【カーズ】大人だからこそ見る映画、ホントのおすすめの見どころ

子どもたちに圧倒的に支持された2006年公開の映画カーズ。登場するのは擬人化された自動車たち。華やかなレースの世界を描いていますが、本格的レース映画とはちょっと違います。子どもの見るアニメーションで、レース描写も本格派ではない?ならば興味ないな!!などと早合点しないで下さい。なかなかの人間ドラマとテーマが描かれます。

カーズはレーシングの世界が舞台?

舞台はピストンカップ。いつも大観衆が押し寄せるオーバルのレースシリーズです。ピストンカップにはレースファンのみならず世間の皆が大きな関心を寄せています。なにしろここは車たちの世界。
自動車たちが生きる世界で最高の車を決めるレースなのですから誰もが注目をしている華やかな世界です。

その世界に彗星のごとく現れたのが新人のライトニング・マックイーン。ルーキーながら、実現したら史上初となるデビューイヤーでのチャンピオンが目前に迫っているのです。
最終戦まで幾度もチャンピンオンをとっているキングことストリップ・ウェザースといつも2番手ながらこの年は頑張っているチック・ヒックスと3つどもえの戦いで同点対決となっています。
すでに引退が発表されていたキングが有終の美を飾るのか、ついにヒックスの念願がかなうのか、ルーキーの野望が実るのか。
ところが最終戦はトップを走っていたマックイーンがゴール目前でタイヤトラブル、スタッフの進言も無視して突っ走ったツケが回ってきましたが、どこ吹く風レースを盛り上げたとうそぶきます。
いつでもぞんざいな扱いを受けていたチームクルーは出ていってしまいますが、代わりはいくらでもいると問題にしません。
レースは3台同着となり優勝決定戦がカリフォルニアで行われることになります。いいスタッフが必要だと後輩を諭すキングの言葉には、キングのスポンサー、大事な食糧、ガソリンの大手販売会社ダイナコの後釜に座る夢を見るだけでスタッフの力を借りることなど思いつきもしません。
そもそもルーキーのマックイーンについているのはさび付いた車たちが相手のさび落としの会社、ごちそうの供給元のダイナコとは格が違います。
自分に相応しいのはダイナコと思い、現実に応援してくれているスポンサーにさえ感謝する気は毛頭ありません。
マックイーンの生き方は友達もいらない自分に何かをしてくれる人がいればいいという超絶選民思考、ただそれだけの実力があります。それの何が悪かろう、マックイーンの周囲はいまやそんな人ばかりです。

アメリカーンな車体に投資銀行をスポンサーに持つ嫌味な性格のヒックスがカリフォルニア一番乗りを目指すと、負けていられないと献身的なトレーラーのマックを無休で走らせることにします。
レーシングカーのマックイーンはライトもついていませんし、夜は走れもしません。自分の力でカリフォルニアに向かうことはできないのです。ただレースで速く走るだけ、実はそれしかできない車なんです。

トレーラーのマックに無理をさせたつけで、高速道路からマックイーンは暗闇の荒野に投げ出されることになります。

カリフォルニアでの決勝レースまでの1週間、都会のレーシングカーのマックイーンは全く未知の世界に紛れ込むことになったのです。

カーズの魅力

リアルな世界のレーシングとは、まるで違う世界です。現実世界のレーシングなら、それじゃあ理屈に合わないよというのは野暮というもの。この世界では車は機械じゃあないんです。生身の体で勝負しているのですからまさしくアスリート。そういう視点でみてみましょう。

それにカーズの世界には機械は機械でちゃんと存在しています。信号機とか食べ物となるガソリンをいれてくれる給油機、足(ホイール)を傷めないように履くタイヤ、それを固定するネジを回す機械。

擬人化された登場人物たち、でも人間の友達じゃあありません

はじめての親友はボロボロの変なやつ

ネタばらしをすればカーズは友達のいなかったマックイーンに友達ができる話です。ただし、よくあるパターンの人間の友達が出来る訳ではありません。カーズの世界は自動車の世界で人間は全く登場しません。人と物の交流の話ではなく、人間が車に置き換わった世界観です。足の代わりにタイヤで動き、心臓の代わりにエンジンが動きます。ある意味ただそれだけで人間ドラマと変わりありません。
作画上でもよく考えたもので、カーズの世界の自動車はライトが目ではなくてフロントウィンドウについているのです。そしてフロントウィンドウは瞬きをして閉じてしまうこともあります。
もちろん、そんな車はみたことがありません。大抵の作画家が目とするライトは、ライトニング・マックイーンにはついていませんが、カーズに登場する車にとっても暗闇を照らすライトそのものの役割を果たしています。車のバンパーのあたりには口があって言葉をしゃべるのに使われます。

マックイーンは悪気はないとはいえ、暗闇の中の混乱から街を破壊して道路を無茶苦茶にしてしまい、警官に拘束されることなります。留置場の見張りにいたのがおんぼろレッカー車のメーターです。
道路補修の判決を受けて社会奉仕を命じられたマックイーンはレースに間に合わない可能性がでてきます。田舎街の数少ないレースファンは移民の家系なのかフェラーリにしか興味がなく、有名人のはずのマックイーンのステイタスもまるで通じません。その頃、マックイーンの失踪に気がついた世間では大騒ぎになっているのにです。

雑な仕事を咎められて反発するマックイーンは得意のレースで釈放を掛けた勝負をするチャンスを得ますが街のリーダー、ドッグハドソンは戦略で走らずしてマックイーンを打ち負かします。
そしておんぼろレッカー車のメーターにさえバックギアを使った走行でまるで敵わないことを知ります。そもそもレーシングカーのマックイーンにはライトだけでなくバックミラーもついていないのです。
思いのほかの力をみせたメーターにマックイーンがレースの夢を語ると、話に出て来たヘリコプターにメーターが反応します。自分の夢はヘリコプターに乗ることなんだと。
安請け合いでヘリコプターに乗せることを約束したマックイーンにメーターは感激して、おまえは親友だと話すのです。偽りかどうかはっきりしないながらも、これまた経験のなかった感情にさらされることになります。

ライトニング・マックイーンの「カチャウ」ってなに?

ところで劇中でライトニング・マックイーンが得意げな顔をしながら度々発する言葉があります。それが「カチャウ」なのですが、一体どういう意味なんでしょう。
これはどうやら雷に関わるもののようです。名前となっているライトニング(lightning)とは英語で明確な意味があって稲妻、稲光のことです。ライトは簡単な英語ですからいわゆるサンダー(雷)とはちょっとニュアンスが違うことはお分かり頂けるかと思います。
劇中でもマックイーンが「サンダーは稲妻よりも後にくる、カチャウ‼」といっていますし別の意味です。
マックイーンのボディには稲妻がペイントされていますから、雷をキャラクタライズしている訳ですが、「カチャウ」はどちらかというと「後からくる」もののほうに近い意味のようです。
結果からすると雷鳴のことということになりますが、雷鳴のことを英語でカチャウという訳ではありません。雷鳴は英語ではサンダーです。
やはり雷って多くの人が感じるのは「ゴロゴロ」と擬音で表されるのが通例の雷鳴のほうのことを指しますよね。稲妻がみえないところにいても雷鳴は聞こえますしね。
「ピカッ」と光るほうが雷じゃあない訳ではないですし、ホントはあっちが本体なのですが、恐ろしく感じるのもまた、雷鳴のほうじゃあないでしょうか。もちろんホントに恐ろしいのもライトニングのほうなんですけれども。
カーズの監督が来日した時に話したことなのですが、子どもは自分だけの擬音をもっているということです。車のおもちゃでも走行音って勝手に思っている音で口にしたりするものだと。
そこでライトニング・マックイーンの声を担当するオーウェン・ウィルソンに雷鳴を表現したらどんな感じ? と尋ねたところ「んー…、カチャーウじゃなーい!!」と答えて叫びだしたそうです。一同爆笑した結果、決めゼリフをこれにしようと決定したということです。
だから「カチャウ」は雷でも雷鳴でもゴロゴロでもないけれども、そういったものを表す造語だったんだって分かるのです。

マックイーンのほうの名前の由来は?

この映画を製作しているスタジオのアニメーターの一人は難病にかかり、会社がカーズの制作を始める前に42歳で亡くなってしまいました。このためカーズの主人公の名前はこのアニメーター、グレン・マックイーンの名前に決まったといわれています。

ただ、すんなりとこの話が決まったのはマックイーンという名前はレースにちなんだ有名人の名前でもあるからだと思われます。

映画俳優のスティーブ・マックイーンは冒険する男を演じさせたらピカイチの俳優でした。今でいうならばハリソン・フォードをもっとワイルドにした感じでしょうか。というと随分ワイルドな感じですが、ホントにタフガイを演じさせるならこの人という感じの俳優でした。
カーマニアでも有名で、なんと本格派カーレースの映画まで作ってしまいます。それが日本では大ヒットした「栄光のルマン」です。
アメリカではルマンどころかF1でさえ、ヨーロッパのレースはまるで一般には受けません。映画そのものはマックイーンがアマチュアレーサーでもありますから、レースマニアであるほど喜ぶような作品だったのですが、どうにも興行成績は振るわずマックイーンも大損害を受け、二度と映画製作に関わろうとはしませんでした。

一般のアメリカ人には受けませんが、F1を始めとしてヨーロッパスタイルのレースというのはアメリカ人でもマニアなファンが多数存在するジャンルです。レースを深く知れば知るほどやはりこちらに傾くことは否定できません。
そもそもライトニング・マックイーンのモデルになっている自動車も単純にNASCARの車両ではありません。今のNASCARはレーシングカーに市販車風の側をかぶせたもので、こうなるとかぶせるカウルに求められるのは空力性能で個性じゃあありません。これでは映画の主人公としてはつまらないので、カーズのマックイーンのデザインはルマンの車両も参考にして創作されています。

そこかしこにヨーロッパレースへのオマージュがちりばめられていてちょっと不思議なのがカーズのテイストです。
ヨーロッパへのあこがれというものは、古典的なディズニー映画のテーマにも感じます。カリフォルニアとパリと香港にあるスリーピングビューティーキャッスル(眠れる森の美女の城)もドイツのノイシュバンシュタインがモデルといわれますし、東京ディズニーランドのシンデレラ城もフランスのお城がモデルといわれます。
昔は確かにそうだったように思いますが、ディズニーの会社のテイストはハリウッドそのものですよね?

スティーブ・マックイーンと同時代の俳優でやはり人気があった俳優にポール・ニューマンがいます。2巨頭が共演した高層ビルが燃え上がる「タワーリングインフェルノ」なんて作品は大きな話題になりました。
ポール・ニューマンもまたレースにのめりこんだ人で今アメリカのレースのトップチームのひとつ、ニューマン・ハースはこの人が関わったチームです。
そして劇中のかつてのピストンカップの伝説の名レーサー、事故のあと人知れず消えていたドッグハドソンの声はポール・ニューマンが担当しました。生意気なライトニング・マックイーンをダートでぎゃふんといわせて嗜める重要な役でした。続編のカーズ2までの間に亡くなってしまい、そのためカーズ2にはドッグハドソンは登場しません。やはり亡くなった設定になっているのです。

最後の方には、マックィーンのピットスタッフとなるキャラクターの店にミハエル・シューマッハが訪れるシーンも挿入されています。

カーズはアメリカ映画にしてはなんだか怪しいオマージュに包まれているのです。

サリーが語るラジエータースプリングスの魅力

マックイーンがレーシングカーなのをみて、ドッグハドソンは過去を隠していたために厄介払いをしようとします。さっさと釈放しようとするのですが、壊れた道路を修繕するパワーのある車が街にいないために、マックイーンを使おうと判決を変えさせたのがポルシェの形をしたサリーです。

サリーは元弁護士で元々この街の住人ではありません。マックイーンが迷い込んだ田舎街、ラジエータースプリングスにはまるで不釣り合いな車です。都会の弁護士時代には華やかな生活をしていたサリーがなぜ、この街にいるのか聞いたマックイーンはサリーが夢見るかつて栄えていた街をみたいという話に共感します。

高速道路では通らないかつての街道ルート66にはサリーもマックイーンも心を打たれる絶景があったのです。何の価値も持たないようなラジエータースプリングスがほんとうに宝石だったことを知ったマックイーンはフルパワーで道路を修繕して街の人たちと心を通わせることになります。

それまでのマックイーンは自分を支えるスポンサーにさえ、自分が何をしてもらえるかのみ考えて、お世話になっているスポンサーさえ優劣を比較してさげずんでいました。

自分が人に与えられたものがある実感を感じ取れたことで、マックイーンも何かを与える気持ちよさがうれしいものなんだと気がつきます。

マックイーンからのサリーへの贈り物として、ラジエータースプリングスのネオンがかつての輝きを取り戻して見せた時、ドックハドソンの呼んだマスコミに囲まれてマックイーンが本来の生活に戻ることになる時がきます。ピストンカップの優勝決定戦にも何とか間に合うことになりました。

サリーの語った言葉の説得力

ライトニング・マックイーンの心変わりの決定打はラジエータースプリングスの絶景ですが、それはタダの絶景ではありません。サリーと走ったその絶景だからこそ深く刻まれたことになっています。
そして映画を見ている私たちにはサリーの言葉として投げかけられます。
高速道路ができる前は人は楽しみに行くためにドライブするのではなく、楽しみながら走っていたと。
道は地形を切り裂くのではなく、地形に沿って走っていた(だからラジエータースプリングスのような宝石のような景色を見つけ街に価値が生まれたんだ)と。

こんな視点でカーズを見直してみると、冒頭のピストンカップ最終戦、引退を前にしたキングがマックイーンを諭すときのシーンが意味深になってきます。挿入されるマックイーンの妄想シーンがダイナコの後釜に座るだけでなく、まるでダブルオーセブンのような活躍を見せているのはちょっと奇異で唐突ですし、しかもご丁寧にもハリウッドでもてはやされるシーンまでついてくるのが意味があって、ニヤリと笑うシーンだったのだと分かります。
下手をするとハリウッドのイメージに洗脳されているだけのアメリカと日本の多くの人はただの夢想シーンとしか思わないのかもしれませんが、なんとも怪しいシーンです。

カーズの怪しさはもう半端ではないのです。

カーズ制作の背景とは

カーズを配給したのはウォルトディズニーですが、カーズの制作を担当したのはピクサーというプロダクションです。

ピクサーは今ではディズニーに買収されていますが、興味深い成り立ちと変遷を経ています。ピクサーを知るとカーズに秘められたテイストの理由が少し分かってくるように思います。

ピクサーはもともとはルーカス・フィルム

ピクサーとディズニーの関係は、もともとコンピューターグラフィックの技術を売り買いする関係だったのですが、ピクサーも初期はハード屋としての性格が強かったのです。

実はピクサーの源流はルーカス・フィルムです。ルーカス・フィルムとは言わずとしれたスターウォーズのジョージ・ルーカスの会社で、設立自体はスターウォーズのずっと前、ルーカスの最初の長編商業映画の「アメリカン・グラフィティ」もこの会社で作られました。
リチャード・ドレイファスを起用して、実はハリソン・フォードも印象的な出番のある、ちょっと奇妙な低予算映画でしたが、そこそこの評判を得たことで、スターウォーズ制作の足掛かりをつかみます。

脚本が大不評だったスターウォーズですが、キャラクタライズの権利をもらう代わりに、演出料をディスカウントしてやっと20世紀フォックスでの制作が決まると、フィルム合成による特撮のエンジニア、ジョン・ダイクストラとILM(インダストリアル・ライト&マジック)を設立します。スターウォーズの特撮はこの会社で制作されることになります。

幸いにスターウォーズは大評判となり、ルーカスはむしろ続編の制作を映画会社から、せっつかれることになります。ただし、ルーカスはダイクストラの予算の使い方が気に入らなかったらしく、ふたりは袂を分かつことになります。ルーカスはルーカス・フィルムの子会社として新たにILMを作りなおすと、そこに現在のピクサーの社長、エドウィン・キャットルマンがコンピューターグラフィックス部門に移籍してくることになるのです。そこで技術を磨きながらスターウォーズの最初の3部作の残り、エピソード5、6を完成させることになります。途中でピクサーのアニメーションの中心人物となるジョン・ラセターもスカウトしています。

ルーカスの作家性と共通する潮流か

ジョージ・ルーカスは映画のキャラクターを使った商売の先駆者となります。どこまで予測していたのかは別として、演出料の代わりにキャラクターの版権をもらったことがルーカスが純粋な映画作家として活躍する資金源となり、デジタル合成技術の進歩に多大な影響を与える結果となります。
今では映画会社も事の重大さに気がついてしまって、映画監督にキャラクターの版権を渡すような真似は決してしません。もうルーカスモデルの映画作家は出てくることはありません。

そもそも最初からルーカスはハリウッドタイプの映画監督ではありませんが、経済的な自由を得たことで映画製作は自己資金で行っていて、ますますその傾向が強まりました。それは次の3部作、エピソード1、2、3によく表れています。新しいスターウォーズがいよいよ公開されようとしています。サーガの最後の3つの話になる訳ですが、今度からはディズニーの制作です。ルーカスは会社をディズニーに売ってしまったのです。原案はルーカスですが、もう監督もやりません。それはあまりに批判が多くてうんざりするからだそうです。

スターウォーズエピソード1ファントムメナスは最初のスターウォーズ、エピソード4新たなる希望以来自分自身でメガホンを握った作品ですが、大枠ではダースベーダーとなるアナキン・スカイウォーカーのフォースの目覚めを描いて、骨子は通していますが、それを抜きにして要するにどんな映画かといえば、奴隷の子供がレースに勝って自らの自由を獲得するというストーリーです。レースの中でさすがはフォースの最高の使い手となる素質を持っているというところは見せますが、割合描写は地味で、ハリウッド的なストリーテリングを正義とする評論家からは酷評されました。おかしな話で映画としての質はエピソード5、6などより遥かによいのは間違いないと思います。全世界の歴代興収でもこの時がシリーズ最高位を記録しています。

そしてピクサーが誕生します

このエピソード1に先立ってルーカスは映画製作に集中して資金もフル投下するためコンピューターグラフィックスのハード開発の部分をスティーブ・ジョブスに売り払うことにします。ちなみにこのときジョブスはアップルコンピュータ―にいたのではなく、一旦追い出された後でした。こうしてできたのがピクサーという会社なのです。

ところがハード機器部門は売り上げ不振が続き、ジョブスは会社をコンピューターグラフィックスのアニメとコマーシャルの制作会社にすることにしてハード部分を売り払いました。ジョン・ラセターらを中心として評価も高まるといよいよディズニー配給の長編映画を作ることになります。

こうして作られたのが初のフル3DCGの「トイ・ストーリー」です。監督をしたジョン・ラセターは実は最初はディズニーでアニメーションを作っていました。ラセターが入社した頃のディズニーはすでに創業者のウォルターは亡くなっていません。ラセターはディズニーに憧れて入社したのですが、もうその頃にはディズニーはかつての姿ではなくなっていたのです。
それでもラセターは仕事に励み着々と腕を磨いていきました。そんなある日最新のCGで描かれた映画をみて、この技術はディズニーにも必要だと会社に提案を行ったのです。
結果として、反対を押し切ってこの提案を推進しようとするラスターを煙たく思った経営陣は解雇に踏み切るのことになります。落胆するラスターを誘ったのがルーカスのILMにいたエドウィン・キャットルマン現社長だったことは先に書いたとおりです。

トイ・ストーリーの主役はおもちゃですが、おもちゃたちはわがままな子どもに翻弄される嫌な役回りです。ご主人様ともいえる子どもは好きなだけおもちゃを買って貰え、飽きてしまえばぞんざいに扱われてしまうこともあります。そんな環境でのおもちゃどおしの争いから、外に飛び出して、もっと残酷な子どもに捕まってしまい危機が訪れてからの脱出劇と帰還を描いています。
単純に考えれば、子ども向けにしては深刻で残酷な描写があって、だからこそ人の心に誠実に向き合った作品になっています。

興収もビデオの売り上げも絶好調を記録して、続編やイソップ童話をモチーフにしたアリの話、怪物の話とさらなる評判を得た後、カクレクマノミの子供の冒険を描いた「ファイティングニモ」が空前の大ヒットとなった後に作られることになったのがこのカーズになります。

ピクサーはディズニーの配下に

ここからは後日談になりますが、ピクサーのディズニーとの契約はトイ・ストーリーの後に5本製作するということでした。
カーズは数えてみるとトイ・ストリーの後の6本目ですが、ビデオ専用として考えられていたトイ・ストーリー2が劇場版に変更されたため、数に入っていない事情があり、当初の契約満了はカーズまでということになります。
当然このことは両者の間に軋轢を生みます。トイストーリーの続編がビデオとして企画されていたことはディズニー側が大ヒットを予測していなかったことの証拠です。
ピクサーの作品がどれも大ヒットを記録するとディズニー本体の力ではヒット作を作れないこともあり、完全にピクサーに依存する形になってしまったのです。
キャラクターの権利含めたロイヤリティは当然、ディズニーに相当有利に定められています。
独立を図るピクサーと、そんなことを認める訳にはいかないディズニーの争いはディズニーの社長の退任にまで発展してしまいました。
その後に新社長とジョブスの間で売買契約が成立してピクサーはディズニーの資本下に置かれます。
しかしその実態はジョブスのディズニーの役員への就任、ピクサーの社長はエドウィン・キャットルマン、そしてピクサー、ディズニーの制作現場の責任者へのラセターの返り咲きということです。
こうして生まれたのがディズニーの「アナと雪の女王」などの作品なのです。

異形のものに語らせる価値観とは

映画の作家性、メッセージ性という意味では一筋縄ではいかないカーズの世界観はピクサーのアニメーションに間違いなく脈づいています。

ピクサーの映画に登場したのは本来なら意思など持たない、感情などあり得ないものたちです。そんな異形のものたちが赤裸々な気持ちのぶつけ合いから何かを得て、また何かを与えることになります。

ハリウッドの映画ではなぜか人に何かを考えさせるのを嫌がる傾向があります。保守的なセレブの重役たちが冒険を嫌い安易な答えを求めすぎるのかもしれません。
なんらかの理由があって洗脳をモットーとしているのかもしれません。

そんな安易さには我慢がならない上質のクリエーターが、だからといって難解な表現を取らずに子どもが見ても(どこまでかは別として)理解できて、何かを感じ、何かを考えるきっかけとなるような作品を作っています。

カーズも間違いなくそんな一本です。だから大人になってこそもう一度見てみたい気がする作品なのでしょう。

間もなく公開のスターウォーズ フォースの覚醒が果たしてルーカス・ピクサー=ディズニーのテイストなのか、ちょっと前のディズニーテイストなのかも、何だか気になってきましたね。

たまにはのんびりするのも悪くないね

題したのはサリーがラジエータースプリングスの魅力を語った後、マックイーンが話したセリフです。
みなさんはどうお感じになったでしょうか。
映画のほんとうのカタルシスはラストにもっともっと素直に用意されています。そしてご紹介しきれなかったニヤリとするシーンもまだまだちりばめられています。
また、のんびりとカーズを見てみませんか。まだ見ていないならご覧になっていただけたらと思います。