【脇阪寿一】『ミスターSUPER GT』と呼ばれた男の魅力に迫ります!

2016年はSUPER GTのGT500クラスの引退を表明した脇阪寿一プロドライバー。『ミスターSUPER GT』と呼ばれ続けた男は、ファンに惜しまれながらも主戦場の舞台を去りますが、今後はTEAM LeMansの監督として新しい道を歩み始めます。その脇阪選手の輝かしい来歴&戦歴などを今回はご紹介します。

脇阪寿一選手のプロフィール

プロフィール

名前:脇阪寿一
国籍:日本
生年月日:1972年7月29日
出身地:奈良県奈良市
身長:177cm
体重:63kg
オフィス:JS STYLE COMPANY
芸能所属事務所:吉本興業
血液型:RH+ AB

プロドライバーとしての年収は?

メジャーなスポーツ選手のように、プロドライバーは年収が公開されている訳ではありませんが、脇阪選手は愛車にレクサス・LS460 F SPORT、メルセデス・ベンツ・SL55、トヨタ・ヴェルファイア Executive Loungeを所持しているため、それなりの金額を貰っていることは確かなようです。ドライバーとしてレースで稼ぐというよりも、脇阪選手はスポンサーやタレント活動などで収入を得やすいため、おそらく年収も3,000万円~5,000万円ほどになるかと思います。

来歴&戦績概要

レースを始めるキッカケになった道上龍選手の存在

レーシングドライバー道上龍の最新情報をお届けしています

脇阪寿一選手をレースの世界に飛び込むキッカケとなったのは、ホンダを代表するレースドライバーである、道上龍選手の影響が大きかったようです。同じ奈良県出身ということもあり、親同士が知り合い関係だったため、二人は子供の頃から友達でした。
道上選手は小学生の時代から、地元でも有名なカート選手だったらしく、「神童」と噂されている存在でした。すでにその頃から全国のカートレースへ顔を出す日々を送っていたため、将来はプロレーサーとしての道が約束された人でもあったそうです。
脇阪選手が高校生の時代に、父親に連れられて全日本カート選手権を観戦。当時は中部地方で活躍していた高木虎之助選手と道上選手が、日々ライバル争いをしているような関係にありました。その2人は、アクセル全開のレース展開を繰り返したため、エンジンが壊れて共にリタイヤするという結果を迎えて大会は終了。その戦いが脇阪選手にとって、鮮烈な印象として記憶に残ったようです。
そして19歳の頃、道上選手の父親に連れられてカートコースに訪れた脇阪選手は、道上選手が乗っていたカートを使用して初めてコースを体験します。
カートとはいえ、道上選手も使っていたプロ仕様の車体。スピード感覚はF1並みのため、脇阪選手は人生で感じたことがないような、加速と減速による強烈なGを経験します。コーナーでは肺が圧迫されるような感覚を味わい、アクセルを踏めば首が後ろに倒れ、ブレーキを踏めば首が前に押し出されるという感覚により、思ったような運転ができないままスピンを繰り返してしまいます。途中で何度も道上選手に助けられながらも、カートレースを体験した1日を忘れることができず、再びレースの世界に戻りたいと強く願うようになります。この時より、「レーサー脇阪寿一」が誕生したのです。

社会人とレース活動を両立する日々

脇阪選手は19歳からカートを始め、童夢でF3に乗る25歳までは、奈良でスズキ自動車の営業マンとして働いていたそうです。ワゴンRやアルト、セルボモードなどの主力商品の販売や、少しこだわりのある顧客層にはジムニーやカプチーノ、個人事業種には人気のエブリイなど、様々な人にスズキの自動車を売っていたのだそうです。本人は当時のクルマ業界について「良いことも悪いこと学んだ」と笑いながらコメントしています。
毎日クルマと向き合う幸せな生活の一方で、社会人とレース活動を両立するという忙しい日々を送っていました。当時はお金もなく、時間もなかった様子ですが、それでも内容の濃い時間を過ごせたと本人は感じていたようです。
脇阪選手の営業スタイルは、口コミでお客さんを増やしていくタイプ。クルマが売れても売れなくても、顧客の家や勤務先に顔を出していたのだそうです。こうした努力も含めて、セールスマンとしても優秀だったそうですから、定評のある話術もその頃に磨かれていたのかもしれません。
そして1995年、全日本カート選手権から全日本F3選手権へステップアップしたため、レース活動に追われる日々を送ることになります。スズキの販売店では「脇阪を最近見かけない」という苦情まで増え、今でも当時の顧客をケアできなかったことに悔しさを覚えるのだとか。本人は仕方ないと諦める一方で、この頃からレース活動に集中することを決心します。この決断が功を奏し、この年は新人賞を獲得するなどの活躍を見せました。

全日本F3選手権でシリーズチャンピオンを獲得

1996年の童夢レーシングチームによる全日本F3選手権では、日本人として6年ぶりとなるシリーズチャンピオンを獲得。以後、フォーミュラ・ニッポンやSUPER GTなどの大会に参戦し続けます。この年では国産F1プロトタイプマシンである、童夢・F105のテストドライバーとして参加するなど、地道な実績を残すことになります。
1997年では童夢無限レーシングよりフォーミュラ・ニッポンのデビューを果たすと、1998年ではF1ジョーダン無限ホンダのテストドライバー、AUTOBACS RACING TEAM AGURI(通称:ARTA)からSUPER GTでデビューするなど活躍の場を広げます。SUPER GTにいたっては、2016年まで18シーズン連続のGT500クラス・ワークスドライバーとして定着することになるため、脇阪選手にとって重要な大会であったことは間違いありません。
その後、1999年ではARTAよりフォーミュラ・ニッポン参戦し、それぞれシリーズ5位を獲得。またSUPER GTでは童夢よりフル参戦し、開幕戦の鈴鹿ではポールポジションを獲得。決勝でもウェットコンディションという不利な状況の中で好調を維持し、レースでの初優勝を果たしました。
2000年でもARTAからフォーミュラ・ニッポンにフル参戦し、10戦中5戦で堅実にポイントを獲得しましたが、優勝争いに加わることなくシリーズ7位という結果に終わりました。また、SUPER GTも童夢よりフル参戦し、予選で4回のポールポジションを獲得するなど活躍を見せましたが、優勝は1回という結果に終わりシリーズチャンピオンを逃しました。またこの年は、第29回Pokka1,000km・GT500クラスで総合優勝を果たすという快挙を成し遂げました。

トヨタのチームへ移籍、タレント活動など何かと話題に

2001年まではホンダ陣営の若手ドライバーの印象が強かった脇阪選手ですが、この年にTEAM LeMansに移籍してトヨタのワークスドライバーとなります。そして、2002年にSUPER GTのシリーズチャンピオンという快挙を達成します。優勝は第3戦SUGOでの1回のみ結果でしたが、地道にポイントを稼いだことにより、2位と1ポイントという僅差で破り、チャンピオンを勝ち取ったそうです。
また、この年はタレントのヒロミさんと共に「H-Factory Racing Team」を結成してスーパー耐久にフル参戦し、シリーズ5位を獲得。他にも、第31回Pokka1,000km・GT500クラスで、弟の薫一選手と史上初である兄弟での総合優勝を果たすなど、充実した年を送ることができたようです。
2003年では、当時シアトルマリナーズに在籍していた佐々木主浩選手がオーナーである、「TEAM 22」からフォーミュラ・ニッポンに参戦します。シリーズ3位、優勝2回を果たすなどの結果を残しました。この大会では第10戦の鈴鹿で佐々木選手が見守る中優勝を勝ち取ったので、大いに話題となったそうです。また、この年のSUPER GTでは、開幕戦と第3戦で優勝を果たしましたが、2位とポイントで逆転されてしまい、シリーズチャンピオンを逃してしまいました。
2004年では、フィールズレーシングチームのチーフプロデューサーとなり、一般の人にもモータースポーツの良さや面白さを知ってもらうため、俳優の保坂尚輝さんや、音楽プロデューサーの周防彰悟さんをドライバーとして起用するなどの、大胆な宣伝活動を行います。
そしてこの年では、お笑い芸人であるダウンタウンの浜田雅功さんから誘いを受け、吉本興業とタレントマネジメント契約を結びます。吉本興業のタレントからレーシングドライバーが生まれるのは史上初の出来事。本人は日頃からモータースポーツの発展と、クルマの宣伝活動に力を入れたいと願っているため、タレントとして話題になることはプラスに働いていたようです。

ドライバー&チームダブルチャンピオンを2回獲得

2005年はTEAM LeMansよりSUPER GTに参戦しますが、シリーズ6位という結果に終わります。そして2006年、脇阪選手は5年間在籍したTeam LeMansを離れてトムスへ移籍します。開幕戦の鈴鹿では、TOM'S SC430で優勝を勝ち取り、その後地道にポイントを稼ぎ続けた結果、2002年以来のシリーズチャンピオンを達成します。TOM'S SC430のデビュー優勝、ドライバーズ&チームのダブルチャンピオン獲得など、怒涛の快進撃を見せた年となりました。
2007年もTOM'S SC430でフル参戦しますが、シリーズ通しての結果は6位に終わります。そして2008年では、ドライバーズタイトルは逃しましたが、表彰台4回という結果により、チームチャンピオンを獲得します。その後、2009年でのSUPER GTでは、初戦はポイントを獲得することはできませんでしたが、第2戦以降は表彰台に5回上がるなどの活躍を見せたため、再びドライバー&チームダブルチャンピオン獲得します。

GAZOO Racing Teamからニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦

2010年ではトムスよりSUPER GTに参戦しますが、2位と5ポイント差でチャンピオンを逃してしまいます。パートナーであったアンドレ・ロッテラー選手とは、この年で5年間コンビを組んだことになり、SUPER GTの日本人・外国人コンビでは歴代トップの最長記録として残りました。
そしてこの年から、トヨタ自動車の豊田章男社長によるプロジェクト「TOYOTA GAZOO Racing Team」の一員として、ニュルブルクリンク24時間耐久レースに参戦することになります。脇阪選手と豊田章男社長はモータースポーツを通して長年親交があったため、プロジェクトに参加するのは自然の流れだったようです。
脇阪選手のニュルブルクリンク24時間耐久レースへの参戦は2014年まで続き、使用した車種であるSP8クラスの「レクサス・LFA」、SP-PROクラスの「レクサス・LFA Code X」は共にクラス優勝を果たすなどの歴史的な記録を残しました。これにSP3クラスで優勝を果たした「トヨタ・86」を加えると、GAZOO Racingの3台はすべてのクラスを制覇したことになり、このチームの活躍がいかに凄かったかを物語っている思います。

チームの移籍を続け、やがてSUPER GTを引退へ

2011年では5年間在籍したトムスからクラフトへ移籍。新パートナーのアンドレ・クート選手と共にD'STATION KeePer SC430でSUPER GTへ参戦しましたが、シリーズを通して14位という結果に終わりました。
その後、2012年ではレクサス名門チームであるSARDへ移籍し、新パートナーである石浦宏明選手と共にDENSO KOBELCO SC430で参戦。第2戦の富士スピードウェイにて優勝を勝ち取り、またシリーズを通してポイントを稼ぎ続けた結果、3位という成績を残します。
2013年もLEXUS TEAM SARDからSUPER GTへ参戦し、シリーズ7位。そして2014年では、SARDからLEXUS TEAM WedsSport BANDOHへ移籍しますが結果は15位に終わります。
翌年の2015年、WedsSport BANDOHからSUPER GTへ参戦しますが、シーズンを通して最も苦しい時期だったようで、序盤は思ったようなレースができずに悔しさを味わいます。全レースでポイントを地道に稼ぐことはできましたが、シリーズ11位と残念な結果で終わってしまい、本人にとっても限界を感じた大会だったようです。
そして2016年の2月4日、モータースポーツ活動発表会で、脇阪選手はGT500ドライバーの引退を表明します。今回の決断の発端は、2015年のSUPER GT第3戦のタイでのレースだと本人はコメント。「タイでどん底を味わった。レースを終えた後は目の前が真っ暗になりました」と後に語るほど、苦しく、難しい時期を味わったようです。
引退したとはいえ、脇阪選手のSUPER GTでの活躍は輝かしいものばかり。シリーズチャンピオンの獲得は計3回のため、「ミスターSUPER GT」と呼ばれるのも伊達ではありません。引退後もその素晴らしい戦歴から、LEXUS TEAM LeMans WAKO’Sのチーム監督としてオファーがありました。すでに監督としてSUPER GTに参戦しているので、今後も若手育成の原動力となることは間違いないでしょう。

レーサー活動以外にも様々なエピソードが満載

脇阪選手はARTA所属時代に、鈴木亜久里監督からスタートの失敗を度々指摘され、レース中もプレッシャーをかけられていたとのこと。テレビ番組「ジャンクSPORTS」でフォーミュラ・ニッポンの優勝を宣言しましたが、鈴木監督の信頼は得られなかったようで、本人は少し焦り気味だったようです。
レーサーとしての体調管理は抜群で、タバコも吸わず、酒も飲まないなど非常にストイックなことで知られています。レースシーズンが近づくと、トレーニング強化や食生活の管理などを徹底し、普段の様子からは考えられないような精神的な追い込みをするそうです。また、ゴルフを趣味としており、レースに役立つ洞察力の強化や、体幹トレーニングにプラスになるということで、現在も続けているそうです。
元レースドライバーである土屋圭市さんとは長い親交があり、特にドリフト走行に関してはトレーニングを受けた関係だそうです。土屋さんは現役時代に「ドリフトキング」と呼ばれた人なので、このトレーニングはレースに大いに役立ったかもしれません。
また、吉本興業に所属しているため、現在タレント活動にも力を注いでいます。テレビ番組「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!!」の絶対笑ってはいけないシリーズで、芸人の罰ゲーム企画にレースドライバーとして参加。レクサス・LFAに芸人を乗せて、富士スピードウェイを爆走するなどのドライブを披露し、番組放映時にはYahoo!Japanで「脇阪寿一」の名前が検索ワードとして1位になるなど、何かと話題を振りまきました。このレクサス・LFAは、トヨタ側で露出NGとなっていましたが、豊田章男社長に直接交渉して撮影の許可を得たそうです。
こうした活動により、脇阪選手はプロドライバーの中で人気はトップクラスとなり、全国放送番組やニコニコ生放送の出演など、ファンとの交流によるオファーが絶えないそうです。YouTubeでも自分の専門チャンネルを作って情報発信を続けているため、興味のある方は動画を探してみるのも良いかもしれません。

脇阪選手のYouTubeチャンネル動画

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こちらの動画はトヨタ・86の走行動画です。86はトヨタ自動車と富士重工業が共同で開発した、FRレイアウトのスポーツカーです。ハンドリングとレスポンスによる評価が高く、走る楽しさを追求したクルマのため、非常に大衆性の強いスポーツカーとして人気があります。また、若年層にも購入できるような低価格設定なのも魅力です。

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こちらは高級車として有名なフェラーリの走行動画です。フェラーリはイタリアに本社を置く自動車メーカーで、レーシングカー、スポーツカーのみ主力商品としています。現在販売されている全車種は日本に正規輸入されており、488シリーズ、カリフォルニアT、FFとF12には7年間のフェラーリ純正メンテナンスが無償で付帯しているとのことです。高級車らしく中古でも2,000万円以上するクルマなので、一般の人には手が届かないかもしれませんが、クルマ好きなら一度は乗ることを夢見るメーカーだと思います。

1991年~ カートレース活動時代の戦歴

1991年 ナショナルカート選手権近畿地区A2 クラス参戦【シリーズ6位】
1992年 全日本カート選手権FAクラス参戦【最高位3位】
1993年 全日本カート選手権FAクラス参戦【最高位2位】
鈴鹿ワールドカップカートレース参戦【ICAクラス3位】
1994年 全日本カート選手権FAクラス【シリーズ2位、最高位優勝】
鈴鹿ワールドカップカートレース参戦【ICAクラス優勝】
1995年 全日本カート選手権FSAクラス参戦【シリーズ6位】
戸田レーシングより全日本F3選手権シリーズ参戦【シリーズ6位、新人賞獲得、最高位2位】

1996年~ フォーミュラ・ニッポン、SUPER GTなどの戦歴

1996年 童夢レーシングチームより全日本F3選手権参戦【シリーズチャンピオン、優勝4回】
童夢F1テストドライブ
1997年 童夢無限レーシングより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ14 位、最高位4位】
1998年 AUTOBACS RACING TEAM AGURIより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ3位、優勝1回】
F1 ジョーダン無限ホンダ テストドライバー
童夢より全日本GT 選手権(現SUPER GT) GT500スポット参戦
1999年 AUTOBACS RACING TEAM AGURIより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ5位】
童夢より全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦【シリーズ4 位、優勝1回】
2000年 AUTOBACS RACING TEAM AGURIより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ7位】
童夢より全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦【シリーズ6位、優勝1回】
POKKA鈴鹿1,000km【優勝】
2001年 AUTOBACS RACING TEAM AGURIより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ5位、優勝1回】
ESSO TOYOTA TEAM LeMansより全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦
【シリーズ7 位、優勝2回(シリーズ1勝、特別戦1勝)】
2002年 AUTOBACS RACING TEAM AGURIより
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ3位、優勝1回】
ESSO TOYOTA TEAM LeMansより全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦
【シリーズチャンピオン】
POKKA鈴鹿1,000km【優勝】
タレントのヒロミ氏、薫一と供にH-Factory Racing Teamより
スーパー耐久シリーズ参戦【シリーズ5位】
2003年 元シアトルマリナーズ佐々木投手オーナーのTeam22より
全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ3位、優勝2回】
ESSO TOYOTA TEAM LeMansより全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦
【シリーズ2位、優勝2回】
2004年 Team LeMansより全日本選手権フォーミュラ・ニッポン参戦【シリーズ5位】
ESSO TOYOTA TEAM LeMansより全日本GT選手権(現SUPER GT)参戦
【シリーズ3位】
2005年 ESSO TOYOTA TEAM LeMansよりSUPER GT参戦【シリーズ6位】
童夢よりLMESスパ1,000km参戦
2006年 TOYOTA TEAM TOM'SよりSUPER GT参戦
【開幕戦レクサスSC430デビューウィン達成】
【ドライバー&チームダブルチャンピオン獲得、MVP獲得】
2007年 TOYOTA TEAM TOM'SよりSUPER GT参戦【シリーズ6位】
POKKA鈴鹿1,000km【優勝】
2008年 PETRONAS TOYOTA TEAM TOM'SよりSUPER GT参戦
【チームチャンピオン獲得】
2009年 LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S よりSUPER GT参戦
【ドライバー&チームダブルチャンピオン獲得】

2010年~ SUPER GT、ニュルブルクリンク24時間耐久レースなどの戦歴

2010年 LEXUS TEAM PETRONAS TOM'S よりSUPER GT参戦
【シリーズ2位、優勝1回】
GAZOO Racing Team よりVLNシリーズ(ニュル耐久選手権)第1戦参戦
【クラス優勝(SP8クラス)】
GAZOO Racing Team よりニュルブルクリンク24時間耐久レース参戦
【クラス優勝(SP8クラス)】
2011年 LEXUS TEAM KRAFTよりSUPER GT参戦【シリーズ14位】
GAZOO Racing Teamよりニュルブルクリンク24時間耐久レース参戦
2012年 LEXUS TEAM SARDよりSUPER GT参戦【シリーズ3位、優勝1回】
GAZOO Racing TeamよりVLNシリーズ(ニュル耐久選手権)第2戦参戦
【クラス優勝(SP8クラス)】
GAZOO Racing TeamよりVLNシリーズ(ニュル耐久選手権)第3戦参戦
【クラス優勝(SP8クラス)】
GAZOO Racing Teamよりニュルブルクリンク24時間耐久レース参戦
【クラス優勝(SP8クラス)】
2013年 LEXUS TEAM SARDよりSUPER GT参戦【シリーズ7位】
2014年 LEXUS TEAM WedsSport BANDOHよりSUPER GT参戦【シリーズ15位】
GAZOO Racing Teamよりニュルブルクリンク24時間耐久レース参戦
【クラス優勝(SP-PROクラス)】
2015年 LEXUS TEAM WedsSport BANDOHよりSUPER GT参戦【シリーズ11位】
2016年 LEXUS TEAM LeMans WAKO’Sよりチーム監督としてSUPER GT参戦
埼玉トヨペットGreenBraveよりスーパー耐久シリーズ参戦
ネッツトヨタ東京よりGAZOO Racing 86/BRZ Race参戦

オシャレなヘルメットデザイン

ヘルメットに関してはレースで勝ったものを次戦で使わず、ゲンを担ぐようなことをしないそうですが、オシャレなデザインのためファンの目を引きます。時計メーカーである、フランクミュラーの「コンキシタドールグランプリ」のデザインカラーを意識したヘルメットなどもあり、直接デザイナーさんに頼んだ仕様のため、非常に個性的なものが多いです。脇阪選手のブログでヘルメットの写真が度々アップされているので、探してみるのも面白いかもしれません。

引退後はチームの監督として活動を開始!

先にも述べた、2016年のモータースポーツ活動発表会にて、脇阪選手はGT500クラスの引退を宣言しましたが、今後はTEAM LeMansの監督として活動を続けることになります。TEAM LeMansは脇阪選手にとって古巣のため、思い出の場所で指揮を執ることは幸運といえるかもしれません。
本人は2016年のシーズンを戦い抜くことも考えましたが、ボロボロの状態でレースの面白さや、ドライバーの魅力を伝えるよりも、若手の育成などに力を注いだ方が自分にとって良いと思い、今回の引退に繋がったそうです。「ミスターSUPER GT」と呼ばれ続けたほどの人気選手なので、引退を惜しむファンも多かったですが、再び監督としてSUPER GTの舞台で戦うため、脇阪選手のまた違った魅力を感じるかもしれません。
GT500ドライバーとしては第一線から身を引く決断をしましたが、本人はプロドライバーとしての「完全」引退は宣言していないとのこと。今後もスーパー耐久へのフル参戦や、86/BRZ Raceにも参戦することを明かしているため、モータースポーツで培ったノウハウを、自動車開発にフィードバックするための協力は惜しまないそうです。
また、豊田章男社長からトヨタの広報担当役員に任命されたため、これからもクルマの魅力を伝える中心人物として活躍することは間違いないと思います。

脇阪選手は結婚しているの?どんなお嫁さん?

2002年の12月に入籍しているそうで、夫人は元レースクィーンの福沢美穂さんです。その福沢さんは1974年の6月10日生まれのため、脇阪選手より2学年年下にあたります。既にお子さんも2人いるそうですが、ネットでは家族一緒の写真などをあまり見かけることはありません。日頃から面白い発言の多い脇阪選手のことですから、和気あいあいとした明るい家庭を築いているかもしれませんね。

まとめ

レーシングドライバー脇阪 寿一 オフィシャルウェブサイト プロフィール、レースレポート、オリジナルコンテンツも充実!

脇阪寿一さんのブログ「脇阪寿一オフィシャルブログ「脇阪寿一の走らなあかん!」Powered by Ameba」です。最新記事は「「TOYOTA GAZOO Racing 」その想い」です。

レースの面白さや、クルマの魅力を伝えるため走り続けた脇阪選手のドライバー人生。SUPER GTで3度のシリーズチャンピオンを果たすなど、その実績は輝かしいものばかりです。今後もチームの監督やタレント活動など、モータースポーツやクルマに関わる場所で頻繁に見かけることが多くなりそうです。GT500クラスを引退したとはいえ、まだまだ目が離せそうにありませんね!