に達成し、更に改良を加えてサバンナRX-3を迎え撃つ態勢を固めます。そして、4月7日に公式エントリーが発表になると、まだ予想だった状況が、現実に向けて動き出したのです。この年のTSカテゴリーでのエントリーの総数が30台。この内、スカイラインはハードトップとセダンでのエントリーでの登録が15台、マツダ・ロータリー勢の登録も同じ15台とがっぷり四つの状況となっていました。

この中で、日産に少しかばい立てすれば、TSのレギュレーションでは2つのクラスに分けられていて、スカイラインGT-Rは1,601cc〜2,000ccがTS-b-Iに入り、マツダのサバンナRX-3とカペラのロータリー勢は2,001cc〜のTS-b-IIに分類されて、厳密にはクラスが違っていたのです。とは言え、下位クラスのスカイラインは総合で無敵を誇っていたのですから、上位クラスとはいえマツダのロータリー勢にやすやすと負けるわけには行きません。いや、むしろ台頭してきたマツダに対して王者として勝つ必要がありました。逆にマツダはサバンナに12A型を搭載し必勝体制で臨んだシーズンですから、改善が積まれているとは言え旧来からのGT-Rに負けていたのでは、売れ行きにも影響してしまいます。お互いに負けられない状況になっていたのです。

王者「GT-R」を死に物狂いにさせたマツダ・サバンナRX-3の実力

日本グランプリの直前になると、富士スピードウェイを使ったテストを両社が繰り返しています。そのスケジュールを見てみると、4月6日、7日、19日、20日、26日、28日が日産に、そして16日、17日、29日がマツダとなっています。テストスケジュールだけを見ても日産が王者としての貫禄を見せるというよりも死に物狂いで勝ちに行った様子が伺えます。

また、また、マシンにも日産は手をつくします。まずエンジンのチューニングとしてピストンの上部に改良を行い圧縮比を上げ、燃焼室内の形状にも工夫をしていたようです。このことで出力は230psを超えていたといわれています。また、外装ではオーバーフェンダーの形状に改良を行って空力の向上を図っています。度重なったテストの目的の一つがオーバーフェンダーの形状の最適化にあったのかもしれません。更に絞れるだけ絞っていたGT-Rの重量を更に絞り込んで、930kg程度までダイエットを実現し、パワーウエイトレシオを向上させた上、慣性モーメントによるコーナリングの不安定さを改善になった上、コーナーからの立ち上がりも非常に良くなったそうです。そして、ワークスのドライバーは実績を積んだ高橋国光、北野元、長谷見昌弘のスリートップで挑むことになります。

マツダも打倒GT-Rを目標としてカペラの12A型エンジンに換装したサバンナRX-3が認証されたことで前年よりも飛躍的にパワーをアップ。そして4月の鈴鹿500kmレースでは従野孝司と加茂進で臨み、予選で5位に入るスピードを出して実力の片鱗をみせつけていたのです。そして鈴鹿500kmレースではボディの軽量化などの細かなチューニングは行われておらず、車体重量は公認重量790kg〜820kgに留まっています。つまり、新たなコンビとなった12A型エンジンとサバンナRX-3の車体との整合性、相性をとることに集中をしていたのです。この状況が日本グランプリ参戦のため富士スピードウェイに入ると、少なからぬ変化が起きていました。外観だけでもボンネットやドア、そしてトランクリッドは鋼板からアルミ板に変更され、車体重量は760kg程度となっていたのです。そしてエンジンも前年よりも約1割のパワーアップが実現され、220〜230psにまでなっていたと言われます。

いざ「1972年 日本グランプリ」。幕開けは、マツダ・日産陣営の駆け引き

この結果、先ほど書いた通算3日間の富士スピードウェイでのトレーニングでは、1分32秒台を記録しています。が、このタイムは日産GT-Rのトレーニングでエースドライバー高橋国光が出したタイムとほぼ同じタイムだったのです。それでもマツダの強気は留まるどころか自身を深めたようです。と言うのも1分32秒台を出したクルマが戻ってきても「70%の状態」と言っていたのです。ドライバーは片山義美、従野孝司、そして寺田陽次郎と後のマツダのレースシーンを支えていく三人が出場となりました。また、この時のエントリーは「マツダ・モーター・スポーツ」というマツダのモータースポーツに対する専門集団を母体としています。

こうして両車互角の状況で迎えた5月3日、「'72日本グランプリ TS-bレース」。レース前の公式車検で「ある事件」が起こります。レースに先立つ5月3日、13:30頃にマツダ勢が富士スピードウェイ内の車検場で車体重量の計測に入ります。そしてワークス系マツダの足にはスチール製のホイールがはかされていたのです。つまり軽量化として車体重量だけではなくハンドリングに影響するバネ下重量を増やすというあからさまな「レース仕様としての完成形ではない」クルマが車検場にいたことになります。

しかし、そのダイエットしきっていないマツダ車のうち数台は、公認重量から「-10%」した規定重量よりも20kg程度しかオーバーしていない状態でした。これは、カペラなら公認重量801kgに対して823kg、831kgという車両があったのです。このような車両でスチール製ホイールから軽量なマグネシウム製ホイールへ換装すれば、ホイール1本あたり4〜5kg、つまり15kg〜20kgは軽量化される可能性があります。こうなると「801kg-80.1kg=720.9kg」を割り込む可能性が出てきます。この情報はライバルの日産陣営も知るところとなります。しかし、この時点では規定に対して実際に違反が起きていたわけではないので、大きな騒ぎにはならずに一旦は収まります。

マツダ・サバンナRX-3と日産GT-R、ピットも巻き込んだ死闘

そして、タイムアタックがはじまります。すると当然のことのようにマツダ車のほとんどはマグネシウム製ホイールに換装して登場してきます。そしてタイムも非常に良く、日産GT-Rでは高橋国光の2番グリッドが最上位になったのを除き、上位5台中の4台はマツダが占領してしました。この結果が17:00過ぎに発表されると日産陣営が色めき立ちます。陣営はPMCS(プリンス・モータリスト・クラブ・スポーツ)として大会委員会に抗議書を提出するのです。その抗議の理由は「マツダ車の車体重量に疑問がある」という内容でした。この抗議の要因になっていたのは間違いなく車検で見られたマツダ車のスチール製ホイールにあったのでしょう。当然、この抗議書を受け取った大会委員会は審議をはじめます。その過程でマツダ車のうち4台に再計量が求められたそうですが、結果として違反車両は認められませんでした。この後、ある技術委員からは、3kgで規定重量を割り込むクルマはあったと漏らされたそうですが、それは規定の範囲に収まっているということの吐露でしかないのですから、違反はなかったことになります。そして抗議書を提出したPMCS側が抗議を取り下げたため、これ以上、マツダ車への疑惑が追求されることはありませんでした。

そしてレース本戦。マツダと日産の明暗が結果にくっきりと出てしまいます。1位〜3位はサバンナRX-3が独占、GT-Rは4位〜6位。マツダ・サバンナRX-3の圧勝。しかも優勝した片山義美はポール・トゥ・ウィンの完勝だったのです。そして7月2日に2ヒート制で行われた「日本オールスターレース」ではGT-Rは2位、3位を占めるものの、優勝は従野孝司が運転するサバンナRX-3。続く8月20日の「全日本鈴鹿300kmツーリングカーレースII部門」ではサバンナRX-3が上位を独占、GT-Rは5位入賞が最高という結果に終わります。

マツダのロータリーが日産GT-Rをレースから引退へ追い込む

その後、9月3日に行われた富士GCシリーズの「富士インタ200マイルレーススーパーツーリング」TCクラスにも参戦しますが、結果は従野孝司がポールポジションを獲得したものの結果は4位に終わります。一方GT-Rは優勝。優勝は、日産ワークスGT-R。ただ、従野のマシンはガソリンタンクの変形が発生してしまい、ガス欠状況が発生してしまい後半にはスローダウンせざるを得ませんでした。しかし、このトラブル発生前までは日産ワークスGT-Rの優勝車両とデッドヒートを繰り広げていたのです。GT-Rに対してサバンナRX-3が絶対的に優位という状況にはなっていませんでした。

10月18日の富士GCシリーズのTSは日産とマツダの争いに大きな動きを出すことになりました。予選では従野がポールポジションを獲得、2位には日産のワークスGT-R。そして、レースはマツダ・サバンナRX-7とワークスGT-Rは死闘を繰り広げます。結果としてマツダ・カペラがレースには勝利するのですが、このレースを最後に日産ワークスGT-RはTSレースから引退をしてしまうのです。まさにマツダのロータリーエンジンが「最強」の座を日産スカイラインGT-Rから奪い取ったレースとなったのです。

まとめ

精悍な面構えで、一般道にいても独特の威圧感を見せたサバンナRX-3は、1972年に「日本GP」優勝車の市販バージョンとして「サバンナGT」をラインナップに追加します。このことでプライベートチームもサバンナでレースに参加することが可能となり、1978年までに通算100勝を達成し、1975年にはル・マン24時間レースにも唯一のロータリー車として参戦しています。1978年の最後のレース勝利の年を最後に生産を終了し、RX-7に道を譲っていきました。

高性能エンジンを鍵に、オート三輪からスタートしたマツダという自動車メーカーが、乗用車メーカーとして大きく飛躍するきっかけになったのが、このマツダ・サバンナRX-3だったのですね。