いすゞ 117クーペ:ハンドメイドで製造された真の高級クーペ

1960年代から80年代にかけて、とてもエレガントでおとなのイメージのクーペがあったのをご存じですか。いまはトラックやバスなどを作っているいすゞ自動車の「117クーペ」がそれです。機械による大量生産ではなく、一台一台、人間の手で作られるなど、当時はおろか現在の日本でも考えられないような高級車だったのです。

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スペシャリティカーのルーツ

万国博覧会の2年前にデビュー

かつて「スペシャリティカー」というカテゴリーが大人気となった時代がありました。
エレガントなデザインとラグジュアリーなインテリアを備え、パワフルなエンジンとスポーティなハンドリングで軽快なフットワークを発揮する、まさに“違いが分かる人”のスペシャルな一台。トヨタからは「セリカ」、日産「シルビア」、ホンダ「プレリュード」など、各メーカーからさまざまな車種が登場しましたが、源流をたどるとこのクルマに行き着くはずです。

そのクルマの名前は「117クーペ」。「太陽の塔」の万国博覧会が始まる少し前、1968年に生産を開始し、新たに販売を始めたソアラにその座を譲るように1981年まで、13年にわたってロングセラーを続けた、スペシャリティーカーのルーツといえる一台です。

ジウジアーロによるデザイン

スペシャリティカーの生命は、デザインです。ひと目見たときに、その存在が“スペシャル”でなければなりません。その点、117クーペは高得点をまー来るはずです。イタリア・カーデザイナーの代表的存在、ジョルジェット・ジウジアーロがそのコンセプトメイクからデザイン、生産計画にいたるまで携わったモデルです。
当初、ジウジアーロが在籍したカロッツェリア・ギアといすゞの共同により「ギア/いすゞ117スポルト」として、1966年のジュネーヴ・モーターショーでプロトタイプ出品されました。そこで「コンクール・デレガンス」を獲得したほか、イタリアの国際自動車デザイン・ビエンナーレでも受賞するなど、そのデザイン性の高さは各界から高く評価されました。

ショーカーとして注目を集めたものの、その量産化は当時の技術では大変な難題でした。優美なラインを描くボディがこのクルマの最大の魅力でしたが、それを再現し、量産するための技術がまだ確立されていなかったのです。そこで、ジウジアーロはいすゞと生産化のために協議を重ね、金型プレスに手づくりの行程が加えられました。おおよそのカタチにプレスしたボディパネルをひとつひとつ職人が成形加工を行い、ジウジアーロのデザインに合わせていく、という工程です。この工程によって、初期の117クーペは「ハンドメイド」と呼ばれ、その価値を高めることにもつながるのです。

市販された117クーペを見ると、ショーモデルの「ギア/いすゞ117スポルト」を、そのディテールまでていねいに量産化したことがうかがえます。ジウジアーロが作ったプロトタイプのデザインプランをどこまで忠実に市販化できるか、いわば“夢”を現実に近づけるか、ジウジアーロをはじめいすゞのエンジニア、工場で生産に携わった人たちの熱い思いさえ感じられます(後年になって量産化技術が発達し、1973年モデル以降は機会による製造に移行しています)。こうして実現されたエレガントなデザインこそ、117クーペの人気を不動のものにする最大の原動力となったのです。

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ギア/いすゞ117スポルト

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117クーペ 市販モデル

大人4人が乗れる、ラグジュアリー・クーペ

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室内は、大人4人がゆったりと座れるスペースが確保されています。マセラティ「グランツーリスモ」など、欧州には4座のラグジュアリークーペが古くから存在しますが、日本でそれを初めて実現したのはこのモデルではなかったでしょうか。
ピンと張りのある発泡レザーのシート、フロント同様、リアにもたっぷりとしたサイズのものが設えられています。リクライニング機構やヘッドレスト、ヒーターのアウトレット、シート脇の灰皿など、リアのパッセンジャーも大切にもてなす装備が充実しています。さらに、クーペタイプのボディでありながら、ヘッドルームもたっぷりとしており後席の居住性も大切にされています。

運転席のダッシュボードは天然木(台湾楠)による、美しい木目模様で飾られています。この天然木は一枚一枚スライスした後に加工されたもので、厳密にいうと同じ模様はありません。いわば、天然のシリアルナンバーといえるかもしれません。
このダッシュボードに、時計を含む7連メーターがドライバーの方を向いてセットされていました。このクルマがデビューした当時、多くのクルマは大型の角形メーターがひとつ、目の前に据え付けられたデザインが主流でしたので、この多眼メーターによるダッシュパネルは大いに異彩を放っていました。高級感やスポーティなムード、さらにハイテクなイメージで多くの人の憧れをかき立てていました。

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日本で初めて電子燃料噴射装置を搭載

117クーペは、日本で初めて電子制御燃料噴射装置を採用したマシンでもあります。いすゞでは、ECGI(Electric Control Gasoline Injection)と呼称していました。それまでのソレックスなどのキャブレターに替わって、電子制御による繊細な燃料コントロールで燃焼効率を向上、パワーや燃費、排出ガスのクリーン化をめざすものです。搭載は1971年、当時日本でも排出ガスは社会的な課題のひとつとしてクローズアップされていました。

エンジンは直列4気筒・1.6リッター・8バルブDOHCのG161W型。デビュー当時はソレックス・ツインキャブにより120psを発揮、ECGI搭載により130psにパワーアップし、最高速度は190km/hを誇っていました。
その後1972年、エンジンは1.8リッターに拡大され、さらにECGIにより140psにまで増強されています。1978年には、2リッター版も登場しますが、排出ガス対策などによりパワーは135psにとどまっています。また、いすゞ得意のディーゼルエンジン搭載車もラインアップされています。

トランスミッションは、デビュー当時は4速MT、その後5速MTに変更されたほか、3速ATモデルもラインアップしています。

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シャシーは、フローリアン・ベース

117クーペは、同時代に販売されていたセダン「フローリアン」のクーペ版として企画されたモデルです。「117」は開発コードナンバーで、それがそのまま車名となっています。このため、シャシーや駆動系などはフローリアンと共通となっています。サスペンションは前輪がダブルウイッシュボーン、後輪はリジッドアクスルにリーフスプリングの組み合わせというコンベンショナルな方式です。
その前に開発したベレットがスイングアクスルによる四輪独立懸架という先進的な機構を採用したものの、そのセッティングに手間取ったため、一転してフローリアンとこの117クーペには一般的な方式が採用されたといわれています。

117クーペが走った時代とは

初任給3万円の時代に、172万円のプライス

初期モデルは一台一台がほぼ手作業で製作されていたため、時間もコストもかかっていました。117クーペの車両価格は、172万円。トヨタから発売されたカローラのスポーツ版クーペ、スプリンター58.7万円でしたから、117クーペはそれがほぼ3台買えるほどの高額車だったのです。ちなみに1968年の物価は、ビール約130円、かけそば約70円、大卒の初任給は約3万円でした。現在の初任給(約20万円)で計算すると1,147万円にも上り、ポルシェなみの価格です。

10年間、一台も廃車なしという“伝説”

ロングセラーで根強い人気を誇ったクルマは数多いですが、117クーペもその一台としてあげられます。たとえば、デビューした1968年から10年間で廃車になったクルマは1台もない、という驚くべき記録を持っています。この時代のクルマは初回車検が2年だったため、2〜4年のサイクルで乗り換えるのが一般的でした。10年間も廃車が出なかったということは、一人一人のオーナーが大切に乗り継いでいたことの証でしょう。

オーナーズクラブは、現在も活発に活動中

出典:http://www.117oc.com

デビューから50年近くたったいまも、大切に乗り継がれている117クーペが日本各地にたくさんおり、ビンテージカーのイベントなどでもよく見ることができます。
オーナーズクラブも活動しており「いすゞ117クーペオーナーズクラブ(下記リンクをご参照)」のように、現在も活発に活動しているクラブも多数あります。
興味のある方は、問い合わせてみてはいかがでしょう。

いすゞ117クーペオーナーズクラブ

大人が選ぶ、価値ある一台

より大きく、より豪華に、より押し出し強く。そんなクルマの嗜好が高度経済成長期の日本は主流だったように思います。「隣のクルマが小さく見えます」とCMでうたったカローラがヒットしたり、クラウンが憧れのクルマになったり、大きくて強いアメ車が注目を集めていたり、そんな風潮が一時期の日本にはありました。
そんな中で、ジウジアーロのデザインをまとい、ヨーロッパの薫りを放っていた117クーペは独自の存在でした。ファミリーカーやカンパニーカーとして4ドアセダンが主流となっていた中にあって、ラグジュアリーな4座クーペというスタイルも異彩を放っていました。趣味性が強い独特な存在だったので、“世間体”を気にする一般人がおいそれと手を出すことはできません。高額なプライスも購入を思いとどまらせる理由になっていました。
ですから、オーナーとなった人は周囲からリスペクトされていたように思います。単なるお金持ちではなく、本当のクルマ好きとして、高い審美眼を持つ粋人として、趣味人として、憧れの眼差しで見られていました。オーナーのプライドを刺激する、こんなクルマは日本で初めてだったのではないでしょうか。そういう意味でも、117クーペは価値ある一台といえます。

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117クーペを生み出した、いすゞについて

日本のカーメーカー、御三家の一社

photo by 筆者

117クーペを生んだいすゞという会社は、日本のクルマメーカーの中でも独特な存在でした。設立は1916年ですから1世紀におよぶ歴史を誇り、トヨタ、日産と並んで“御三家”と呼ばれた伝統ある会社です。
イギリスのヒルマン・ミンクスのノックダウンで乗用車の生産に乗り出したせいか、その後、ヨーロッパ・テイストのモデルを数多く市場に送り出しています。その後、自社開発した「ベレル」はブリティッシュテイストの中型セダン、ベレルよりも小さいという意味で名付けられた「ベレット」は、イタリアンテイストが感じられるセダンやクーペのスタイルで人気を集めました。

ヨーロッパテイストあふれるクルマを次々と発表

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こうした流れの中で117クーペが登場し、ヨーロッパのテイストを決定づけました。117クーペの後継としてデビューした「ピアッツァ」もジウジアーロのによるモダンなデザインで人気を集めました。
その後、オペルとの共通プラットフォームにより生まれた「ジェミニ」は、当時の日本車には見られなかった欧州車テイストで、女子大生などからも人気を集めました。ジェミニはFF化され「街の遊撃手」のキャッチフレーズでパリのセーヌ河畔などを飛ぶように走るCMでさらに人気となります。ドイツのチューナー「イルムシャー」や、F1の名門、ロータスのチューニングによる「ハンドリング by ロータス」といったスペシャルモデルなどもラインアップされ、ますますヨーロッパを感じるメーカーとして名を馳せていきます。

SUVも、いち早く発表

近年、人気のSUVもいち早く開発し、1981年に発売した乗用タイプの4輪駆動車「ビッグホーン」は、トヨタ「ハイラックスサーフ」、三菱「パジェロ」などの先駆けとなりました。後述するディーゼルエンジンとの相性も良く、ビッグホーンは“和製ランドローバー”として評価を高めていました。
さらに1990年代の終わりには、「ヴィークロス」を発売し、ファンを驚かせます。まるでショーモデルから抜け出てきたような実験的なデザインで市販され、その未来的なスタイリングで大きな注目と人気を集めました。

優れた走行性能を持つディーゼルエンジンなど、高い技術力

また、早くからディーゼルエンジンを開発するなど、技術的にも高いレベルを誇っていました。ディーゼルエンジンは1960年代のベレルにすでに搭載されていましたし、その後のベレット、117クーペ、ジェミニなど代々のモデルにも受け継がれていました。コールドスタートでも優れた始動性を持ち、振動や騒音が少ないいすゞのディーゼルエンジンは乗用車とも相性が良く、厚い低速トルクを活かして優れた巡航性能と高い経済性を発揮しました。さらにターボ化により、力強いパワーと経済性を兼ね備えたパワーユニットへと進化していきます。

社名の由来は、純和風なのに・・・

ちなみに会社名の「いすゞ」は、三重県の伊勢神宮を流れる「五十鈴川」から名付けられたそうです。日本古来の歴史や文化を感じさせる社名なのに、生み出されたクルマの特長やイメージ、そして活動の様子はヨーロッパのムードにあふれ、しかもダイナミック。いすゞやそのクルマたちは、そんなイメージのギャップさえも楽しく懐かしく感じられます。

東京モーターショー 2015 いすゞブース(Photo by 筆者)

東京モーターショー 2015 いすゞブース(Photo by 筆者)