【ボンドカー】ロータス・エスプリ生産の背後にあった、知られざる秘話

ロータス・エスプリ。典型的ともいえる「ジウジアロー」デザインのウエッジシェイプが特徴的なロータスの代表的な車種です。スーパーカーブームの中で007のボンドカーにも採用され、今も熱いファンが多い車種ですが、そんなエスプリの開発、生産の裏では様々なドラマがあったようなので、今回、調べてみることにしました。

ライトウェイトスポーツのロータスが産んだスーパースポーツ

1976年に発売されたロータス・エスプリ。それまでのロータスは、ロータス7やロータス・ヨーロッパに代表されるライトウェイトスポーツを特異とするイギリスのカーメーカーであり、F1グランプリにコンストラクターとして参加もしていました。しかし、このエスプリはライトウェイトの世界の会社から、スーパースポーツとして産み出されたロータスとしては異例のクルマだったのです。

傑作「ロータス・エリート」が招いた経営苦境

ロータスはF1グランプリなどカーレースに参戦しながら、1950年代〜60年代に活躍した「理想のスポーツカー」ロータス・エリートや、ロータス・エランなどライトウェイトスポーツの分野で高い評価をうけていました。しかし、ロータス・エリートは商業的には決して成功とは言えず、また複雑な構造をとっていたため、売れるほど赤字を作り、また不具合の対応に追われる状況にありました。また、それ以前からクラブマン向けに販売されていたロータス7も販売台数は好調を維持しながら、その原動力になっていたのは「安さ」にあったため、利益率が非常に低い状態にあったのです。

経営安定化に向けたスーパーカー戦略

このように、「いいクルマ」を作りながらも景気の変動を受けやすく、また利益率も低い「ロータスブランド」から脱却しようとしたのでしょう、1970年代に入ると高級ラグジュアリーサルーンとして、かつてのライトウェイトスポーツ「エリート」の名をつけた全く違う形、全く違う性質のクルマを販売します。この時、ロータスの創業者コリン・チャップマンの頭のなかにはロータスをライトウェイトスポーツメーカーから、景気動向に影響されにくい富裕層を商売相手とするスーパーカーメーカーへの転身が描かれていたのかもしれません。

2代目と呼ぶには余りにも違いすぎるエリートは、ロータスの、そしてチャップマンがメイン車種に位置づけたにも関わらず、全く売れませんでした。一つにはロータスというブランドが持つライトウェイトスポーツメーカーのイメージが強すぎること、そしてもう一つには労使問題が吹き荒れた当時のイギリスでは、高級車の品質を担保するだけの能力を失っていたことがあるようです。

ジウジアーロの傑作、ロータス・エスプリ開発

ロータスは、エリートの商業的な失敗から回復するために1970年、2代目エリートに続いて富裕層を狙った新型車開発に乗り出します。1971年には、この新型車デザイナーにはイタリアの名デザイナーであり、イタルデザインの総帥、ジウジアーロを招き、1972年11月、コンセプトモデルが発表されます。後にジウジアーロの代表作とも言われるスタイルは、フロントウインドシールドにまで平面ガラスが使われたウエッジシェイプそのものでした。

ジウジアーロのデザインしたボディは、このコンセプトモデルではマセラティのシャーシを使っていたのですが、更に先に進めるためにロータス・ヨーロッパのシャーシを送るよう、イタリアからロータスに要求されます。しかしチャップマンは、エリートに使っていた907型エンジンを想定したシャーシを送っています。ジウジアーロも意図を理解したのか、このシャーシをベースにしたスケッチを描きチャップマンのゴーサインが出され1975年、プロトタイプ車両が完成します。

ジウジアーロの傑作ボディにも影響したイギリスの生産品質

プロトタイプ車両の完成から1年、1976年に最初の「ロータス・エスプリ」が完成します。後に「S1」と呼ばれるようになりますが、この呼名は次にS2が出された時に区別すためにつけられたもので、発売時点では単に「ロータス・エスプリ」と呼ばれています。

デザイン的にはコンセプトモデルとは大差ないものの、ボディはアルミニウム製からエラン以降、ロータスのお家芸だったFRPに変更され、また、素材変更に合わせるようにイタルデザインが当時好んだエッジを強調する細部モチーフが取り入れられています。

ただ、このFRPの成型法は、ロータス自身が特許を持っていた「真空吸引成形法(VARI)」を使わず、ハンドレイアップ、つまり人手での成型でした。これは形状が複雑でも対応がし易いなどの理由で一般的なFRPの成形法なのですが、2代目エリートでも露見した品質の維持・管理レベルが低くかたっため、FRP樹脂が硬化するときにムラが生じてしまい、ボディに歪みが出てしまう状態でした。このため厚さが1台の中でも決して均質ではない上、車体ごとに重量差が100kg近くになってしまうということもあったのです。

流用パーツが多用されたスーパーカー

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一方、エンジンは鋼板製バックボーン・フレームにコンセプトモデルで前提として考えられていた907型エンジンがミッドにレイアウトされています。このエンジンは1,971cc水冷直列4気筒DOHC、出力は160hp/6,200rpm、トルクは19.4kgm/4,900rpmというスペックとなります。また、トランスミッションには、シトロエン・SM用5速マニュアルが採用されています。このシトロエンが作った2ドアクーペ「SM」は、(シトロエンには悪いことだったのかもしれませんが)タイミング良く生産が中止されており、シトロエンから長期供給がコミットされている状態でしたし、合わせてシフトリンケージもSM用が流用できたことで、愛称の良い組み合わせがエリートに実装できることになりました。

ステアリングもロータス・エリートからの流用でノンパワーアシストのラック・アンド・ピニオンが採用され、フロントサスペンションはオペル・アスコナからのダブルウィッシュボーン、リアはトレーリングアーム。ブレーキもオペル・アスコナから流用してロータスでは初の試みだったサーボ付きの4輪ディスクとされました。

最終的にS1は994台を生産しています。

ロータス・エリートは「潜水」スーパーカー

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ロータス・エスプリS1が一般に広く認識される理由に映画「007 私を愛したスパイ(The Spy Who Loved Me)」を挙げないわけにはいきません。

エスプリは、ボンドカーとして使用され、あのシャープなデザインだけでも印象的な上に、潜水艇として動くという奇抜な設定が与えられ、たくさんのボンドカーがあるなかでも特に有名な存在になっています。エスプリのボンドカーは、水中に入るとタイヤは潜舵と思われるウィングがついたカバーで覆われ、陸上同様自由自在に航行できる夢の水陸、そして水中自動車でしたし、ボンドの華麗なハンドルさばきにスーパーカーらしい反応を見せていました。

ボンドカーには特殊装備がつきものですが、エスプリ・ボンドカーには、後部のナンバープレートが開いて現れる「セメントガン」(殺傷力は疑問ですが、追いかけてくる車両にセメントを噴射して視界を遮る攻撃ができる)や、水中から敵の航空機を撃ち落とせるミサイルの他、魚雷や水中煙幕、水雷などが装備されています。

ボンドカーに10万ドルの予算

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ちなみに、本物のロータス・エスプリはS1だけではなく最終バージョンのV8でも潜水…水上航行もできません。そのため、撮影用に機能ごとの「専用モデル」が作られています。もちろん模型も含んでですが、7台も作られたそうです。その予算は10万ドルと言われていて、そのうちの1台は陸上走行をする場面で使用された実車、他に中身のない実物大模型(防波堤から海に飛び込むシーンの撮影に使用されました)、またもう1台の実車が使われていますが、これは海中を航行したエスプリがビーチに上陸する場面用に使われ、当然のこととして自走はできないのでワイヤで引き上げられています。一番、台数が割り当てられているのが潜水シーンで、タイヤの格納・タイヤハウスをフタで覆う・潜舵出現の各順序用に1台ずつ(模型)、そしてクルーが乗り込んで、水中潜行するための1台。これは、実際に水中に沈め、運転席も満水状態にした中でスキューバをつけたクルーが乗り込んで使われています。

この撮影に使用された実車のうちの1台は2008年にロンドンで行われたオークションにおいて11万1500万ポンドで落札、水中潜行が可能なモデルは、2013年にやはりロンドンのオークションに出品され、55万ポンドで落札されています。

ちなみに、撮影中に故障が頻繁に発生したり、車高が低く乗り降りしずらいなど、ボンドを演じたロージャー・ムーアはロータス・エスプリについてあまり良い評価をしていなかったようです。

S2、そしてチャップマン没後のエスプリ、そしてロータス

エスプリはS1発表後、1978年にマイナーチェンジモデルとしてS2を発表。更に2年後の1980年には従来のエンジンよりもパワーを増した910型エンジンにターボをつけた「ターボ」モデルを追加します。そして1982年にはノンターボの912型エンジン搭載のS3が発表されますが、この1982年にコーリン・チャップマンが急死します。この時期、ロータスはアメリカのデロリアン(バック・トゥ・ザ・フューチャーのタイムマシン)からデロリアンDMC-12の生産を請け負っていましたが、生産立ち上げが上手く行っておらず、激しいプレッシャーに襲われていたといい、チャップマンの死に結びついたのでは無いかと考えられます。

流浪したロータス。そしてエスプリの生産終了

このコーリン・チャップマンの死によってロータスもロータス・エスプリも大きな壁に突き当たります。まず、経営が急速に悪化したことで経営権がチャップマン家から実業家デビッド・ウィッケンスの手に渡ります。そしてFRPの真空吸引成形法で提携していたトヨタとの協力関係が強化され1982年に発売されたエクラの部品にはトヨタ製が利用されています。しかし、その関係も長くは続かず、1986年に経営権がGMに移り、その傘下企業という立場となります。そしていすゞをはじめとしたGM系列企業のクルマに対しチューニングを担当したり、コルベット・スティングレイのZR-1エンジンの設計を担当しています。

そして、その間、全く変化することの無かった…半ば放置されていたエスプリに変化が訪れます。外観は、それまでのジウジアーロのウエッジシェイプが踏襲されながら、曲線を帯びた形「ニューシェイプ」に変更がされているのですが、これはロータス社のデザイナー、ピーター・スティーブンスの手によるものです。つまり、ここで巨匠ジウジアーロのデザインとは別れを告げました。この「HC」「ターボHC」には、かなり細かな変更がかなりの数、加えられていますが、特に大きかったのは「真空吸引成形法」が使われ始めたことでしょう。何故かS1以降、全く使われなかったこのFRP成形法は、ようやく特許出願社自身の手でロータス・エスプリに加えることができたのです。

【基本情報】
車種名:ロータス・エスプリS1
0-100km/h加速:6.8秒
最高速度:221km/h
車両重量;913kg
エンジン:水冷直列4気筒、1973cc
駆動方式;後輪駆動
最高出力:162bhp/6200rpm
最大トルク:19.4kg-m/4900rpm
変速機:5速MT
全長:4191mm
全幅:1861mm
全高:1111mm
ホイールベース:2440mm
サスペンション:フロント ダブルウィッシュボーン、リア セミトレーリングアーム
ブレーキ:フロント ディスク、リア ディスク

まとめ

スーパーカーブームの中で、ロータスはフェラーリと共にF1のコンストラクターとしても活動していた「2大メーカー」でした。しかし、内情は常に苦しい経営状態にあり、挽回するための方策が2代目エリートやエスプリに代表される高級車、スーパーカー路線だったのは間違いありません。

でも、エスプリにはジウジアロー特有のスーパーカーらしいフォルムがあり、また、007で描かれた「夢の自動車」でした。まるで舞台の表と裏のような関係ですが、それが余計にエスプリに魅力を深くしているのかもしれません。今でも中古車市場で高い人気を持つエスプリには、いつまでも元気に走ってもらいたいと深く願っています。