【谷口信輝】レーシングドライバーとしての華々しい戦績とその素顔を紹介

レーシングドライバー谷口信輝。D1 GRAND PRIXやSUPER GT・GT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得し、殿堂入りを果たしているプロドライバーとして、現在でも活躍を続けています。普段はストイックでクールな印象が強い谷口選手ですが、本人がコメントしているツイッターなどの内容から、その素顔に迫りたいと思います。

谷口信輝選手のプロフィール

プロフィール

名前:谷口信輝
愛称:NOB(ノブ)
国籍:日本
生年月日:1971年5月18日
出身地:広島県佐伯郡(現廿日市市)
身長:185.4cm
体重:66kg
所属チーム: GOODSMILE RACING & TeamUKYO
血液型:B型

プロドライバーとしての年収は?

海外・国内のスポーツ選手のように、プロドライバーの年収がネットなどで公表されることはありませんが、GT300クラスのドライバーの平均年収は約300万円ほどだそうです。谷口選手のように優勝の実績があり、長年トップクラスを維持してきたドライバーは、知名度が高いためスポンサー収入がプラスされるはずです。このことを考慮し、年収はおそらく1,000万円~2,000万円ほどになるかと思います。

来歴&戦績概要

人生を決定づけた『TOYOTA・AE86』との出会い

谷口選手が10代だった頃、バイクのレースの帰り道で、トヨタのハチロク(AE86)が赤信号で停まっている姿を見ました。そのクルマが青になった瞬間にドリフトしながら交差点を曲がり、それを見た瞬間、「クルマに乗るならあれくらいのテクニックで走りたい」と漠然と思ったそうです。

当時、高校3年生だった谷口信輝選手は、疾走するハチロクの姿を見てドリフトに興味を持ち始めます。16歳の頃からバイクに夢中になり、18歳にはミニバイクのレースで日本一に輝くなどの実績を残していたため、高校を卒業後は周囲の誰もが「谷口はプロのバイクレーサーになる」と思っていたそうです。谷口選手自身も、当時はバイクレーサーの道へ進むことを意識しており、実際にいくつかのバイクチームからオファーが届いていました。

ある日のこと、ミニバイクレース仲間からバイクの運搬用として、マツダのボンゴを「60万円」で買わないかと依頼されます。これからバイクレーサーとして活動するには、ボンゴはとても重宝するクルマだと谷口選手は思ったそうですが、同時にマツダのRX-7(通称:FC3S)の購入も考えます。RX-7が欲しかった理由は、「ドリフトがしたい」という気持ちだけでした。日産のS13シルビアに乗る従兄弟に相談すると、「RX-7は燃費が悪いからやめておけ。買うならハチロクにしろ。運転に慣れて下りでパワーが足りないと思ったら、次のクルマを買えばいい」とアドバイスを受けました。しかし谷口選手は、ハチロクが「古くて非力なクルマ」というイメージを持っていたため、自分で乗るのは嫌だと思っていました。

そんな時、近所の中古自動車店にハチロクがボンゴと同じく「60万円」で売られていたため、悩んだ末にハチロクの購入に踏み切ります。谷口選手は「あの時にボンゴを買っていたら、そのままバイクレーサーの道に進んでいたと思う」と語っており、ハチロクとの出会いがその後の人生を決定づけます。地元の妹背の滝周辺でドリフトの腕を磨き、4輪ドライバーとしての道を歩み始めたのです。

ドリフト大会などに出場し、30歳からプロドライバーとして活動を開始

谷口選手がまだドリフトができなかった頃、峠でビシッと走っている地元の先輩を見て、とても悔しい気持ちになったそうです。当時から「人がやれることは自分にもできる」と思うタイプだったらしく、そこへ行ける道が必ずあると信じて疑わない性格は、今でも続いているのだとか。そして谷口選手は、地元で名の知れたドライバーの背中を追いながら、メキメキと頭角を現し始めます。そして、ビデオオプションが開催するドリフト大会、「いかす走り屋チーム天国(略称:いか天)」へ出場するまでに成長を遂げ、地元で3位になるなどの成績を収めます。いか天の全国大会でも3位を獲得するなどの活躍を見せ、この時より雑誌などの取材が増えたため、谷口選手の名前が世に出始めます。その後はモータージャーナリストを目指して28歳で上京し、バイトと並行しながら雑誌ドライバーとして活動を続け、チャンスを待ちます。

2001年を迎えると、谷口選手は30歳でD1 GRAND PRIXに出場する権利を獲得。しかも、初年度にシリーズチャンピオンの座に輝きます。ドリフト大会で全国的に名を馳せ、レースの世界でも実力を確かなものにした谷口選手は、30歳という遅咲きながらも、プロドライバーとしての地位を築き上げてゆきます。

D1 GRAND PRIX、全日本GT選手権(SUPER GT)・GT300クラスなどに出場

プロドライバーとして活動を開始した2001年では、D1 GRAND PRIXの第2戦、第5戦で勝利を飾り、シリーズチャンピオンの座を獲得します。D1 GRAND PRIXとは、ドリフト走行のテクニックを競い合うモータースポーツのことであり、株式会社D1コーポレーションが主催しています。谷口選手はこのレースで、グリップ力の高いSタイヤを前後に装着して走行。リヤにSタイヤを使用しての走行は珍しく、観客の注目を浴びたことにより、しばらくの間はSタイヤを装着したドリフトスタイルがトレンドとなりました。

2002年からはHKSのワークスドライバーとなり、HKSハイパーシルビア(S15)が主なレースカーとなります。しかし、土屋圭市選手がテスト走行時にクラッシュしてしまい、第1戦では自前の車にHKSのパーツを装着してレースに臨みます。第2戦以降では通常のワークスカーで参戦し、順調に実績を残すかに見えましたが、残念ながらシリーズチャンピオンになることはできませんでした。そしてこの年より、谷口選手は全日本GT選手権(現在の名称:SUPER GT)のGT300クラスにも参戦を果たします。SUPER GTとは、観客動員数が3万人を超す国内最高峰のレースの1つで、その注目度により国内外の様々な自動車メーカーが参加しています。谷口選手は、当時マツダのRX-7でのエントリーで参戦し、第3戦では初優勝を飾るなどの実績を残しました。

2003年では、D1 GRAND PRIXのシリーズチャンピオン候補に挙げられましたが、第1戦ではエンジントラブルが起きて思ったような結果を残せず、早くも不穏な空気が漂い始めます。そして、第2戦では地元の備北ハイランドサーキットの参戦でしたが、こちらはベスト16にて敗退。しかも、第3戦では電気系のトラブルが発生したため、予選落ちを経験します。第4戦以降もマシントラブルなどの影響で順位を落とし、チーム内で試行錯誤の日々が続きますが、最終戦にてようやく初優勝を飾ります。いつもはクールに見える谷口選手も、この日は表彰台で涙を流したそうです。

2004年のD1 GRAND PRIXでは、第2戦スポーツランドSUGOで準優勝。第3戦のエビスサーキット南コースでは第3位と順調に結果を残し、第4戦のオートポリスではついに優勝を果たします。このままシリーズチャンピオンを獲得するかに思われたのですが、シーズン途中でまたもマシントラブルを起こし、最終戦の筑波サーキットで敗退したため、タイトルを逃してしまいます。そしてこの年のSUPER GTで、谷口選手はRE雨宮レーシングからRACING PROJECT BANDOHへ移籍します。当時はFFからFR化されたトヨタ・セリカにて参戦。最初はセリカの挙動に戸惑いを覚えていたようですが、後に立て直して第2戦では優勝を果たし、シリーズ5位という結果を残します。

HKSのD1 GRAND PRIX撤退により、D1レース不参加の日々が続く

2005年では、第4戦と第7戦がSUPER GT、スーパー耐久と重なるため不参加が決定します。第1戦~第3戦ではマシントラブルなどの影響により敗退を繰り返し、今シーズン最後のD1となった第6戦でも敗退という結果となり、シリーズ10位という悔しい成績を残してしまいます。そして、SUPER GTのGT300クラスでもシリーズ7位という結果に終わりましたが、スーパー耐久のST1クラスではシリーズチャンピオンとなったため、谷口選手は浮き沈みの激しいシーズンを過ごすことになりました。

そして2006年、HKSはD1 GRAND PRIXから撤退を発表します。谷口選手は以前に「HKS以外でD1に参戦することは考えられない」と発言していたため、他チームでのプライベート参戦は行いませんでした。フル参戦を果たすのは2012年となるため、しばらくはD1の表舞台から去ることになります。この年のSUPER GTでは、チームをディレクシブに変更して参戦。第3戦まではポイントでトップという快進撃を見せましたが、同年の8月にディレクシブがモータースポーツ界から撤退を表明したため、谷口選手はチームR&D SPORTにシーズン途中で移籍します。この年の結果はシリーズ3位で終わりました。

2007のSUPER GTで、谷口選手はチーム・タイサンに移籍が決定します。マシンが旧型のポルシェでしたが、メインストレートの長いツインリンクもてぎや富士スピードウェイでは優秀な走りを見せ、シーズンが終わってみれば2勝の活躍で6位という結果を残します。翌年の2008年でもチーム・タイサンから参戦し、開幕から2戦連続で表彰台に上がるなどの活躍を見せます。第7戦のツインリンクもてぎでは、自身初のポールポジションを獲得するも、第8戦のオートポリスではノーポイントとなりタイトル争いから脱落し、結果はシリーズ3位で終わりました。一方で、スーパー耐久・ST1クラスではシリーズチャンピオンを獲得し、2005年と同様に確かな実績を築き上げました。また、この年ではD1 GRAND PRIXの第2戦にスポット参戦し、約2年ぶりとなる復帰を果たします。シーズン序盤では思うような走りができませんでしたが、HKSの尽力により後半は調子を取り戻します。レース中にチーム所属の平岡英郎選手が大クラッシュを起こすなど、波乱に満ちたシーズンとなりましたが、ブランクを感じさせない走りで観客を盛り上げたそうです。

SUPER GT・GT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得!

2009年では古巣のRE雨宮に復帰してSUPER GTに参戦。チームが提案した「タイヤ無交換作戦」が功を奏して、4戦連続で表彰台に上がるなどの快挙を成し遂げます。最終戦でも2位という活躍を見せ、この年はシリーズ2位という上々の結果で終わりました。そして2010年も再びRE雨宮から参戦し、開幕戦はポールポジションからスタートします。前年と変わらず、この年もタイヤ無交換作戦で優勝を2回飾るなどの怒涛の活躍を見せます。しかし、マシントラブルや調整不足などに見舞われ、シーズン後半では徐々に失速して、結果はシリーズ通して3位に終わってしまいました。

2011で谷口選手はGOODSMILE RACINGに移籍し、SUPER GT初の「痛車」である、初音ミクBMW・Z4 GT3に乗りレースに参戦します。第3戦のセバンでは、ストレートコースによる加速を武器にポール・トゥ・ウィンを奪取。その後も快調を維持し続け、谷口選手はSUPER GTの参戦10年目にして初のシリーズチャンピオンを果たします。さすがに感極まったのか、インタビューでは大粒の涙を見せたそうです。GOODSMILE RACINGは、色々な人が集まってできたチームのため、谷口選手は正直なところアマチュアな感じも否めなかったそうです。そして、チーム一丸となるにはどうすれば良いかということも必死で考え、大切なことは話し合いで解決して、チームに足りないもの、必要なものをトコトン追求しました。また、チームに所属しているパートナーに対しても、運転の仕方から自分の思っていることまで全部伝えて、厳しく接するようにしました。すべてはチーム全員がチャンピオンを目指せるような環境を作るための行動だったそうです。

谷口選手は負けず嫌いとしても有名ですが、負けてただ悔しがるような人ではなく、「どうしたら勝てるか? 」を追求したい性格なのかもしれません。SUPER GTの場合は個人プレーではないため、チーム全体のスキルを含めて考える必要があります。チームで勝つには、実力や運、そして流れが何よりも大切です。その流れを良い方向に持っていくために、ミーティングを重ねて目標をハッキリさせることが必要だと谷口選手はコメントしています。このコメントから、谷口選手のSUPER GTに懸ける想いは、かなり強いものがあると察することができます。そして、日々の努力を重ねた結果、参戦10年目にしてシリーズチャンピオンをついに獲得したのです。40歳を過ぎた今でもレースに対する情熱が薄れていないことが、こちらにも明確に伝わってきます。

D1 GRAND PRIXへの復帰、SUPER GTでは再びチャンピオンに

2012年では再びHKSからD1 GRAND PRIXへフル参戦を果たします。マシンはHKSチューンによるトヨタ・86を投入。開幕戦はアルテッツァでレースに参戦しましたが、第2戦でついに86がお披露目されます。シーズンを通して10位という結果に終わりましたが、表彰台に上がることも経験し、ブランクを感じさせない走りで観客を大いに盛り上げることに成功しました。この年のSUPER GTでは、優勝を1度果たしましたが、マシントラブルなどによりシリーズ5位という結果に終わりました。また、スーパー耐久・GT3クラスではシリーズチャンピオンを獲得し、順調な実績を残しています。

2013年でのSUPER GTでは、終盤で2連勝するなどの活躍を見せますが、最終戦で失速しシリーズ3位に終わります。そして、得意とするスーパー耐久・GT3クラスでは、またもシリーズチャンピオンを獲得。これで「クラスN+1回」、「ST1クラス4回」、「GT3クラス2回」のシリーズチャンピオンという実績を築き上げたことにより、GT500や海外レース参戦者が認定される「プラチナドライバー」枠に、それらの経験なしに認定されるという快挙を成し遂げました。2014年のSUPER GTでは、チーム名が「GOODSMILE RACING & TeamUKYO」となり、新規チーム扱いでの参戦。開幕から2連勝するなど順調な滑り出しを見せ、チームGAINERとの熾烈な争いにより、3年ぶりに再びシリーズチャンピオンを獲得しました。

また、この年に開催されたGAZOO Racing 86/BRZ Raceでもシリーズチャンピオンの快挙を成し遂げました。2015年では、デフェンディングチャンピオンとしてカーナンバー「0」を付けて参戦しますが、シーズンを通して苦戦が続き、最終戦では2位を獲得するもシリーズ12位の成績を残しました。GT300クラスにおいて連覇を達成したチームがいなかったため、新たな挑戦として注目されていましたが、残念ながら悔しい結果に終わったようです。また、この年の谷口選手は、GAZOO Racing 86/BRZ Race・プロフェッショナルシリーズで再びシリーズチャンピオンを獲得しています。

筑波スーパーラッパーとして活躍した日々

筑波サーキットにおけるスーパーラップには、2001-2002シーズンから谷口選手は参戦。2002-2003シーズン以降はRE雨宮μ 3ローター7にて、N/Aエンジンのクルマで最速の58秒8を叩き出すなどの快挙を成し遂げ、名実共にトップクラスのスーパーラッパーとなります。2006-2007シーズンでは、ランサーエボリューションIXをベースにしたHKS・CT230Rで「53秒589」を記録し、2013年にこの記録が破られるまで、谷口選手はチューニングカーにおける筑波のレコードホルダーとして有名でした。

谷口信輝・戦績概要

2000年 十勝24時間レース 5ZIGEN CIVIC【総合10位・クラス4位】
2001年 D1 GRAND PRIX 【シリーズチャンピオン・2勝】
スーパー耐久・クラスN+(#4 REDLINE ALTEZ)【シリーズ2位】
2002年 全日本GT選手権・GT300クラス(RE雨宮レーシング #7 雨宮マツモトキヨシアスパラRX7)【シリーズ13位・1勝】
スーパー耐久・クラスN+(#25 ADVAN ALTEZZA)【シリーズチャンピオン】
D1 GRAND PRIX【シリーズ2位・1勝】
2003年 全日本GT選手権・GT300クラス(第6戦まで)(RE雨宮レーシング #7 雨宮マツモトキヨシアスパラRX7)【シリーズ17位】
D1 GRAND PRIX【シリーズ4位・1勝】
2004年 全日本GT選手権・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH #19 ウェッズスポーツセリカ)【シリーズ5位・1勝】
スーパー耐久・クラス1(DENAG RACING #25 ADVAN DGゼナドリンGT3)【シリーズ2位・2勝】
D1 GRAND PRIX【シリーズ2位・1勝】
2005年 SUPER GT・GT300クラス(RACING PROJECT BANDOH #19 ウェッズスポーツセリカ)【シリーズ7位】
スーパー耐久・ST1クラス(TEAM ADVAN DENAG #25 ADVAN DENAG GT3)【シリーズチャンピオン・7勝】
D1 GRAND PRIX【シリーズ10位】

2006年 SUPER GT・GT300クラス 第6戦まで(direxiv motorsport #27 direxiv ADVAN 320R)第7戦から(R&D SPORT #61 アネブル ADVAN VEMAC320R)【シリーズ3位・1勝】
2007年 SUPER GT・GT300クラス(TEAM TAISAN with NISHIZAWA #26 ユンケルパワータイサンポルシェ)【シリーズ6位・2勝】
2008年 SUPER GT・GT300クラス(TEAM TAISAN with NISHIZAWA #26 ユンケルパワータイサンポルシェ)【シリーズ3位・1勝】
スーパー耐久・ST1クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #28 PETRONAS SYNTIUM BMW Z4M COUPE)【シリーズチャンピオン】
2009年 SUPER GT・GT300クラス(M7 RE雨宮レーシング #7 M7 MUTIARA MOTORS雨宮SGC 7)【シリーズ2位】
スーパー耐久・ST1クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #1 PETRONAS SYNTIUM BMW Z4M COUPE)【シリーズチャンピオン・5勝】
2010年 SUPER GT・GT300クラス(M7 RE雨宮レーシング #7 M7 MUTIARA MOTORS雨宮SGC 7)【シリーズ3位・2勝】
スーパー耐久・ST1クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #1 PETRONAS SYNTIUM BMW Z4M COUPE)【シリーズチャンピオン・6勝】
ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース シビックレース(RS FINE #18 ジョージスピリッツM7シビック)【インターシリーズ2位・4勝】

2011年 SUPER GT・GT300クラス(GSR&Studie with TeamUKYO #4 初音ミク グッドスマイル BMW)【シリーズチャンピオン・3勝】
スーパー耐久・ST1クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #1 PETRONAS SYNTIUM BMW Z4M COUPE)【シリーズチャンピオン・6勝】
ホンダ エキサイティングカップ ワンメイクレース シビックレース(RS FINE #2 M7JAPAN プロμシビック)【シリーズチャンピオン・2勝】
2012年 SUPER GT・GT300クラス(GSR&Studie with TeamUKYO #0 初音ミク グッドスマイル BMW)【シリーズ5位・1勝】
スーパー耐久・GT3クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #1 PETRONAS SYNTIUM Mercedes SLS AMG GT3)【シリーズチャンピオン・4勝】
D1 GRAND PRIX(HKS #87 HKS Racing performer 86)【シリーズ10位】
2013年 SUPER GT・GT300クラス(GSR&Studie with TeamUKYO #4 初音ミク グッドスマイル BMW)【シリーズ3位・2勝】
スーパー耐久・GT3クラス(PETRONAS SYNTIUM TEAM #1 PETRONAS SYNTIUM Mercedes SLS AMG GT3)【シリーズチャンピオン・4勝】
D1 GRAND PRIX(HKS #87 HKS Racing performer 86)【シリーズ32位】
GAZOO Racing 86/BRZ Race(神戸トヨペット #92 コウベトヨペット86)【シリーズ6位】
2014年 SUPER GT・GT300クラス(GOODSMILE RACING & TeamUKYO #4 初音ミク グッドスマイル BMW)【シリーズチャンピオン・2勝】
D1 GRAND PRIX (HKS #87 HKS Racing performer 86)
GAZOO Racing 86/BRZ Race(神戸トヨペット #82 コウベトヨペット86)【シリーズチャンピオン・5勝】
2015年 SUPER GT・GT300クラス(GOODSMILE RACING & TeamUKYO #0 グッドスマイル 初音ミク SLS)【シリーズ12位】
GAZOO Racing 86/BRZ Race・プロフェッショナルシリーズ(KOBETOYOPET MOTOR SPORTS #1 KTMS 86)【シリーズチャンピオン・4勝】

谷口選手はなぜGT500にステップアップしないの?

2011年にSUPER GTのGT300クラスでシリーズチャンピオンを獲得し、D1 GRAND PRIX、スーパー耐久などでも優勝の経験があるなど、申し分のない実績を残しているため、GT500クラスへ参戦しても不思議ではない谷口選手。しかし現在のところ、GT500クラスへステップアップする声は聞こえません。

ステップアップしない理由は、「フォーミュラの経験がない」、「300と500は別物」、「メーカーの意向があるから」などの意見がありますが、真相は分からない状態です。しかし、上記3つの理由は決して的外れの意見ではなく、実際はメーカーの意向によるコスト抑制のため、フォーミュラ経験者を雇った方が有利という特性がGT500にはあります。扱うマシンも極めてフォーミュラ寄りのため、勝利を狙うという意味でも、経験者を雇いたいという考えがメーカーにはあるそうです。谷口選手はフォーミュラ経験者ではないため、状況的には不利なのかもしれません。

結婚はしてるの? お嫁さんの名前は?

谷口選手は既婚者です。本人のツイッターでも、度々夫婦で行動しているコメントを見かけます。そのお嫁さんの名前ですが、レーシングチームのキャンペーンガールだった白川茉知さんらしいとのこと。谷口選手もトークショーで「キャンペーンガールと結婚した」とコメントしていることから、白川さんと結婚した可能性は高そうです。公表はされていないため、あくまで噂の領域ですが、二人のツーショットがツイッターで見れる日が来るかもしれません。

ブログ『谷口信輝物語』

谷口信輝さんのブログ「谷口信輝オフィシャルブログ Powered by Ameba」です。最新記事は「懐かしい写メ」です。

谷口選手はネットでオフィシャルブログを開いています。1ヶ月に平均70記事ほど投稿しているため、ほぼ1日に2記事の割合で更新しているペースとなります。無口でクールなイメージがありますが、ブログやSNSを頻繁に更新している様子から、意外に喋ることが大好きなのかもしれません。
ブログの内容はレースの結果から、プライベートの内容まで様々。写真や動画も掲載されて読みやすく、非常に楽しい内容になっているため、谷口ファンはもちろんのこと、レースファンも必見のブログとなっています。また、過去には自身の漫画である「谷口信輝物語」を、ちゃっかりブログの中で宣伝。漫画の内容は、広島で過ごした日々から上京するまでの内容を語ったものだそうです。

谷口選手のDVDや映像作品

VIDEO OPTION DVD Vol.269

¥2,160

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こちらのDVDの内容は「D1裏情報」を語ります!  クラッシュした際、弁償する?  しない?  などの話題から、V-OPTカメラマンの危険なポジションまで、みんなの知らない情報がてんこ盛りです。さらに追走直後における、ピットの選手による生の声は臨場感満点ですよ~。

谷口信輝ドラテクDVD ドライブ

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SUPER GT/D1GP チャンピオン谷口信輝の、グリップ・ドリフト ドライビングテクニックDVDです!

谷口信輝 勝てるドリフトテクニック

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初代D1チャンピオンと現役D1チャンピオンの解説が収録したDVDです。トーナメントで勝てるドリフトの奥義を谷口信輝が伝授しています!  ホットバージョンで連載していた「谷口信輝の勝てるドリフトテクニック」映像をより詳しく徹底的に解析。

ファンにはマストバイのDVD集

最新号の「VIDEO OPTION Vol.269」では、谷口選手が出演しているため、ファンにはマストバイの内容となっています。また、谷口選手のアドバイスが盛り込まれた、DVD付の雑誌が過去に発売されており、ドリフトテクに興味がある人であれば、必見の内容となっています。現在では中古品しか手に入らない状況ですが、谷口選手のテクニックをもっと知りたいという方であれば、ネットや古本屋で探してみるのも面白いかもしれません。

頻繁に更新しているツイッターも要チェック!

ブログと同様、谷口選手はツイッターも頻繁に更新しています。レースの内容はもちろんのこと、プライベートの写真まで色々と掲載しているので、レーサーの日常を楽しく知ることができます。他にも、クルマのパーツに関する情報や、レース以外のイベントの様子についてもコメントしているため、見所満載の内容となっています。また、趣味はゴルフらしく、仲間と一緒にラウンドを周っている姿が画像で確認できます。

まとめ

クールでストイックな印象が強い谷口選手ですが、ツイッターなどを見ているとサービス精神旺盛で、親しみやすい人柄なのかもしれません。30歳を過ぎてからレーシングドライバーとして活動を始めたことも驚きですが、その後もしっかり結果を残しているのは称賛に値します。
レーシングドライバーといえば谷口信輝、そんな風に言われたいと谷口選手はコメントしています。これからの若者たちに『谷口みたいになりたい』と言われることが理想だと話し、レーシングドライバーがもっと価値のある職業だと思われたい、そのために常にプロ意識を持って生きていきたいと本人は願っているそうです。今後もレースの世界で影響力のある人物として、活躍を続けてほしいですね!