【中嶋一貴】日本人初の二世F1ドライバーの戦績などをご紹介!

2016年のル・マン24時間レースで、ゴール手前で車がストップするというアクシデントに見舞われたトヨタのチーム。まるでドラマのようなポルシェの逆転劇でしたが、ドライバーである中嶋一貴選手を含め、ル・マン制覇の夢は潰えていないと思います。チームの主軸となっていた中嶋選手の経歴とプロフィールを今回はご紹介します。

中嶋一貴選手のプロフィール

プロフィール

名前:中嶋一貴
国籍:日本
生年月日:1985年1月11日
出身地:愛知県岡崎市
身長:175cm
体重:65kg
所属チーム:トヨタ、トムス
血液型:RH+A型
F1活動時期:2007年~2009年

中嶋選手の年収

中嶋一貴選手の年収はF1の時代でもペイドライバー扱いなため、基本給は0ドルの評価です。これらの数字は基本給としての金額なので、スポンサー料などを含めると1億円ほどの収入があったようです。現在はF1時代よりも収入は多少落ちたかもしれませんが、レースへの参戦は持ち込みを要求されることも多いため、チームの予算やドライバーの年収は情報開示されないのが現状のようです。

来歴&戦績概要

ジュニアフォーミュラ時代

中嶋一貴選手の父親は、日本人初のフルタイムF1ドライバーである中嶋悟選手です。人気のあった父親の影響から、中嶋選手は10歳でカートを始めます。そして1997年にカートレースにデビュー。カート時代に指導していた城内正樹氏によると、走りの第一印象はあまり良くありませんでしたが、雨のレースで群を抜いた速さを見せたため、将来への期待を感じたそうです。
その後、16歳の時にフォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)を受講します。親の七光りと呼ばれることを快く思わなかったので、父親をサポートしていたホンダではなくトヨタを選びました。
しかしながら、1年目は不合格となってしまい悔しさを味わいます。この経験をバネに翌年で再受講し、見事合格してスカラシップを獲得。しかも、その翌年の2003年には、エッソ・フォーミュラトヨタシリーズにてシリーズチャンピオンを勝ち取ります。

全日本F3選手権・SUPER GT・スーパー耐久・F3ユーロシリーズなどに参戦

出典:http://www.vividcar.com/cgi-bin/WebObjects/f1b8d82887.woa/wa/read/10b16cec767/

2004年、2005年でもステップアップして、毎年開催する全日本F3選手権にトムスから参戦。いきなり開幕ラウンドで2連勝するなどの活躍を見せます。その後、成績は思うように上がりませんでしたが、それぞれのシリーズで5位と2位を獲得しました。
2005年ではマカオGPにも挑戦しますが、結果は6位で終わってしまいます。しかしその後、SUPER GTの300クラスにもフル参戦し、第4戦のスポーツランドSUGOでクラス優勝という快挙を成し遂げます。この年では他にも、スーパー耐久・ST-5クラスにて第3、5戦にスポット参戦し、第5戦での富士スピードウェイで、パートナーである黒澤琢弥選手と共に優勝を勝ち取りました。
2006年は渡欧し、平手晃平選手と共に、トヨタ・ヤングドライバーズ・プログラム(TDP)の支援にてF3ユーロシリーズへ参戦します。第2ラウンドである、ユーロスピードウェイで行われた第4戦では優勝しますが、シリーズを通して見ると、思ったような結果を残せず7位に終わります。また、この年では再びマカオGPに挑戦しますが、予選7位、決勝ではリタイヤという成績を残します。

GP2への参戦し5戦連続の表彰台を経験

出典:http://private01.exblog.jp/m2007-09-01/

2007年ではヨーロッパへ活動拠点を移し、TDPのドライバーとしてDAMSからGP2シリーズに早くも参戦します。初戦であるバーレーンからスペイン・第1レースまでの3レースでは、連続で1ポイントずつ獲得し、地道に結果を残します。そして、第5戦のイギリス・第1レースで3位を獲得して初の表彰台に上がります。
その後、第7戦でのハンガリー・第1レースでは2位まで勝ち上がり、5戦連続の表彰台を経験します。最終戦のバレンシアでは見事ポールポジションを獲得し、計44ポイントでシリーズ5位という結果を残してチームに貢献したため、その年のルーキー・オブ・ザ・イヤーに選ばれました。

実力でF1の世界へ飛び込んだ中嶋選手

2007年のGP2最終戦をバレンシアで戦い終えた後、中嶋選手はウィリアムズからF1レース参戦のオファーが届きます。ウィリアムズのエンジンサプライヤーとなった、トヨタによる推薦も関係していますが、中嶋選手がF1チームとして参加するため英語が堪能であることと、レースに対するスタミナの高さが評価された上での決断だったそうです。
F1とGP2と重ならない時期のレースでは、第3ドライバーとして出場。F1とGP2が同じ時期に開催されるレースでは、リザーブドライバーとして出場していた中嶋選手。そしてGP2開幕後の中国GPでは、シーズン5度目となる第3ドライバーとして出場していましたが、Honda Racing F1のリザーブドライバーに就任することになったアレキサンダー・ヴルツ選手の代役として、最終戦ブラジルGPでのF1デビューが決定します。
アジア人では初めての親子2代のF1ドライバーがここに誕生し、ブラジルGPでF1デビューを果たした後、予選は19位、決勝は10位でチェッカーを受けます。レースでのファステストラップでは5位のベストタイムを記録することにも成功し、チームメイトのニコ・ロズベルグ選手のタイムを0.043秒ほど上回りましたが、決勝の31周目でのピットインの時に、ブレーキングミスによりチームのピットクルーを負傷させてしまうなどのミスを犯してしまいます。本人としては課題の残るレースだったかもしれません。

期待から失望へ、ファンから「遅い」と批判される日々

2008年では本格的にウィリアムズのF1チームとしてフル参戦します。日本人のF1フルタイムドライバーとして史上8人目という快挙を得ました。F1ドライバーとして活動するのはまだ早いとの声もありましたが、この評価を覆して第1戦のオーストラリアGPでは見事7位で完走します。
また、このレースではルーベンス・バリチェロ選手の失格という出来事により、中嶋選手は繰り上がって6位という結果を残します。しかし、ロバート・クビサ選手と追突してリタイヤに追い込むなどのアクシデントがあり、第2戦のマレーシアGPで中嶋選手は10グリッドの降格処分を受けます。
その後、第4戦のスペインGPでは、自己最高の予選12位を記録。そして決勝レースでもトップと同一周回で完走して、7位を獲得するなどの活躍を見せます。
第6戦のモナコGPでは7位フィニッシュとなり、日本人ドライバー初となるポイントを獲得。また、第15戦のシンガポールGPでは、こちらも日本人初となるナイトレースでの予選に参戦し、Q3への進出を果たします。このレースでの決勝では8位に入賞し、堅実にポイントを獲得しています。
そして2009年もウィリアムズからフル参戦を果たしますが、開幕戦である第1戦のオーストラリアGPでは、4位を走行しポイントが確実と見られていましたが、単独スピンでクラッシュしてしまい、リタイヤでレースを終えてしまいます。そして第7戦のトルコGPでは、終盤まで好調を維持していましたが、最後のタイヤ交換によりピットクルーが手間取るというアクシデントが起こってしまったため、このトラブルにより12位まで順位を落としてしまいます。
さらに、第8戦のイギリスGPでは、決勝で4位スタートの位置に付けていたものの、再びピットクルーがタイヤ交換に手間取るという悪夢を経験します。このレースでは予選ですべてのソフトタイヤを使い切ってしまったため、決勝ではハードタイヤと混同してレースに臨まねばならず、気温の低いイギリスでタイムが伸びないなどのトラブルに見舞われたため、結果として11位でレースを終えてしまいます。
その後、シーズン終盤の第16戦ブラジルGPでは、F1デビューを果たした小林可夢偉選手と対戦しますが、レース中のオーバーテイクで完全に抑え込まれてしまいます。自身もオーバーテイクにより巻き返しを狙いますが、タイミングが合わず追突してレースを終えてしまうという散々な結果に終わります。シーズンを終えてみればノーポイントという結果を残し、ウィリアムズとも契約更新されずに、この年の活動を虚しく終えます。
名門ウィリアムズで0ポイントのままシーズンを終えたドライバーは史上2人目。不名誉な記録を残したため、海外のファンから「ナメクジ」とあだ名され、また国内のファンからは、鮮烈なデビューを飾った小林選手と何かと比較されるようになりました。本人にとっては忘れられないシーズンとなったのは間違いありません。

国内レース復帰から現在での活動

2010年では新興チームであるステファンGPと契約しましたが、F1エントリーリストに載っていなかったため、F1の継続参戦は不可能となり、結局この年は活動休止の状態となりました。そして2011年では古巣チームであるトムスでファーミュラ・ニッポンとSUPER GTの500クラスに参戦。全レースで3位以内の入賞をはたすという快挙を成し遂げ、この年のルーキー・オブ・ザ・イヤーを獲得し、完全復帰を果たしました。
2012年でも再びトムスからファーミュラ・ニッポンとSUPER GTに参戦。また同年より、トヨタがル・マン24時間レースとFIA世界耐久選手権(=WEC)に参戦するため、そのレギュラードライバーとして中嶋選手が起用されます。ル・マン24時間レースではエンジントラブルによるリタイヤという不遇な結果に対し、WECの第7戦富士6時間レースでは、予選のアタッカーを担当しポールポジションを獲得。決勝でもファステストラップを記録するなどの快挙を成し遂げ、日本人として20年ぶりの世界耐久選手権優勝を勝ち取りました。また、フォーミュラ・ニッポンでの開幕予選では3位から優勝を飾るなどの活躍を見せ、大会改称前の最後の勝利者として名前を残すことになりました。
2013年では諸事情により第3ドライバーとして4戦のみ参戦。2014年はWECにフルで参戦して、開幕戦の舞台であるシルバーストンでは、中嶋選手のタイムによりポールポジションを獲得し、決勝でも結果は2位と快進撃を見せます。また、ル・マン24時間レースでも、日本人初のポールポジションを勝ち得るという快挙を成し遂げましたが、残念ながらレースはリタイヤに終わるという不遇な結末を迎えました。また、この年のスーパーフォーミュラでは、開幕戦の鈴鹿で6位に終わりましたが、シリーズを通して怒涛の活躍を見せ、フォーミュラ・ニッポン時代を含めた2連覇を達成します。
2015年ではWECにトヨタよりフル参戦。ドライバーズランキング7位を獲得するも、全日本選手権スーパーフォーミュラでは2位の結果に終わります。そして2016年では、ル・マン24時間レースでトップを維持しましたが、終盤でスローダウンしてしまい、ゴール3分前に車が停止するというアクシデントに見舞われます。結果として2位のポルシェに抜かれ、トヨタの悲願であったル・マン初制覇は叶いませんでした。

日本人ドライバーとしてル・マンを制覇する夢は来年までお預けとなりましたが、中嶋選手本人は「来年こそ必ずトロフィーを獲得して帰ってきます」とコメントしているため、この経験と悔しさをバネにして優勝を目指してほしいと思います。

幼少時~F1ドライバーまでの戦歴

1996年 カートレースデビュー
1997年 鈴鹿選手権シリーズRSOクラス参戦
1998年 鈴鹿選手権シリーズICAクラス参戦【シリーズ2位】
1999年 鈴鹿選手権シリーズICAクラス参戦【シリーズチャンピオン】
2000年 鈴鹿選手権シリーズFAクラス参戦【シリーズ2位】
2001年 全日本カート選手権FAクラス参戦【シリーズ7位】
2002年 全日本カート選手権FAクラス参戦【シリーズ3位】
フォーミュラトヨタ・レーシングスクール(FTRS)受講【スカラシップ獲得】
2003年 トヨタ・スカラシップによりエッソ・フォーミュラトヨタシリーズ参戦【シリーズチャンピオン】
2004年 全日本F3選手権にトムスから参戦【シリーズ5位】
2005年 全日本F3選手権にトムスから参戦【シリーズ2位】
2006年 F3ユーロシリーズ参戦(英マノー・モータースポーツ)【シリーズ7位(1勝)】

F1ドライバーでの戦歴

2007年 GP2シリーズ参戦(仏DAMS)【シリーズ5位】
AT&T Williamsとテストドライバー契約
最終戦ブラジルGPにてF1世界選手権デビュー
2008年 AT&T WilliamsよりF1世界選手権参戦
2009年 AT&T WilliamsよりF1世界選手権参戦

国内レース参戦からの戦歴

2011年 SUPER GTにトムスより参戦【シリーズ8位】
全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにトムスより参戦【シリーズ2位(1勝)】
ルーキー・オブ・ザ・イヤー獲得
2012年 WECにトヨタより参戦【第7戦富士にてポール・トゥ・ウィン】
SUPER GTにトムスより参戦
全日本選手権フォーミュラ・ニッポンにトムスより参戦【シリーズチャンピオン】
2013年 FIA世界耐久選手権(=WEC)にトヨタより参戦【第6戦富士にて優勝】
SUPER GTにトムスより参戦【2勝】
全日本選手権スーパーフォーミュラにトムスより参戦【2勝】
2014年 WECにトヨタより参戦【第3戦ルマンにて日本人初のPPを獲得】
SUPER GTにトムスより参戦【第6戦鈴鹿、第7戦タイにて優勝】
全日本選手権スーパーフォーミュラにトムスより参戦【シリーズチャンピオン】
2015年 WECにトヨタよりフル参戦、ドライバーズランキング7位
全日本選手権スーパーフォーミュラにトムスより参戦【ケガのため1戦欠場するもシリーズ2位(1勝)】
2016年 WECにトヨタより参戦
全日本スーパーフォーミュラ選手権にトムスより参戦

事故によりリハビリの時期を過ごす

スパ・フランコルシャン6時間レースで、フリー走行中であった中嶋選手は、アクシデントにより脊椎の一部を痛めてしまいます。サーキット近郊の病院に数日間入院した後、南フランスのニースに移され、背中の集中治療を受けます。早期治療が功を奏したのか、5月の時点では自由に動けるほどの回復を見せ、ル・マン24時間レースへ向けたリハビリに励んでいました。

中嶋選手は結婚してるの? 彼女は?

ネットでの情報は少ないため、正確な情報は掴めませんでした。本人はレースに集中している状態のため、あまり彼女や結婚の噂は聞こえてきませんが、人気と実力も兼ね備えている選手ですし、年齢からいつ結婚の報告があってもおかしくないと思います。しっかり家庭を支えてくれるお相手が見つかると良いですね!

まとめ

レーシングドライバー中嶋一貴(Kazuki Nakajima)の公式ホームページ。FIA世界耐久選手権(WEC)、スーパーGT、スーパーフォーミュラに参戦する中嶋一貴の最新情報やレースフォトを掲載。

中嶋一貴さんのブログ「中嶋一貴オフィシャルブログ Powered by Ameba」です。最新記事は「auto sport特別編集『ル・マン24時間2016』」です。

先日のル・マン24時間レースでは不運な結果に終わりましたが、まだまだ活躍の場を広げられる選手だと思います。本人は父親である中嶋悟さんを意識していないと言っていますが、いつかは超えたいと願っていることは間違いないでしょう。これからも日本のプロドライバー代表として頑張ってほしいですね!