艷やかな名車「デ・トマソ・パンテーラ」の歴史を徹底解剖!

スーパーカーブームの中でも際立つ派手さが今でも印象に残る「デ・トマソ・パンテーラ」。エンジンはアメリカ製。そのため、「スーパーカーじゃない」などとも言われましたが、やはりカッコ良さは隠せない名車でした。今日は、イタリアとアメリカの合作スーパーカー「デ・トマソ・パンテーラ」を紹介します。

フォーミュラカー・シャーシからスタートしたデ・トマソ社の歴史

「デ・トマソ社」。2004年に解散してしまったイタリアのカーメーカーです。2011年に復活しジュネーブのショーに出展しているようなのですが、残念ながら今はあまりニュースにもなっていません。このデ・トマソ社が1971年に発表した車両が「デ・トマソ パンテーラ」です。当時のスーパーカーファンに、フェラーリやランボルギーニに並んでお馴染みの車名ですね。

このデ・トマソ社、当初からスーパーカーを作っていたわけではなく、フォーミュラカーのコンストラクタとしてシャーシを開発してチーム運営をしています。使っていたエンジンはアルファロメオ、そして後にはコスワースから供給を受けていました。ただ、成果としてはあまり華やかなものではありません。ただ、1970年の参戦では、技術面、チーム名は「デ・トマソ」でしたが、マネージメントはフランク・ウィリアムズが行っていました。この最後の歴史が一番華やかなものかもしれませんね。

パンテーラ登場までのデ・トマソ車も見ておこう

デ・トマソ社は、1963年に試作車としてヴァレルンガ1500を発表。この段階ではアルミボディだったものをFRP製に、オープンからクーペタイプへと切り替えて市販を開始します。エンジンはフォード製を搭載、ミッドシップとしてのロードカーは世界初の試みで、生産台数は僅かに53台でしたが、デ・トマソ社の名前が市販車として知られるようになります。

1966年に2台めの市販車としてフォードと共同開発で発表したのが「マングスタ」です。エンジンはフォード製4.7リッターV8をミッドシップで搭載しています。排気量1,500ccのヴァレルンガに比べ、遥かに大きな4.7リットルのエンジンを搭載したことで、ライトウェイトスポーツの領域からスーパーカーの領域へアクセルを踏み込んだことになります。ボディデザインはカロッツェリア・ギアに移籍直後だったチーフスタイリストのジョルジェット・ジウジアーロによるもので、マングスタはジウジアーロの傑作の一つに数えられるほど美しい仕上がりです。

美しい「豹」。パンテーラ

フォードの販売戦略が生み出した「パンテーラ」

当時の自動車業界の巨人、フォード社との協力関係。というよりもフォード社の強い影響力の下でデ・トマソ社は、より安価に販売できるスーパーカーとして3台目の市販車両開発に乗り出します。この契機は、デ・トマソにあったと言うよりも、フォード社の意向が強かったのです。当時のフォードは、その経営に辣腕をふるい、いわば自動車販売戦略の手腕としては、絶頂期を迎えようとしていたリー・アイアコッカが副社長を勤めていました。アイアコッカは、イタリア系でデ・トマソの創業者、アレッサンドロ・デ・トマソと親しく、そこでデ・トマソを加えたプロジェクトで「フォード・GT40のイメージを踏襲するスポーツカー」ブランドイメージを向上させるための手段として、開発に踏み切ったのです。

コスト改善と量産性を意識した「スーパーカー」

フォードにとっても看板となる「デ・トマソ・パンテーラ」の開発にあたっては、量産性が課題になりました。そのため、ヴァレルンガ、マングスタと継承されたバックボーンフレームのボディ構造からモノコック構造に切り替えています。

エンジンはフォード製の351CDIユニットで排気量5.8リッター、水冷V型8気筒OHVエンジン。330馬力、トルク45kg/mとなかなかのスペックです。ですが、パンテーラのため、スーパーカーとしてチューニングは行わず、コスト重視でほぼノーマルエンジンが搭載しています。

しかし、これはライバルであるフェラーリやランボルギーニにとっては格好の攻撃対象になり、また構造上の問題にもなってしまいます。

まず、パンテーラは、アメリカ市場を意識して車高が高めになっています。先代のマングスタは地上最低高がとても低く、一般路の走行では、路面状況に神経を使いながら走らなければならなかったそうですから、その点を改良しようとしたのかもしれません。そして、エンジンも潤滑機構の都合から、搭載位置を高くせざるを得ず、車体全体の重心位置も高くなってしまいました。このために、挙動の安定性にもろさが出てしまいます。これが第一の問題です。そして、フェラーリもランボルギーニもエンジンは自社製です。しかしデ・トマソ・パンテーラはフォードエンジン(のノーマル)ですから、愛好家、エンスージアストにとっては、あまり面白くない存在だったのでしょう。「パンテーラは、ピュアな純粋なスポーツカーではない」と非難を受けます。

様々な批判を浴びますが、パンテーラは1972年にピークとなる年間2,700台の生産を成し遂げます。フォードが目標とした数値には及びませんが、当時のスーパーカー市場では画期的な売上です。この裏にはやはりフェラーリやランボルギーニなどのライバルスーパーカーに対抗するプライス戦略、そしてフォードの全米に張り巡らせた販売網が有利に働いたことは疑いようがありません。

1973年には、オイルショックを迎えます。このため、パンテーラの生産は急激に落ち込みますが、これはパンテーラだけではなく、自動車市場そのものが冷え込み、特にスーパーカー市場ではガソリン価格の高騰の影響を受けやすかったことに起因するものでした。そのため、1970年代を通じて生産は続けられ、最終的には1990年代まで少量ですが生産が行われていたそうです。

デ・トマソ・パンテーラの変遷

初代パンテーラ「Pre L」

1971〜1972年中期に生産されていた初代モデル。前期型(アーリー)・後期型(レイト)モデルがあり、アーリーからレイトでは、トランスミッションのインプットシャフト径、、車体配線、ミッションマウント、ドアハンドル、エンジン仕様、シャシーの補強が見直されたそうです。

2代目パンテーラ「パンテーラL」

初代からすぐに追加されたニューモデル「パンテーラL」。車名の後ろにつく「L」は「豪華、贅沢」を意味するイタリア語「Lusso」だそうです。ヨーロッパ仕様以外で衝撃吸収バンパーに変更されたほか、シートベルト警告ランプ及びブザーなどの安全対策の強化や装備の充実で車体重量が約100Kg増になっています。また、エンジン面が見直され、PreLでは10.7:1だった圧縮比が8.0:1に下げられたようです。このため、出力は20〜40馬力程度引き下げられています。この見直しは扱いやすさの向上にあったと言われています。

3代目はハイパフォーマンスモデル「GTS」

パンテーラのハイパフォーマンスモデルとして1973年に登場したGTSは、顕著にヨーロッパ仕様とアメリカ仕様が違っています。この背景にはオイルショックによるパンテーラの売上低迷やフォードの業績悪化などでのデ・トマソとの関係が冷え込んでいたのではないかと言われているようです。アメリカ仕様では、エンジンはノーマルのままでしたが、ヨーロッパ仕様はエンジンの圧縮比を再び引き上げ、出力350馬力、トルク50kg/mを実現しています。それに伴って、タイヤを太くし、ペイントデザインもボディのウエストラインから下部にかけてブラックの塗装としました。このこのことで、派手なスーパーカーとしての印象が強くなっています。

この時期のパンテーラは日本にも輸入されていますが、多くは、アメリカ仕様を輸入したノーマルエンジンのパンテーラで、ヨーロッパ仕様のGTS風に改造したものだったそうです。

レースのために改造された4代目「GT4」

GTSをパワーアップし、グループ4のレギュレーション「連続する12ヶ月間に400台の生産」をクリアすべく生産されたモデルが「GT4」です。特筆すべきは、それまで、ほぼノーマルだったエンジンを大幅にチューンアップしたことです。このことで500馬力以上というハイパワーを実現します。当然、GTSのヨーロッパ仕様で太くされたタイヤでも、そのパワーを路面に伝えるためには不十分で、ワイドトレッドタイヤ(フロント10J・リヤ13J)に変更されました。更に印象的なのがオーバーフェンダーで、リアからのシルエットでは更にオーバーフェンダーに威圧されそうな雰囲気があります。公称最高速度331km/hでしたが、レースではあまり語られるような結果には結びつきませんでした。

GT4からスマートに変身した「GT5」登場

GT4のイメージは残しつつ、大幅にモデルチェンジした「GT5」が1980年に登場します。ゴツゴツとした直線的なラインが印象に残るパンテーラが、流麗な曲線を多用した外観の変更で更に「豹」のイメージを追い求めたようなモデルチェンジでした。リアウィングをランボルギーニ・カウンタック風に高く設置し、張り出したオーバーフェンダーはFRP製に変更され、リベットが無くされています。この変更はレースで結果を求めたものではないようで、大胆な外観の変更の代わりにエンジンがデチューンされ、最高出力330馬力、公称での最高時速は281km/hに留まっています。

GT5からのマイナーチェンジバージョン「GT5-S」

1984年に入り、パンテーラにマイナーチェンジモデルの「GT5-S」が登場します。エンジンはこれまでアメリカ製のフォードを使っていましたが、アメリカでの製造が中止されたことから、この時からオーストラリア製に変更されました。外観上の変更点は、前後のオーバーフェンダーにあったサイドスカートの廃止が挙げられます。このことで、「GT5」の滑らかなデザインが、更に強まった印象です。しかし、パンテーラ、特にGT5の派手な印象は全く失われていません。

オーストラリア製に移行したエンジンは、標準が300馬力に出力をさげているものの、ハイパフォーマンスモデルでは350馬力へと逆にパワーアップしています。

パンテーラの最終形「SI」発売

1991年になると、最終モデル「SI」が地元イタリアのトリノショーで発表されます。その時には、イタリア語で「新しい」を意味するイタリア語で「新しい」という意味を持つ「ヌォーバ」をつけた「ヌォーバ・パンテーラ」とも呼ばれました。このモデルのデザインは「ランボルギーニ・カウンタック」や「ランチア・ストラトス」も手がけたマルチェロ・ガンディーニです。彼のデザインは奇抜さが有名です。そして、パンテーラのチーフエンジニアは、ジャン・パオロ・ダラーラ。ガンディーニとは、ランボルギーニ・ミウラを手がけた仲間でした。

ヌーヴァ、SIは、フェラーリF40を思いおこすような外観で、F40の特徴だった二分割式リアウイングが採用されています。そして、パンテーラがはじめてエンジンそのものをへんこうします。現れている。ここに来て初めてエンジンが変更され、排気量5.8リッター、水冷V型8気筒OHVエンジンから、フォード・マスタングに搭載されていた排気量5リッター、水冷V型8気筒OHVエンジンが搭載されるようになります。

排気量が減ったことによって、出力は247馬力に、トルクも40.8kg/mと、これまでのパンテーラに比べると低下しています。1994年には、41台製造されましたが、そのうちの4台だけは、ミラノの車両製造会社「Pavesi」によりタルガトップに改造されています。このタルガトップトップ車両はSIタルガとして、最終のパンテーラの公式バージョンとされました。

まとめ

1960年代の終わりから、1990年代までの長い間、エンジンは一度だけしかモデルチェンジされなかった「デ・トマソ・パンテーラ」。スーパーカーブームを知っている方には、ランボルギーニやフェラーリとは一風変わった攻撃的なデザインが印象に残った車をクルマではないでしょうか?

このパンテーラを世に送り出したアイアコッカは、後にフォード社長をつとめ、クライスラーへと移ります。そして、もう一人の立役者、アレッサンドロ・デ・トマソは、2003年に亡くなっています。そして、2004年、親族によってデ・トマソ社も解散されてしまいました。

2009年にフィアットの元重役により商標が買い取られ、新生デ・トマソが再出発していますが、2011年のジュネーブショーでの新車発表から、目立ったニュースが無いようです。また再び、子どもたちやスポーツカーファンの胸を熱くするような、クルマが産み出すことはできるのでしょうか?