実力は折り紙付き!天才レーシングドライバー小林可夢偉のすべて

2009年に強烈な印象でF1にデビューした小林可夢偉選手の魅力に迫ります。F1から耐久選手権、現在活躍中のスーパーフォーミュラーでの戦績や年収にスポンサー情報、海外での評価や華々しい恋愛事情まで小林可夢偉のすべてをご紹介します。また公式HPの情報やツイッターと共にこれからの展望や発言にも注目してみます!

小林可夢偉とは?

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日本を代表する現役のレーシングドライバーです。
2009年から2014年の間にF1にも出場し、現在ではたまにテレビのバラエティー番組等にも出演しているため、日本国内で現在最も知名度の高いレーシングドライバーといえるでしょう。

プロフィール

・生年月日 1986年9月13日
・出身地 兵庫県尼崎市
・身長 170cm
・血液型 AB型

実家がお寿司屋さんとしても知られており「レーシングドライバーになれなかったら実家で寿司を握っていた」というジョークを口にすることもあります。

小林可夢偉オフィシャルサイト。

年収はいくら?

世界を転戦する一流のレーシングドライバー、小林可夢偉の年収はやはり気になりますね。レーシングドライバーというのはマシンにロゴ等が使用されているスポンサー次第となりますので有名で大きなスポンサーに恵まれれば億単位の年収になることも珍しくありません。小林可夢偉の年収はザウバー時代で約3億から4億円程度だったといわれています。一般のサラリーマンと比べたら物凄い高額ですね。

しかし、後述するケータハム時代はチームのごたごたで資金調達が困難な状況でした。契約していたはずの給料も支払われていなかったそうです。最終戦ではクラウドファンディングを利用してようやく出走にこぎつけたという経歴もありますので、2014年度の年収はほぼ0だったのではないかと予想されます。

小林可夢偉の戦績は?

フォーミュラールノーやGP2、そしてF1やGTレースと様々なカテゴリーで活躍してきた小林可夢偉の戦績をご紹介します。

F1以前の戦績

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小林可夢偉は9歳からレーシングカートをはじめています。元々才能が豊かだったためか、順調に実績を積み重ねていき、2000年には全日本ジュニアカート選手権のチャンピオンを獲得しています。その後、フォーミュラトヨタレーシングスクールを受講し、本格的に海外レース活動を開始します。2005年にはフォーミュラルノーのイタリアシリーズとユーロシリーズの両方でシリーズチャンピオンを獲得するまでに成長しました。

そしてF1直下のカテゴリーであるGP2のアジアシリーズに本格参戦します。2008年ドバイグランプリから2009年のバーレーングランプリにかけて連勝を記録また、日本人としてはじめてシリーズチャンピオンを獲得するという好成績を収め、小林可夢偉の名前は世界に知れ渡っていくことになります。

F1での戦績(トヨタ時代)

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2009年にGP2アジアシリーズでチャンピオンを獲得したことから翌年度のF1参戦が囁かれるようになってきます。しかし、小林可夢偉のF1デビューは突然やってきます。2009年のF1日本グランプリで、当時のトヨタのレギュラードライバーだったティモ・グロッグが予選セッションで負傷してしまったため、次のブラジルグランプリからは小林可夢偉が代役として出場することがアナウンスされます。日本のトヨタから日本人ドライバーが走るということでその走りに日本中が注目していました。

日本中の期待を背負った小林可夢偉ですが、そんなプレッシャーなどものともせず、予選では11位というルーキーとしては上出来の成績を残します。そして決勝戦では時折危なっかしい挙動を見せるものの、一時的にですが3位までポジションを上げる活躍を見せつけました。結果はポイント獲得に一歩及ばない9位フィニッシュでしたが、その走りはこれからの活躍を期待せざるをえないものでした。

トヨタ時代の筆頭レース

トヨタから急きょデビューを果たした小林可夢偉の当時の走りはまだまだ荒々しさを残していました。そんな中でも特に注目したいのは入賞こそ果たせませんでしたがデビュー戦となったブラジルグランプリでしょう。

当時最速を誇っていたブラウンレーシングのエースドライバー、ジェンソン・バトンを25周目まで18周に渡って抑え続け、チーム関係者とファンに存在をアピールしました。コーナーで独特のアプローチを仕掛け、後続車をブロックするラインどりにファンは大いに興奮しました。この1戦でチャンピオンが決定するジェンソン・バトンは小林可夢偉のこの走りにやや過剰に反応し、無線でチームに「あのルーキーが邪魔をする」と抗議したといいます。この結果チャンピオン候補と互角の争いをした日本人ルーキーということで世界中で話題になり、ファンが投票で決定する「マン・オブ・ザ・レース」にも選出されました。

F1での戦績(ザウバー時代)

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2009年の活躍は2010年のトヨタレギュラードライバーを約束させるに十分なものでした。しかし、トヨタは2009年末に突然翌年以降のF1活動を終了するアナウンスを出します。結局その結果、小林可夢偉はトヨタからの離脱を発表し、中堅チームのザウバーからの参戦することになります。新天地で日本企業からの後ろ盾もない状態での参戦になり、序盤こそ苦戦が続きましたが中盤以降は安定してポイントを獲得できる走りをみせ、年間で32ポイントを獲得します。これはこの年のルーキーとしては最も高いポイントでした。

この結果を受けて2011年にはザウバーのエースドライバーとして起用されることになります。マレーシアグランプリではマーク・ウェバーやミハエル・シューマッハといった超一流のドライバーと接戦を繰り広げ7位入賞、歴史と伝統を誇るモナコグランプリでは5位に入賞し、同グランプリの日本人最高順位を更新しました。この年の小林可夢偉は前述のモナコグランプリの記録のほかに、それまで佐藤琢磨が所持していた日本人最高獲得ポイントの44を更新、日本人連続入賞記録も更新と記録ずくめの活躍を見せてくれました。

2012年は有力チームへの移籍も噂されましたが、結局ザウバーから引き続き参戦することになります。第3戦中国グランプリでは日本人として二人目のファステストラップを記録し好調な滑り出しをみせます。第5戦のスペイングランプリではニコ・ロズベルグやジェンソン・バトンといった一流チームの一流ドライバーを相手に華麗なオーバーテイクをみせつけ、自己ベストタイの5位フィニッシュを飾ります。そして鈴鹿で行われた日本グランプリでは悲願の3位表彰台を獲得、年間累計ポイント60で自己最多ポイント記録を更新等目覚ましい活躍を見せましたが契約延長には至らず2013年はシートを喪失してしまうことになります。

ザウバー時代の筆頭レース

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小林可夢偉がレーシングドライバーとして名を知らしめたのは間違いなくこのザウバー時代の活躍があるからだといえます。移籍1年目にしてペドロ・デ・ラ・ロサやニック・ハイドフェルドといった歴戦のベテランドライバーを相手に互角以上の成績を残しました。そんなザウバー時代の中でも特に注目したいのが2011年のモナコグランプリと2012年の日本グランプリです。この年のモナコグランプリはセーフティーカーが2回も導入される荒れたレースとなりましたが予選13番手からスタートした小林可夢偉は狭い道幅と荒れた路面をルーキー当時には考えられないほど安定した成長を感じさせる走りで徐々に順位を上げていきます。

69周目には4位まで順位をあげますが77周目にはマーク・ウェーバーにかわされてしまい結果5位でフィニッシュ。マシンの性能を考えると大健闘といえる結果で、この年から導入されたピレリのソフトタイヤとKERSとDRSを採用し、オーバーテイクの機会が増えた戦略的なレースの組み立てが必要になった中、集中力が問われる伝統のモンテカルロをミスなく走り切ったという点で小林可夢偉の2011年のベストアクトといえるでしょう。

また2012年日本グランプリも素晴らしい内容でした。この年の鈴鹿は開場50周年の記念の年でもあり、いやがうえにも日本人ドライバーである小林可夢偉の活躍が期待されました。そんなプレッシャーを楽しむかのように予選で4番手という見事な結果を残します。決勝では3番手につけたジェンソン・バトンがギアボックス交換のペナルティとして8番手に後退、結果小林可夢偉は日本人予選最上位の3番手スタートとなります。レースでは2番手スタートのマーク・ウェーバーが出遅れ、3周目まで小林可夢偉は2番手を走行する活躍をみせます。その後ピットストップの関係で3番手まで後退してしまいますが、中盤からペースを上げてきた4番手のマクラーレンのジェンソン・バトンを相手に見応えのあるバトルを展開していきます。

DRS使用圏内の1秒差まで差を詰められても焦らず、要所でしっかりとブロックする落ち着いた見事なライン取りをみせ、ジェンソン・バトンに隙をみせない走りに鈴鹿の観客は熱狂しました。結果そのまま3位でフィニッシュし、自己最高記録を更新したほか、鈴木亜久里、佐藤琢磨に続く日本人3人目の表彰台獲得となり観客は熱狂、現地表彰台の前では可夢偉コールが発生するほど盛り上がりをみせました。この熱意に感動した小林可夢偉は英語と日本語で応援してくれたファンに対して感謝を述べるという感動的な場面もありました。

F1での戦績(ケータハム時代)

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2013年を世界耐久選手権で過ごした小林可夢偉は2014年にケータハムからF1に復帰します。1年のブランクからの復帰となりファンを喜ばせましたが、ケータハムは万年テールエンダーとして知られており、ザウバー時代のような結果を期待しているファンは複雑な心境でもありました。開幕戦では予選でQ2に進出し、一抹の期待を抱かせてくれましたが、結果はクラッシュリタイアに終わってしまいます。

その後もチームの戦闘力不足、資金力不足による進まない開発と他チームとのマシン性能差がどんどんと広がっていってしまいます。チームメイトとの比較では第11戦の時点で9勝2負と圧倒的な成績を残していましたが、チームとの対立が表面化していき、第12戦ではアンドレ・ロッテラーとの交代が発表されます。それ以降も出走が定まらない不安定な状態からの参戦となってしまい、何とか出走できたレースも絶望的なマシンの信頼性と相まってリタイア続きとなってしまい、2014年度は獲得ポイント0という成績に終わってしまいました。

ケータハム時代の筆頭レース

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ケータハム時代の小林可夢偉は苦戦の連続でした。マシンの性能が他の中堅チームと比べても圧倒的に悪く、常に予選タイムで1秒から2秒という大差をつけられていました。同じ下位チームであるマルシャにも開発の面で後れをとっており、シーズンを通してポイント獲得は非常に厳しいという見解でした。

そんな中でも一瞬ですが光が見えたのが第6戦のモナコグランプリです。市街地コースということもあり、例年荒れることが多いこのレースで展開に紛れて入賞できないかと期待するファンも沢山いました。そしてそんなファンの期待に応えるかのように荒れた展開の中、小林可夢偉は安定した走りで着実に完走を目指します。ポイント圏内である10位が見えてきた矢先、先行周回しているキミ・ライコネンを抜かせようと進路を譲った隙にジュール・ビアンキに強引に進路を取られ接触、チームメイトにもかわされ結局13位フィニッシュ。

結果は非常に残念ですが、最下位チームに置かれても腐らず現状を改善しようとする姿も相まって小林可夢偉の評価は更に上がることになります。

世界耐久選手権での戦績

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2013年はF1でのシートを獲得できず、GTレースに専念することになります。F1での走りが評価されて日本人として、アジア人としてもはじめてのスクーデリア・フェラーリとドライバー契約を交わすことに成功します。トニ・バイランダーとのコンビで開幕戦のイギリスで2位入賞と好調な滑り出しを見せます。

しかし序盤こそ好調でしたが、その後はマシン性能に足を引っ張られる形で徐々に順位を落としていき、初挑戦となったルマン24時間耐久レースではクラス5位、総合21位という結果に終わってしまいます。地元日本で行われた富士のレースでは悪天候で途中打ち切りとなってしまいましたが5位フィニッシュで終わり、最終的にはドライバーズランキングはクラス7位となってしまいましたがフェラーリのマニファクチャラータイトル獲得に大きく貢献しました。

フェラーリはF1以外ではあまり力を入れない印象ですが、それでもコンスタントに入賞を繰り返したのは小林可夢偉のクレバーな安定した走りがあってこそでしょう。

スーパーフォーミュラーでの戦績

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2015年になると小林可夢偉は活躍の場を日本に移します。国内のフォーミュラーレースの最高峰であるスーパーフォーミュラーに参戦を発表します。第2戦岡山での2位獲得をはじめ第7戦鈴鹿でも3位を獲得するなど活躍し、シリーズランキング6位となります。またこの年のルーキーオブザイヤーも獲得しました。

2016年も引き続きスーパーフォーミュラーに参戦しておりますが、第3戦終了時点で獲得ポイント0と苦戦を強いられています。

小林可夢偉の海外の評価は?

幼少期からレーシングカートに慣れ親しんでいるということや、海外に渡ってからも好成績を収めていることから海外でも小林可夢偉は高く評価されています。

F1での海外の評価

F1に登場した当初は「速いけど荒々しいドライバー」という評価が多数見受けられました。特に海外ではその傾向が強かったようで、F1でのドライビングという意味では比較的大人しい印象だった過去の日本人ドライバーと比べて良い意味でも悪い意味でも当初から注目されていました。

しかし、ザウバー時代には日本人としては初めての6戦連続ポイント獲得という記録を達成するなど、速いだけでなく安定したレース運びもできるといわれはじめ、徐々に評価を上げていった印象があります。

トヨタ時代の評価

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オールジャパンパッケージで出走し、アブダビグランプリでは6位入賞で3ポイントを獲得した小林可夢偉の走りは国内のみならず海外でも評判になりました。しかし、F1にまだ不慣れな印象はぬぐえず、コーナーでのライン取りや他車への露骨なブロックには評価が分かれました。

かつてクラッシュキングと呼ばれたアンドレア・チェザリスの再来と呼ばれる声もありましたが、新しい可能性に好意的な意見も多く、「将来的にはトップチームにいるべきドライバー」といった評価もありました。

ザウバー時代の評価

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トヨタでの走りは国内外問わず印象深いもので、2010年からレギュラードライバーとして在籍することになるザウバーのオーナー、ペーター・ザウバーは「資金を持ち込まずにF1に参加した日本人で初めてのドライバー」「小林可夢偉はドライブ能力のおかげでF1にいる」ととても高く評価していました。また、常に全力でベストを尽くすドライビングはこの当時から評価されていました。2010年終了時に小林可夢偉に対する海外の著名人の評価を紹介します。

エディ・ジョーダン
「彼の走りは熱意があり、勇敢で素晴らしいです。特にコーナーでは信じられないラインどりを見せてくれます。」

デビッド・クルサード
「日本グランプリで見せた小林可夢偉のオーバーテイクは見事でした。」

ロバート・クビサ
「日本グランプリで小林可夢偉がやったことは本当に素晴らしいです。彼が僕の一日を救ってくれました。」

と、とても好意的な評価がされています。

フル参戦2年目となる2011年にはアグレッシブさに加えてクレバーで安定した走りもみられるようになり、海外でも過去最高の日本人ドライバーという評価がされるようになります。

ケータハム時代の評価

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戦闘力の低いマシンでの戦いを強いられたケータハム時代の小林可夢偉ですが、イギリスのオートスポーツ誌では比較的高い評価が与えられていました。Q2進出を果たした開幕戦ではそのタフさを称える評価をし、3年のF1生活と1年の耐久レースで培った熟練の走りを評価する傾向がみられました。後半戦になってくると出場機会自体が少なくなってしまい、最終戦前にクラウドファンディングで資金を募集してまで出場にこぎ着けた、そのレースに対する情熱は高く評価されました。

世界耐久選手権の海外の評価

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開幕戦で2位に入り、ザウバー時代で見せた輝かしい走りは耐久選手権でも通用することを見せつけました。フェラーリ関係者、特にステファノ・ドメニカリ代表は小林可夢偉を高く評価しています。2013年の活躍ももちろん評価され、翌年の契約更新をフェラーリ側は要求しましたが、小林可夢偉はF1での活躍が最大の目標とし、栄光のフェラーリドライバーという地位を手放し、弱小チームであるケータハムからのF1復帰を選びました。この選択に当時のフェラーリ関係者は「バカげている」と嘆いたといわれています。

小林可夢偉のスポンサーは?

レース活動にはスポンサー活動が付き物です。しかし、小林可夢偉ほど有名なレーシングドライバーでも日本のモータースポーツに関する関心の低さや世界的な経済状況から中々思い通りにスポンサー獲得できないのも現実です。2012年末には同シーズンに表彰台を獲得したにもかかわらず、スポンサーを持ち込めないという事でシートを喪失してしまいました。では小林可夢偉は過去にどのようなスポンサーと契約していたのかご紹介していきます。

ザウバー時代にはスポンサーはなし?

小林可夢偉は2012年のインタビューで「チームで走るためにスポンサーが必要だということに驚いている。」また「日本からF1に参戦している自動車メーカーがいないから難しい」ともいっていました。よって当時の小林可夢偉には有名なスポンサーはついていなかったと考えられます。

たらればの話になりますが2016年現在、日本のホンダが名門マクラーレンチームと組んでF1に参戦している現状を考えると、もし当時にホンダが参戦していたならどうなっていたのかというのは非常に興味深いです。

謎のスポンサー「Forever with Mai」

2014年に小林可夢偉が在籍していたケータハムはシーズン開始当初から深刻な資金難に悩まされていました。弱小チームなのでメディアでの露出も少なく、スポンサー探しに難航し、更に開発が滞って他チームとの差が広がっていくという悪循環に陥っていたのです。そんなケータハムにシーズンも中ごろに入った7月に新たなスポンサーが登場します。

「Forever with Mai」「Frontier Japan」「 We Love 麻衣」という謎のメッセージがいきなりリアウイングに記載されました。普通チームにスポンサーがつくと公式のプレスリリースで発表するのですが、このメッセージの主は名乗ることもなくまた、ケータハムからの公式発表もないので謎が謎を呼ぶ状態でした。

麻衣ちゃんって誰?

チームからの発表もない状態で急きょ記載された「Forever with Mai」というメッセージ。
どうやらドライバーにも告知されていなかった様子で、当時の小林可夢偉は戸惑いと感謝のツイートを残しています。

気になる麻衣ちゃんのスポンサー料はいくら?

「We Love 麻衣」というメッセージからどうやら小林可夢偉個人に向けての日本からのメッセージと予想されますが、現在に至っても詳細はよくわかっていません。

メディアからの発表によると麻衣は当時22歳の女性で麻衣とは別の名前で音楽活動をしていたようです。そしてこのメッセージを送った理由は2011年の日本グランプリのようで、そこでの小林可夢偉の走りに感動し、翌2012年も日本グランプリに足を運んだといいます。そこで見事に3位表彰台を獲得した小林可夢偉とそれを大歓声で一体となって称える観衆にさらに感動し、なんとかして彼のレース活動を支えたいとスポンサーの道を選んだといわれています。

そして気になるその料金ですが、一般的にF1のリアウイングといえば広告を載せる一等地といわれています。普通のチームで考えるとこの大きさのロゴでも2,000万円以上はかかると思われます。ケータハムのような弱小チームでも1,000万円はかかってくるでしょう。麻衣と名乗る人物やケータハムから正式な発表がなかったので憶測の域を超えませんが、やはり1,000万円以上の金額であることが予想されます。

ツイッターでの募金呼びかけも話題に

2012年シーズン終盤には小林可夢偉の翌年の去就が色々と噂されました。同シーズンは日本人として22年ぶりの日本グランプリでの表彰台獲得など、素晴らしい活躍を見せた小林可夢偉ですが、当時のザウバーは中堅チームがゆえの資金難に悩まされていました。ドライブ能力を買われてザウバーに在籍していた小林可夢偉ですが、やはりF1は実力だけではレース活動ができない厳しい世界でもあります。チームとしてドライバーにお金を出しにくい状況では小林可夢偉も移籍を余儀なくされ、最終戦のブラジルグランプリ前には早々に翌年度のザウバー離脱を発表します。

しかし翌年度に向けての移籍話は中々うまくまとまらず、掲示してきたチーム名は不明ですが移籍には約10億円という巨額の資金を必要という話も飛び出しました。こうした状況の中小林可夢偉は自身のアカウントのツイッターを利用し、スポンサー料金の募金を呼びかけます。日本でもファンの多い小林可夢偉になんとしても翌年度もF1で頑張ってもらいたいというファンからの募金は最終的には6,000万円を超える成果を収めました。しかし結局翌年度のシートは見つからず、フェラーリから耐久選手権への参戦を発表することになります。結果募金で集めたお金がどこに使われたのかという疑問もファンの間では話題になってしまいた。

こうしたツイッターを使って話題を呼びかけ募金を募るというやり方は賛否両論でてしまいましたがとても画期的でした。2016年現在、募金活動は行っていません。

小林可夢偉の恋愛事情

レーシングドライバーは女性関係が派手なことも魅力の一つです。レースもプライベートでも楽しいことしかやらないと公言する小林可夢偉は恋愛事情もとても華やかで派手です。過去には黒木メイサやあびる優、セクシー女優のRioや銀座のホステスといった超美人と付き合っていたという経歴があります。特に話題になった黒木メイサとあびる優との関係はどのようなものだったのでしょうか。

黒木メイサとの関係は?

出典:http://www.sonymusic.co.jp/Music/Info/meisakuroki/

小林可夢偉と黒木メイサの関係は2011年頃に噂になりました。この当時、小林可夢偉はあびる優と交際していると認識されていましたので彼女の登場はとても衝撃的に受け止められました。一説には黒木メイサの略奪愛ともいわれています。

お忍びでの温泉旅行や一泊5万円はするという超高級旅館で目撃されるなど二人は付き合っているのでは? といわれましたが、二人とも友人の一人ですという回答で交際を拒否しました。その後小林可夢偉は事情はわかりませんがあびる優と再びよりを戻したといわれています。現在黒木メイサは結婚していますし、現状でお付き合いが続いているとは考えられません。当時のことも二人のみが知るといったことになるでしょう。

あびる優との関係は?

出典:http://www.horipro.co.jp/abiruyu/

あびる優と小林可夢偉は2010年の10月頃から付き合っているのでは? という噂が出はじめました。とても仲睦まじく、小林可夢偉の後ろについて歩くあびる優の姿が多数目撃されていました。しかし2011年の11月の日本グランプリ前には一度目の破局を迎えたようです。

その後黒木メイサとの熱愛を経て小林可夢偉は再びあびる優とよりを戻しました。しかし、その頃の小林可夢偉はF1のシートを喪失中でかなり精神的に落ち込んでいたといわれています。あびる優は懸命に小林可夢偉を励ましてなんとか元気になってもらおうとしたようですが、やはり精神的に不安定な時はなにを言っても届かなかったようで、結局再び破局を迎えてしまいます。

堂々と交際している様子で、グランプリにも二人揃ってあらわれているなど、とてもお似合いのカップルだっただけに世間からもショックだという声が多数ありました。

まとめ

出典:http://www.kamui-kobayashi.com/?p=10738&lang=

多くの評論家やドライバー達から期待され、結果を残してきた小林可夢偉選手。2016年現在は日本のスーパーフォーミュラーで活躍中です。あびる優や黒木メイサといった有名人との浮名を流すところなどもスター要素があり、これからも注目のドライバーです。フェラーリとの契約を蹴ってまでF1に戻った熱意もとても素敵ですね。是非とももう一度F1で、今度はトップチームで小林可夢偉の活躍を見たいと願うファンも多いでしょう。ツイッターや公式HPも随時更新されていますので、彼の発言一つ一つが見逃せませんね。