【フォルクスワーゲン ビートル】ドイツ生まれ・アメリカ育ちのキュートな車!

1938年の生産開始から2003年メキシコの生産終了まで、累計21,529,464台、四輪世界最多の記録を打ち立てました。世界中の市場で愛された、まさに伝説の大衆車です。今回はその魅力について迫りたいとおもいます。

フォルクスワーゲン ビートルの歴史

ビートルの誕生

1933年ナチスドイツのヒトラーの国民車構想からはじまりました。ナチス党が国民の支持を得るのに必要な計画でした。誰もが持てる自動車、ヒトラーがプランをもちかけたのはポルシェ社の創業者フェルディナント・ポルシェ博士でした。ヒトラーの提案は非常に厳しいものでした。大人2人と子ども3人が乗車でき、100km/hで連続巡航でき、7リッターで100キロ走れ、空冷エンジンを搭載し、維持費が安い自動車。しかもヒトラーが強調したのは、その条件の自動車を1,000マルク以下で作れ。というものでした。厳しいプランの中、何度も失敗を繰り返し、計画も遅れながら、1936年ついにプロトタイプ2台の製作が完了しました。翌年には30台が作られ厳しいテストや改良を重ね、1938年最終プロトタイプVW38が誕生したのです。

第二次世界大戦とビートル

国民車構想が波に乗りはじめた1939年、ヒトラー自身が第二次世界大戦を勃発させてしまいました。それにより国民車構想も止まってしまいました。工場は軍用使用のキューベルワーゲンやシュビムワーゲンを主に製産するようになりました。戦場でのワーゲンは空冷リアエンジンという構造のおかげで前方からの砲弾にとても強かったといわれてます。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AD%E3%83%A5%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3

1945年ドイツは戦争に敗れ、占領国による技術の収奪行為にさらされるが、前衛すぎるスタイルや構造により「ビートルは特殊な自動車」と見られ、価値なしと判断されました。そんな中、ビートルに将来性を感じたアイヴァン・ハーストは自動車生産を考えていました。残っていたドイツ人労働者の力を借り「フォルクスワーゲン」を誕生させました。

ビートルの世界進出

1947年にオランダに向け輸出がはじまりました。アメリカへの輸出は1949年からです。その後はブラジルやメキシコでの生産も行われるようになりました。VWワーゲンは、頑丈で・耐候性が高く・整備性がよく・高速安定性が高く・経済性が良いと人気を集め、1960年には累計生産1,000万台に到達しました。日本では1952年から輸入車ディーラーヤナセが扱いをはじめました。当時は、お医者さんに人気があり実用的で信頼性のある自動車として長く愛されました。

ビートルの進化そして生産終了

1967年ビートルは電装系を6Vから12Vに変更。基本デザインは変わらないもののスタイルも大きく変更されました。その後北米の安全基準に適合させるためバンパーの大型化などの変更をし続けました。足回りではトーションバー式トレーディングアームからストラット式サスペンションをもつ1302系が発表されました。1973年にはフロントウィンドウが立直タイプからカーブドタイプのなり1303系として1975年まで生産されました。1974年FF水冷エンジンをもつ「フォルクスワーゲン・ゴルフ」の発表もあり、ドイツ本国では1978年を最後に生産は終了します。その後もメキシコでは生産を続け2003年生産終了を迎えました。累計21,539,464台、半世紀以上生産し続けられた名実ともに偉大な大衆車となりました。

フォルクスワーゲン ビートルの兄弟たち

VWのビートル以外の主な兄弟たちを紹介します。

フォルクスワーゲン タイプII

1950年、ビートルのシャーシをベースにリアエンジン・リア駆動の商用車タイプIIが登場した。キャブオーバー型のボディーを乗せた形は広い空間を生み出し、後にいろいろなボディーバリエーションを持つシリーズとなるT1です。粘土で作ったビートルを四角い箱に入れてキュキュッと押しつけて出してみるとタイプIIができてそうなデザインですが、現在でもタイプIIは特に人気が高いモデルです。働く車としても救急車ハシゴ車などのたくさんの特装車がありました。商用車としては、デリバリーバン・シングルピックアップ・クルーキャブピックアップ・ダブルキャブピックアップなどがありました。そのほか3列のシートを備えたバスタイプがあります。マニアの間では「15ウィンドウ」「21ウィンド」などと窓の数でタイプを表しています。1967年、電装系の12Vの変更に伴いビートル同様モデルチェンジが行われT2となりました。ドイツ本国では、1975年でT2の生産を終了しました。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%BF%E3%82%A4%E3%83%972

VWタイプIII

1961年ビートルと共通の空冷リアエンジンや同じホイールベースを持つ、常識的なスタイルの乗用車が発表されました。トランクスペースや室内空間もビートルと比べると格段に広い機能的なモデルでした。乗用車としての実用性はもっていたものの、当時同じクラスの他社の自動車に比べ、空冷であるがゆえヒーターの効きの悪さや騒音の高さ、4ドアモデルがないことなどで魅力に乏しく、ビートルに代わる存在にもなれませんでした。ボディースタイルは、ノッチバック・ファーストバック・バリアントと豊富でした。エンジンは基本ビートルと同じだが、ラゲッジルームを確保するためオイルクーラーなどの補機類のレイアウトが変更されました。1965年にはツインキャブ化。タイプIIIも同様に1967年に12V化され、1969年にはスタイルもチェンジしました。1973年VWパサートの登場で生産終了となりました。ビートルの後継になれなかったとはいえ、12年間で2,452,059台が生産されました。

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タイプIIIノッチバック

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タイプIIIファーストバック

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タイプIIIバリアント

VWカルマンギア

イタリアのギアがボディーのデザインをしドイツのカルマンが生産し、量産車のシャーシやエンジンを組み合わせて誕生したスポーティーな自動車です。名前も両方からいただき「カルマンギア」となりました。
ビートルベースのモデルが1955年に発表されました。ギアの手によりビートルのスタイルからは想像できないくらい流麗な曲面で構成されたスタイリッシュなボディーはとても魅力的でした。その後オープンモデルのカブリオレも追加されました。1961年にはタイプIIIをベースに製作されました。こちらは「シボレーコルベア」の影響なのかエッジの効いたラインが特徴のものでした。ただしビートルベースのものほど人気がでませんでした。2つのタイプとも並行して生産されていましたがタイプIIIベースのカルマンギアは1969年生産中止となりました。その後ビートルベースのカルマンギアはブラジルで1975年まで生産されました。

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%A2

カルマンギアタイプI

出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%82%A9%E3%83%AB%E3%82%AF%E3%82%B9%E3%83%AF%E3%83%BC%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%AB%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%82%AE%E3%82%A2

カルマンギアタイプIII

フォルクスワーゲンを楽しむ

VWは世界中で愛され現在も愛好家たちはイベントやツーリングを楽しんでいます。ここではイベントやカスタムについてみてみましょう。

キャルルック

1970年に入りアメリカの若者のたちの間「ビートルを足として使うカッコよさ」がささやかれはじめました。西海岸の若者がノーマルのビートルで満足するわけがなく、ある者はパワーを求め、ある者は車高の低さを求め、ある者は目立つペイントにこだわったりと、西海岸のVWカスタムの文化キャルルックが誕生し発達していきました。シンプルなエンジンのおかげで少し手を加えればパワーがすぐに上がることも魅力でした。ボディーではモール類を取っ払い、穴をパテ埋めし、派手なペイントを施します。できるだけ太いタイヤを履かせ、車高を極限まで落とし、カリフォルニアの太陽のもとビーチを走るのでした。UCLAの学生が行動を起こし、やがてヒッピ-たちが自分らのライフスタイルの中にビートルを採り入れるという過程を経て、やがて日本にも広がっていくことになりました。ボディーいっぱいにサイケデリックな塗装を施し、目を惹かなきゃ意味がないとばかり、強烈に自己主張したビートルを街のあちこちで見かけました。日本では次にFRPのワイドなフェンダーに極太タイヤでドレスアップしフレーク塗装をするカスタムが流行しました。その後、車検制度が強化されカスタムVWは1台1台と姿を消していくこととなりました。
1975年アメリカの専門誌「hot VWs」に「未来のキャルルック」としてポルシェをモチーフにした実にシンプルで大人の感じにまとめられているものが紹介されました。その後日本でもヴィンテージキャルが人気となってきました。希少なオーバルのセマフォー付きの車両にピカピカのポルシェアロイホイールを履かせ純正のエンブレムやオプション品で贅沢にドレスアップした車両がみられました。1967年以前のモデルは高いこともあり1967年以降の12Vタイプをフェンダーやヘッドライトテールレンズなどを変え6Vスタイルに変更するカスタムも流行りました。カリフォルニアで生まれたカスタム文化も時代と共に変化してきたのです。

出典:http://www.lets-vw.com/comm/callook/archives/type1/

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フォルクスワーゲンのイベント

現在でもワーゲン愛好家は全世界にたくさんいます。そんな彼らの楽しみでもあるワーゲンのお祭りが全世界各地で頻繁に行われています。イベントでは広大な広場に何百台ものワーゲンが集まり自慢の愛車の綺麗にドレスアップした姿を見せあったり、スワップミートでレアなグッズを手に入れたり、情報交換したり、ミスクイーンコンテストがあったり、パイロンを立てコースを走るジムカーナをするところもあります。
ワーゲンならではの競技だなー! って思うものもあります。2人1組でビートルのエンジンを完全に下ろして、またそれを乗せエンジンをかけゴールしそのタイムを競う競技です。空冷のシンプルなエンジンであるからこそできる競技です。欧州でも愛好家は多くイベントも開かれてますが、日本やアメリカのイベントとちがい風景のよい石畳の広場やお城のなかなどで、コンクールドエレガンスの美しさを自慢しあうものが多いようです。車種限定でタイプIIオンリーのイベントやワーゲンだけでドラッグレースをするものもあります。ビートルのイベントはいろいろな楽しみ方できる大人の遊び場です。日本でも各地で数多く行われてますのでぜひ足を運んでみませんか。

出典:http://blog.livedoor.jp/flat4_vw/archives/cat_50028882.html

フラット4エンジン

フラット4、水平対向4気筒エンジンの一番の利点はエンジン振動のバランスの良さです。重心を低くできるので車両の走行安定性がよくなります。しかし、ワーゲンの空冷フラット4エンジンの魅力はシンプルさにあるのではないでしょうか?メンテナンスのしやすさ・高い耐久性・チューニングのしやすさなどなど。シンプルがゆえにチューニングパーツの種類が豊富で、パワーを出すのもよし、耐久性を高めるもよし、いろいろなニーズに応えるパーツがいろいろなメーカーから製品化されてます。嬉しいのはレースをしたい若者が限りある予算でチューニングしてもその金額以上のパワーを体感できるのです。次はツインキャブ化、次はボアアップ、とチューニングの結果が見えるから次々いじりたくなるのです。1/4マイルレースでは、10秒を切る推定250馬力以上のハイパフォーマンスなエンジンもあるのです。ノーマルでは40馬力そこそこですからすごいポテンシャルを秘めたエンジンだったのです。

ビートルの中古車情報

可愛いルックスで人気のビートルは、何年経っても魅力は衰えません。そんなビートルに魅了されている方も多いのではないのでしょうか? そんな方の人のためにリンクを貼っておきますので是非チェックしてみてください。

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まとめ

1933年、ヒトラーの提唱からはじまったビートル計画。まさかここまで全世界で愛される車になろうとは思いもしなかったでしょう。誕生するまでに何度も壁を超え、第二次世界大戦で工場が被害を受け、敗戦によりビートルの生産が危ぶまれたり、そんな困難と闘いながら生産を軌道に乗せ、生産台数世界第1位を手にしたビートル。そのキュートな姿のうらには戦争の暗い影や先人の苦労がたくさんあるのでした。そしてその人気を手助けしたのはアメリカの若者たちでした。若者はワーゲンをとおして新しい文化やライフスタイルを作り、世界の若者がその影響を受け、ただ人と荷物を運ぶ道具としての自動車から安価で遊べてかわいいおもちゃ的要素をもつ自動車として人気を高めるのでした。誕生から80年以上経った今でも日本には空冷ワーゲン専門店が多く存在し、根強い人気と支持がうかがえます。生産が終了した今、空冷のビートルは減少するしかありません。10年後20年後、誕生から100年を迎えたビートルはどうなっているのだろう? 人間ならとっくに平均寿命を超え雲の上にいるのだろうけど。多分ビートルは、愛好家の力で生き続け、街を元気にバサバサと音を立て軽快に走っているようにおもえます。今、VW社はコンピューターの不正プログラム問題で窮地に立たされているが、過去の窮地を何度も乗り越えてきたそのパワーを持って、今から100年後みんなに愛される第2のビートルを残してもらいたいものです。