【タッカー】トーピード開発に掛けた情念

1988年公開の映画「タッカー」。ご覧になった方もいらっしゃるかと思いますが。映画に描かれたプレストン・トマス・タッカーが生涯を掛けて挑戦し、試作車を含め、わずか51台しか生産されなかった名車「タッカー・トービッド」について紹介していきたいと思います。

「ブレストン・トマス・タッカー」とはどんな人物だったのか?

TUCKER-MAN & HIS DREAM

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映画を観た方にはおさらいになりますが、まずはトービッドを開発したタッカー社の創業者「ブレストン・トマス・タッカー」について紹介しておきたいと思います。
1903年9月にアメリカのミシガン州で生まれたタッカーは、幼少時代から自動車が大好きな少年だったそうです。大人になると、自動車のセールスマン、そして1940年前後には武装車両のデザインなどをしています。戦争が終わった後、タッカーは自動車メーカー「タッカー・コーポレーション」を起業します。

戦争が終わる間際から、当時の大統領ルーズベルトが軍需産業を民需に置き換えようという政策もあり、当時は起業がブームのようになっていたようです。そんな背景もあってのタッカーは理想とするクルマを作るため起業に踏み切ったのです。しかし、結論から書いてしまうことになりますが…タッカーの理想のクルマづくりは僅か51台で終了。会社は売りに出されてしまい。その後、様々な活動をしながらも53歳の若さでガンのために亡くなっています。

タッカーの理想、それは「安全なクルマ」

では、そのタッカーが理想に掲げたものとは何だったのでしょう。タッカー自身の経験に事故を目の当たりにし、その悲惨さを感じたことがあります。その経験を踏まえ、そして戦争が終わった平和な時代には自動車の安全性が求められるという信念、そして他人から見れば理想が掲げられたのです。

タッカーの特長は、そのスタイルもさることながら、やはり安全対策に関係する装備を挙げるべきでしょう。
■ディスクブレーキの採用:ブレーキ力の向上による事故防止、被害軽減
■シートベルトの採用:事故が起きた時にドライバーや乗客を保護
■フロントシート前に待避エリアを設置:衝突が起きたとき、同乗者を保護
■埋め込み式内部ドアハンドル:凹凸がなく、衝突の衝撃でドライバーが当たった時にをケガ防止
■脱落式ミラー:衝突のときには簡単に外れることで、ドライバーが当たりケガをすることを防止
■フロント・スクリーン・ガラスの前方脱落:衝突した時に、乗員がフロントガラスに当っても簡単に外れるよう内側から強い力がかかると外に向かって外れる
■インスツルメントパネルをスポンジラバー化:衝突時にフロント席の乗員の衝撃を和らげる
■ペリメーターフレームとバルクヘッドの採用:衝突時のエネルギー吸収のため、ボディーフロア周囲にフレームをつける構造と、エンジンルームと客室に隔壁を作り安全性を高める
■計器類のワーニングランプ化:車体の異常をドライバーに知らせ、故障起因の事故を防止
■スピードメーターをエンジンフード上に設置:視線移動を少なくし、脇見などでの事故防止
■サイクロプス・ライトの設置:中央に大きなライトを追加し、ハンドルと連動して進行方向を明るく照らす
■3つのヘッドライト:霧などでの対向車への視認性向上
■電気系統の強化:ライトなどの増設対策として、24ボルト電装とスーパーバッテリーの採用し、余裕ある電力と長寿命化を図る

このような安全対策、シートベルトやワーニングランプ、またサイクロプス・ライトはAFSとして実装されているクルマもありますし、3つのヘッドライトはフォグランプなどのはしりとして認識して良いでしょう。ところが、当時はこれが最先端の安全装備でした。しかし、実はシートベルトは最終的には廃止されています。その理由は、「シートベルトが必要なほど危険なクルマなのか?」という悪いイメージを避けるためだっと言います。また、「トーピッド(Torpedo)」には魚雷という意味があります。タッカー本人が武器をイメージするこの言葉を嫌ったのか、発表の時のイメージイラスト以外には使っていませんでした。本当は前後シートに付けるつもりだったタッカーでしたが、やはり先進のアイデアにはいろいろな障害があるものです。

早すぎたタッカーの終焉

このようなクルマを作るために工場はB29を作っていた軍需工場を借りることができ、生産を開始しますが間もなく生産を終了する必要が出てきます。当初、プロトタイプの発表会には5,000人以上が集まったと言われています。そして、株価も上がり、販売は順調に進んでいました。そして、販売網も拡大し全米で約2,000のディーラーとの契約が成立したのに、一気に陰がさすような事が起こります。実は、販売はしているものの納車が進まないのです。そこで、SEC(証券取引委員会)が目をつけてきます。1948年、タッカーはSECから呼び出されます。そこでSECから求められたことは、帳簿などの資料を提出せよということ。強制ではなかったのですが、提出すれば、SECが調査していることなどは公表しない旨が告げられます。しかし、その内容が何故かラジオを通じて放送されてしまうのです。

このことで、株価は暴落してしまい生産どころではなくなります。なんとか従業員が組立ラインを再開しますが、1949年3月3日に会社は管財人の管理下に入り、資産は裁判所の管理下にはいってしまいます。更に、6月には「生産していないクルマを売っている」などと言われタッカーと幹部が詐欺などの罪で告発されしまいます。そして裁判が始まった10月には工場が閉鎖。この時点で完成車は37台。他に1台の試作車両があり、残った従業員がボランティアで13台を組み立てたところで、タッカー・トーピードの生産は完全に終了となりました。

生産台数51台、現存47台。今でも愛されるタッカー

このような急転直下の自体の背後には、BIG3と呼ばれた大手自動車メーカーの経営陣の政治的な働きかけがあったのでは無いかとも言われ、映画の中では明確な事実として、そして現実には闇の中にある噂話しとされています。

現存するタッカー・トーピードは47台と言われています。51台しか作られていなかったのですから、これだけでも驚くべき数字ですが、映画「タッカー」の撮影では、そのほとんどが撮影協力のために集まったそうです。それだけ、深く愛される自動車ですが、ちょっと面白い逸話もあります。

日野自動車コンテッサ1300のエンジニアが後に、タッカー・トーピードを見る機会があったそうです。その時に、タッカー自身が「未来の車」と呼んだ野心的な部分は評価しながらも、フロント置きのエンジンに比べるとリア置きで問題になるエンジンルーム内の埃に対する対策や、冷却風の制御に対する配慮などには問題があったと指摘しています。また、もし理想の車として見ていたら、コンテッサのエンジンルームの設計にも悪い影響を与えていたのではないかとも言っているのです。ただ、設計に余裕があったためなのか、オーバーヒートの記録は残っていません。

【基本情報】
車種名:タッカー・トーピード
製造国:アメリカ合衆国
販売期間:1947年-1948年
ボディタイプ:4ドア セダン
エンジン:5.5リットル F6 OHV
駆動方式:リアエンジン・リアドライブ
サスペンション:4輪独立懸架
全長:5,560mm
全幅:2,010mm
全高:1,520mm
ホイールベース:約3,250mm
車両重量:1,900kg
総生産台数:51台

まとめ

時代の寵児のように現れ、わずかな期間で生産終了を余儀なくされたタッカー・トーピード。わずか51台しか作られなかったから失敗だとは言えないほど、今の自動車が当然のように装備している安全対策が盛り込まれたクルマです。つまり、タッカー社では理想が実現されなかったのですが、タッカーの理想は後の時代に全てのクルマに反映され、そしてタッカーよりも高い理想を実現するために各自動車メーカーがしのぎを削る時代になりました。もしかしたら、タッカーが潰されたことで、時計が進むスピードが少し遅くなったのかもしれませんが、確実に自動車の安全対策は前に進んでいます。

タッカーの理想に感謝します。