【松田次生】規格を問わず速さを見せる日本最速の男の魅力に迫る!

かつてはフォーミュラ・ニッポンで二度のチャンピオンを獲得し、2014年2015年とスーパーGTでも連続シリーズチャンピオンに輝いた、現在日本で一番早い男松田次生選手。耐久シリーズでも持ち前の安定感を武器に活躍し、どんな規格でも優れた成績を残せるドライバーです。そんな松田次生選手の経歴や愛車、家族について等の詳細に迫ります。

松田次生とは?

出典:http://tsugio-blog.com/?cid=1

幼少期から大の自動車が好きで、遊園地のゴーカートが大好きな少年でした。特に実家の近くにある鈴鹿サーキットのゴーカートが好きだったようです。中学時代は陸上競技に熱中する少年でしたが、怪我を機に断念、そのごゴーカートショップの門を叩いたことがレーシングドライバー松田次生誕生のきっかけとなりました。

とても研究熱心なドライバーとしても有名で、鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラクラスに在籍している時から、ライバルドライバーのドライビングを徹底的に研究し、切磋琢磨を繰り返しまし、見事スカラシップ生に選ばれたというエピソードがあります。

そして、20年近く現役で活躍しているドライバーですが、未だにライバルの走りを熱心に研究しています。F1などで解説者として登場する際も、その研究作業で培われたのか、とても的確で分かりやすい解説には定評があります。

プロフィール

身長:175cm
体重:68kg
誕生日:1979年6月18日
血液型:RH+A型
趣味:鉄道模型
出身地:三重県桑名市

主な獲得タイトル:2007年、2008年度フォーミュラ・ニッポンシリーズチャンピオン。2014年、2015年度スーパーGT GT500クラス シリーズチャンピオン。

趣味の鉄道模型はNケージの自作レイアウトで車両を走らせるほどの入れ込みようで、かなりの鉄道模型マニアとして知られています。この自作レイアウトは鉄道模型専門誌やレース雑誌にたびたび紹介されるほど、完成度の高いものとして知られています。

かつてTBSラジオで放送されていた「らじこん」内のコンテンツ、「松田次生と小倉茂徳のモーターホームレディオ」でDJを務めていました。

年収は?

フォーミュラ・ニッポンでの2度のチャンピオン獲得、スーパーGTでも2度チャンピオン経験がありますので、最高年収は1億円以上得ていると思われます。そして個人でもスポンサーを多く獲得していますし、スーパーGTでは毎年ランキング上位に顔を出す国内トップドライバーですので、安定して2,000万円から3,000万円以上は稼いでいるでしょう。

松田次生の戦績

1993年にレーシングカートを開始したところから松田次生選手のレーシングドライバー人生がはじまります。20年近いレース活動での輝かしい戦績をご紹介していきます。

レーシングカートでの活躍から鈴鹿レーシングスクールへ入校まで

1993年から1997年までレーシングカートで活動していた松田次生選手ですが、この頃は目立った成績は残せませんでした。しかしその中でも1996年に行われたCIK-FIAアジア・パシフィック・カート選手権・ICAクラスで優勝したことをきっかけに注目を集めるようになります。このCIK-FIAアジア・パシフィック・カート選手権はフォーミュラカーへの登竜門として注目されており、国内外問わず有力若手ドライバーが多数出場するレースでした。

1997年になると鈴鹿サーキットレーシングスクール・フォーミュラクラスに入校します。同期生にはF1で表彰台にまで上がる活躍を見せ、アメリカのトップフォーミュラ、インディカーで日本人初優勝を記録した佐藤琢磨選手や、ドイツのF3選手権でシリーズチャンピオンを獲得した金石年弘選手がおり、華の3期生と呼ばれる黄金世代でした。

松田選手はこのレーシングスクール時代に熱心に他のライバルドライバー達の走りを熱心に研究、切磋琢磨を繰り返しました。こうした努力が評価され見事にスカラシップ生として選出されました。

中島企画から全日本F3へ参戦

1998年には中嶋企画から全日本F3選手権へ参戦します。第5戦ツインリンクもてぎでは優勝を飾り、第7戦スポーツランドSUGOでは3位表彰台を獲得する活躍を見せ、シリーズランキング4位という成績を残します。またこの年は山西康司選手の代役としてフォーミュラ・ニッポンにもスポット参戦。いきなりの参戦で6位入賞という好成績を残します。

1999年も引き続き中嶋企画から全日本F3選手権に参戦します。第3戦富士スピードウェイでの2位を最高位に4度の表彰台を獲得、シリーズランキング5位という活躍を見せました。この年は世界的にも有名なレース、マカオF3にも参戦、4位という好成績を収め、ホンダ期待の若手ドライバーとして、業界での評価が高まっていくこととなります。

フォーミュラ・ニッポンへ本格参戦。最年少優勝を記録

出典:http://nakajimaracing.co.jp/07reportf/fn8.html

1998年にスポット参戦ながらも6位入賞という目の覚めるようなパフォーマンスを披露した松田次生選手。満を持して、中嶋企画よりフル参戦を果たすことになるのが2000年のことです。開幕戦鈴鹿サーキットでは12位に終わりましたが、第2戦ツインリンクもてぎでは3位表彰台を獲得、そしてMINEサーキットでの第3戦を迎えます。

この年は前年まで性能の低いマシンでF1を戦っていた高木虎之介選手が怒涛の開幕2連勝を記録。この第3戦でもポールポジションからトップを独走する形でレースが進んでいきます。このまま高木選手の圧勝で終わると皆が思っていた45周目、高木選手のマシンがエンジントラブルでまさかのリタイアに終わってしまいます。

トップがいきなりの離脱で騒然とするサーキットで次に注目されたのが弱冠20歳の松田選手でした。2位のミハエル・クルム選手が追い上げを見せるも、これを見事振り切り待望のフォーミュラ・ニッポン初優勝を飾ります。同時にこの勝利はフォーミュラ・ニッポンでの史上最年少記録更新の瞬間でもありました。

2000年は高木虎之介選手が10戦中8勝というシリーズを圧巻する走りをみせたシーズンで、松田選手はこの1勝以外勝ち星を挙げられませんでしたが、フル参戦初年度にして、優勝を含め4度も表彰台を獲得する活躍をみせシリーズランキング4位という好成績を残しました。

2001年から2002年までの低迷期

2000年のルーキーらしからぬ走りに関係者もファンも、「次のチャンピオンは松田次生に決まりだ」といった機運が高まってきました。中嶋企画も松田選手の育成に更に力を入れ、2001年はファーストドライバーとして抜擢されることになります。

しかし、2KL型のレイナードシャシーが合わなかったのか、チームメイトのラルフ・ファーマン選手の後塵を拝す走りに終始してしまいます。両者完走のレースでは一度も先着できなかったほど絶不調に陥ってしまい、第2戦ツインリンクもてぎでの3位が最高位となり(1度)シリーズランキングも10位で終わります。

2002年も同じ体制で参戦することになります。前年の不振に比べれば成績は向上しましたが、チームメイトのラルフ・ファーマン選手は完走すれば優勝か表彰台という大活躍を見せたのに比べ、開幕戦鈴鹿サーキットでの3位、第3戦MINEサーキットでの2位の2度の表彰台は少し物足りない成績でした。

チームメイトがシリーズチャンピオンに輝いたのに比べると、シリーズランキング5位という成績も地味に映ってしまいました。結局この年をもって中島企画を離れることになります。

2003年から2005年のセルモ、5ZIGEN時代

2003年には心機一転、セルモへ移籍します。開幕戦鈴鹿サーキットでは5位入賞を果たしますが、シリーズを通して優勝争いには絡めず、結局5位入賞3回、6位入賞1回の合計ポイント7、シリーズランキングも11位という成績に終わります。

2004年も引き続きセルモから参戦、しかしこの年も優勝争いを演じることはなく、表彰台獲得もゼロ、最高順位こそ4位(2回)と上昇しましたが、合計ポイント7、シリーズランキング11位と前年と全く同じ結果に終わってしまいました。

2005年は2年在籍したセルモから5ZIGENへ移籍します。第2戦鈴鹿サーキットでは久しぶりの2位表彰台を獲得し、復活の気配を感じさせました。第4戦富士スピードウェイでも3位表彰台を獲得、そして最終戦鈴鹿サーキットではポールポジションを獲得(決勝は8位)し、翌年へ繋がる結果を残しました。

この年は獲得ポイント14と前年の倍に伸ばし、シリーズランキングも7位まで上昇させています。

インパルへ移籍。完全復活へ

2006年はGP2シリーズへの参戦や、アメリカのIRLへの移籍、またはF1のテストドライバーとして活躍するのかといった様々な移籍話が噂されました。結局インパルという国内ライバルチームへの移籍を発表することになります。この決断をした背景にはフォーミュラ・ニッポンで時折速さを見せるものの、シリーズチャンピオン獲得には至らないといったことが影響されているものと推測されました。

今年こそチャンピオンを獲得したい松田選手は気迫の走りをみせ、第5戦オートポリスでは約5年ぶりの久々の勝利を挙げます。終盤戦では3戦連続表彰台という安定した活躍もみせ、シリーズランキングこそチームメイトのブノワ・トレルイエ選手に譲る形になってしまいましたが、自身最高のランキング2位を記録、チームランキングでは圧倒的な差でチャンピオンを獲得することに貢献しました。

0勝チャンピオン

出典:http://ms.toyota.co.jp/jp/fn/2007-team-driver.html

2007年も引き続きインパルから同じ体制で参戦します。この年から入賞圏内が8位まで拡大され、順位によるポイント差も少なくなりました。この変更によって、以前よりいかに安定して完走できるかが大切になってきました。

そんな中、開幕したレースでは開幕戦鈴鹿サーキットから第4戦岡山国際サーキットまで2位2回、3位2回の4連続表彰台という安定して速いレース運びを見せます。その後も入賞を重ね、ポイント圏外だったのは第6戦の富士スピードウェイだけという堅実な活躍を見せます。

最終戦鈴鹿サーキットでは中嶋企画の小暮卓史選手がトップチェッカーを受け、悲願のシリーズチャンピオンに輝いたと思われました。しかしレース後の車検の結果、小暮選手のマシンはスキッドブロック厚さ不足というレギュレーション違反が発覚、レース記録は抹消され結果4位となった松田選手がチャンピオンに輝くというどんでん返しで幕を閉じます。もちろん松田選手も嬉しい初のチャンピオン獲得となりました。

合計ポイントでも46と2位のチームメイト、トレルイエ選手とわずか1ポイント差での戴冠というドラマチックな結果に終わりました。そして最高順位2位、年間優勝無しの0勝チャンピオンという珍しい記録も打ち立てました。

史上初の2年連続チャンピオンへ

出典:http://tsugio-blog.com/?month=200809

2008年もインパルから参戦することになります。前年度は初のシリーズチャンピオンを獲得しましたが、0勝に終わったことから「0勝チャンピオン」と揶揄されることもありました。混戦の中安定した速さは見せましたが、レースに勝つという面も含めて総合力を問われるシーズンとなります。

しかしそんな周囲の揶揄を跳ね除け、開幕戦鈴鹿サーキットでいきなりの優勝、続く第2戦、第3戦と連続で優勝を収め、怒涛の開幕3連勝を飾りシリーズを圧巻します。終盤戦も安定した速さをみせ、最終戦スポーツランドSUGOも勝利で締めくくり、堂々たるシリーズチャンピオンに輝きます。自身としても初の、そしてフォーミュラ・ニッポンとしても史上初の2連続チャンピオンという輝かしい成績を収めました。

翌2009年もインパルからチャンピオンナンバーを引っ提げて参戦、しかしこの年は苦戦を喫し、開幕2連続リタイア、最高順位も第6戦ツインリンクもてぎでの5位と低迷、シリーズランキングは11に終わってしまいます。2013年にシリーズランキング6位で締めくくったのを最後に現在はスーパーフォーミュラへの参戦はありません。

スーパーGTでの活躍

フォーミュラ・ニッポンへ参戦すると同時に全日本選手権GT選手権にも参戦しています。2000年の第5戦からチームテイクワンからマクラーレン F1 GTRを駆り参戦、この年の最高順位は第5戦岡山国際サーキットでの4位でした。

2001年からはフォーミュラ・ニッポンと同じ中嶋企画より、ホンダ NSXを操りフル参戦を果たします。開幕戦岡山国際サーキットでは3位表彰台と順調な滑り出しをみせ、第5戦ツインリンクもてぎでは全日本GT選手権初優勝を飾る活躍を見せました。この年のシリーズランキングは8位で締めくくっています。

2002年も引き続き中嶋企画より参戦、フォーミュラ・ニッポンでもチームメイトを組んでいるラルフ・ファーマン選手とタッグを組み、ホンダ NSXの64号車を駆ることになります。開幕戦岡山国際サーキットでの優勝からはじまり、シリーズ最終戦の鈴鹿サーキットまで脇阪寿一選手、飯田章選手のトヨタ スープラと激しいタイトル争いを演じましたが、わずか1ポイント差でシリーズランキング2位という悔しい結果に終わってしまいました。

その後2005年まで中嶋企画より参戦、2006年にはこれまでのホンダ系チームから、日産系のNISMOへ移籍、2008年にはフォーミュラ・ニッポンと同じインパルへ移籍し、2013年まで在籍することになります。この間は幾度となく優勝を飾り、上位争いの常連ではありましたが、タイトル獲得とは縁の無い時代でもありました。

NISMOへ再移籍。そして2連続チャンピオンへ

出典:http://supergt.net/gallerys/index/photo/2015/Round8/gt500

2014年にはかつて在籍していたNISMOへ復帰します。ここでタッグを組むのは2011年、2012年と2年連続でシリーズチャンピオンを獲得しているロニー・クインタレッリ選手です。使用する車両は日産 GTRで23号車が与えられました。

開幕戦岡山国際サーキットでは7位に終わりましたが、松田選手が得意とする第3戦のオートポリスでは見事優勝、その後は快進撃を続け第5戦、第6戦と連続して2位表彰台を獲得、最終戦をシリーズランキング3位で迎えることになります。

シリーズチャンピオンがかかった最終戦のツインリンクもてぎでは、ポールポジションからスタートすることになります。1周目でチャンピオンを争うジェームス・ロシター選手とジョアオ・パオロ・デ・オリベイラ選手が接触するという波乱の幕開けとなりましたが、終わってみれば松田選手の23号車が2位伊藤大輔選手の37号車に50秒の大差をつける圧勝、ランキングトップだったロシター選手が10位に終わったことで劇的なチャンピオン獲得、全日本GT選手権時代から数えて15年目にして念願のタイトル獲得に涙をみせました。

翌2015年もNISMOからロニー・クインタレッリ選手とのタッグで参戦、第2戦富士スピードウェイでの優勝以降、中盤戦は不幸が続きましたが第7戦オートポリスで復活の勝利を挙げます。シリーズランキング2位で臨んだ最終戦ツインリンクもてぎでは、予選12位という絶望的なポジションから奇跡的な巻き返しを見せ2位フィニッシュを果たし見事チャンピオンを獲得します。

前年に引き続きまたしても逆転チャンピオンという劇的な結末は、苦しかったシーズンを締めくくる最高の形となりました。松田選手は今年も歓喜の涙をみせ、苦楽を共にしたチームメイトのクインタレッリ選手もゴールの瞬間号泣するという、男泣きで締めくくられたシーズンとなりました。

2016年も引き続き同体制で参戦、第6戦の鈴鹿サーキット終了時点で獲得ポイント70、ランキングトップに君臨しています。

松田次生選手のヘルメットをご紹介!

松田次生選手のヘルメットデザインはカート時代の友人が提供してくれたデザインを愛用し続けているとのことです。色合いは所属するチームに合わせて毎年細かく変更されています。

しかし、松田選手本人はオレンジ色が好きとのことで、オレンジ色は必ず残しているそうです。

出典:http://tsugio-blog.com/?eid=2873

モータースポーツ好きならば、このデザインのヘルメットを見てピンとくる人も多いと思います。そう、てっぺんのデザインはあのF1界のスーパースター、ミハエル・シューマッハ選手とそっくり! 松田次生選手もてっぺんの部分のデザインはシューマッハ選手のものを真似したといっています。

出典:http://tsugio-blog.com/?eid=2083

以下はミハエル・シューマッハ選手のヘルメットです。比べてみるとよく似ていますね。

松田次生選手の愛車は「R33」

スーパーGT選手権では長年にわたって日産の車両に乗り続けている松田次生選手。そんな松田選手はプライベートでも、GTRだけで3台も保有している大の日産党として知られています。

そんな松田選手の愛車の中でも特に有名なのが、自身のブログでもたびたび紹介されているGTR R33です。
歴史的名車として知られるR32やスカイラインの名前が付けられた最後の名車R34ではなく、一般的に「失敗作」として知られるR33を選んだ理由はなんなのでしょうか?

見た目とエンジンサウンドの虜に

出典:http://tsugio-blog.com/?eid=1182

R33はR32と比べて車幅が拡大されたモデルとして知られています。レースのために洗練された先代のR32が大好評を得たのに比べて、マーケット拡大を狙ったと共に車体も拡大してしまったこのR33は多くのスカイラインファンには不評でした。

しかし松田選手はこの拡大されたボディにオーラを感じ、すっかり魅了されてしまったそうです。R33に搭載されている2.6Lエンジンの独特のエンジンサウンドも以前から好きだったと語っています。またあまり人気のないモデルでもありますので、安く購入できたというのも購入した理由だそうです。

現行モデルにはない「車を操る楽しみ」

出典:http://tsugio-blog.com/?eid=2731

最新型車種には完成度の高い電子制御システムがふんだんに搭載されています。横滑り防止機能やトラクションコントロールシステムは早く、安全に走るために理想の形にまで進化し、プロのレーシングドライバーが運転しなくても、サーキットで素晴らしいタイムが出せるようになりました。

プロのレーシングドライバーである松田次生選手は、これほどまでに進化した車両も素晴らしいけれど、やっぱり少しアナログなダイレクトに「車を操る楽しみ」を味わえる車両のほうが気になってしまうと、以下のように語っています。

でも正直な話、最新型のGT-Rは、僕にとっては出来すぎちゃってるんですよね。完璧なんです。

おそらく一般ユーザーからするとトラブルもないし運転はラクだし、あんなスペックなのに簡単に操れるってことは大きな魅力だと思います。だけど僕らプロドライバーからすると、クルマが賢すぎちゃって。

33はクルマ自体にすごくクセもあるし、もちろんマニュアルトランスミッションだし、「操る楽しさ」を乗る度に実感出来るんですよ。それに乗ってる人も少ないですから、逆に目立っていいかなって(笑)。

出典:autoc-one.jp

松田次生選手の実家は?

松田次生選手のご実家は三重県桑名市にある「桑名東部開発株式会社」という会社です。桑名東部開発株式会社は昭和23年創業の水産業者で、海外から冷凍の海産物を輸入、飲食店への卸売りを担当しています。

また台湾や東南アジアの華僑系貿易会社との取引が多く、中国茶の輸入販売や、ダイエットに効果のある中国茶100%サプリメントの販売も行っています。松田選手は桑名東部開発株式会社の所属するドライバーとして活動しているという肩書でもあり、同社の展開するサプリメントの広告に登場したりしています。

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松田次生選手は結婚している?

松田次生選手は2007年に結婚されているようです。お嫁さんの名前は松田奈美さんとおっしゃるようです。一般の方のようで、詳しい経歴は明かされていません。ブログの話題でも頻繁に登場しており、夫婦仲はとても良好だと思われます。

松田次生選手のツイッターもチェック!

松田次生選手はツイッターも利用しています。自身のブログの更新情報や、ブログでは書かないプライベートな思い、テレビの出演情報も素早くつぶやいてくれます。松田選手のファンは要チェックですね。

Tsugio Matsuda (@TsugioMatsuda)さんの最新ツイート。2014・2015 2連覇スーパーGTチャンピオン 2007・2008 2連覇FNチャンピオン2015・2016ルマン24参戦 ドライバー松田次生です。乗り物大好き! 三重テレビ放送「とってもワクドキ」火曜日 生出演。M スポ 「のりコレ」 F1解説など次チェカブログ https://t.co/ZZAnSREPGi

まとめ

現在スーパーGTのトップドライバーとして活躍している松田次生選手。2016年も第6戦終了時点でポイントランキングトップに君臨しており、GT500クラスとしては前代未聞の3年連続チャンピオンに期待がかかります。

過去にはフォーミュラ・ニッポンでもチャンピオンを獲得、またルマンのような耐久レースでも強さを発揮しているオールランウダーな活躍をみせているドライバーなので、これからも規格を問わず様々なレースでの活躍が期待されます。

いつかはNASCARやインディカーといったアメリカのトップカテゴリーで、そしてF1での活躍も見てみたいドライバーです。