【フェルナンド・アロンソ】世界最強の2連覇世界王者 気になる年収や戦績などまとめました!

フェルナンド・アロンソ・ディアス(Fernand Alonso diaz)はスペイン出身のレーシングドライバーで、2005年、2006年と世界王者2連覇を達成したドライバーです。現在はマクラーレンホンダに所属し、チーム復権の鍵を握る人物です。

基本情報・来歴

フェルナンド・アロンソはスペインアストゥリアス州のオビエド出身のレーシングドライバーです。1981年7月29日生まれの34歳で、身長171cm、体重68kg。2001年からF1に参戦し、現在はマクラーレンホンダに在籍していて、同じく2009年の世界王者であるジェンソン・バトンとチームメイトです。彼の長所はその抜群な「安定感」であり、どんなに戦闘力に欠けるマシンであってもそれなりの順位とポイントをチームにもたらすことができます。

アロンソのキャリアはカートから始まりました。初めてカートに乗ったのはなんと3歳の頃。1993年、12歳でスペインのカートジュニア選手権のチャンピオンとなり、それから1996年まで同じ選手権を4連覇しています。父がアマチュアカートの選手だったのですが、こういったアロンソの活躍によってスポンサーが資金提供を行うようになり、そのキャリアを続けることができたといいます。
1996年、ジュニアカートワールドカップを制し、1997年にはスペイン、イタリアのカート選手権のチャンピオンとなります。アロンソのこうした活躍はさらに上のレースカテゴリーからも注目されることとなり、元F1ドライバーの「エイドリアン・カンポス」にその才能を見いだされ、ニッサン・オープン・フォーチュナー選手権(現在はフォーミュラー・ルノー3.5)と呼ばれるスペインのトップカテゴリーに参戦。すぐにその年、チャンピオンに輝きました。この年はイタリアのレーシングチームであるミナルディのF1テストドライブも経験します。
2000年には国際F3000に参戦。シリーズランキングで4位という成績を残します。またベネトンのチーム代表であった「フラビオ・ブリアトーレ」とマネージメント契約を結び、翌年からの飛躍を期待されました。

F1の世界へ

2001年、ルノーと契約したドライバーでありながら、ミナルディのシートを獲得。F1ドライバーとしてのキャリアをスタートさせます。しかし、この年のミナルディのマシンPS01は決して戦闘力が高くなく、アロンソは年間を通じてノーポイントに終わります。それでもルーキーとは思えない走りを所々で見せ、「翌年はルノーのレギュラーシートを」という声も出ました。
2002年、ベネトンを買収したルノーがブリアトーレをチーム代表に就任させたことで、アロンソはルノーのレギュラーシートを獲得すると思われましたが、ベネトンから引き続き「ジェンソン・バトン」がシートを確保し、アロンソはテストドライバーとしてルノーと契約することになります。レギュラーを獲得できなかった一年でしたが、レギュラードライバーよりも速いラップタイムを記録するなど、翌年のレギュラーシート獲得に向けて我慢の年となりました。

2003年。アロンソはルノーのレギュラーシートの座に座ります、第2戦のマレーシアGPでポールポジションを獲得し、決勝レースで3位表彰台。これは当時の最年少表彰台記録となります。第5戦スペインGPでも決勝2位表彰台、そしてハンガリーGPでは予選でポールポジションを獲得すると、決勝はそのままポール・トゥ・ウィン。22歳26日というこれも当時最年少優勝記録を樹立させました。この年は優勝を含めて表彰台5回。入賞6回と順調なシーズンとなり、ドライバーズランキングでも6位となりました。

2004年。前年の成績もあり、今シーズンこそシリーズチャンピオンをというシーズンでしたが、2004年シーズンはフェラーリのマシンが圧倒的な戦闘力を持ち、表彰台は4回記録したものの、年間王者の椅子には届かず。クラッシュなどもありましたが入賞12回というポイントをコンスタントに稼ぎドライバーズランキングでは4位と、若手ドライバーの中では抜きんでた活躍をみせました。

そして世界王者2連覇へ

2005年。ルノーのレギュラーシートを獲得して3年目のシーズンを迎えると、この年はルノーのマシンが戦闘力を発揮します。ルノーのマシン「R25」は2005年シーズンから大幅に改訂されたレギュレーションに対応するためにエアロダイナミクスに改良を加えられたマシンで、シーズン開幕のオーストラリアGPからアロンソのチームメイトである「ジャン・カルロ・フィジケラ」がポール・トゥ・ウィンを達成し、アロンソ自身も3位表彰台を獲得します。
第2戦マレーシアGPでは今度はアロンソがポール・トゥ・ウィン。第3戦バーレーンGP、第4戦サンマリノGPと3連勝を達成します。中でもサンマリノGPでは予選2位からスタートし、順調なレース展開を見せますが、13番グリッドからスタートした「ミハエル・シューマッハ」が意地を見せ、1周約1.5秒アロンソよりも速いラップタイムを記録し続けます。36秒あった差は残り13周というところでついに2秒となりアロンソを捕えます。
普通、追いかけられる側というのは抜かれることを防ぐために後続車のラインを意図的に邪魔することがあります。いわゆるブロックラインというものですが、アロンソはシューマッハに追いかけられながらもブロックラインを使用せず、終始クリーンなレースを展開。13周の攻めをなんとか防ぎ切り、2秒差で優勝を成し遂げます。

このサンマリノGPでアロンソは3連勝ですが、それと同時にマクラーレンの「キミ・ライコネン」そしてフェラーリの「ミハエル・シューマッハ」が復調の兆しを見せたレースとなります。

アロンソは続く第5戦母国スペインGPでも2位表彰台を獲得し、開幕5戦で3勝、5回の表彰台に上ります。その後のシーズンではサンマリノGPで復調してきたライコネンやシューマッハの追い上げを受けますが、ヨーロッパGP、フランスGP、ドイツGP、中国GPと優勝4回、それを含めた表彰台が10回と抜きんでた速さを見せ、24歳58日という最年少記録で世界王者に輝きます。同時にルノーも参戦以来初となるコンストラクターチャンピオンとなります。

2006年。早くも2007年シーズンから「マクラーレン」に移籍すると発表して臨んだ年でしたが、開幕戦バーレーンGPで優勝すると、第9戦カナダGPまでで優勝6回、2位が3回と圧倒的な強さを見せつけます。しかし後半戦に入ると、その年限りでルノーを去るということが決まっていたため、チームが自分をサポートしてくれないという不満を持つようになり、その結果第16戦中国GP終了時にはミハエル・シューマッハにポイントランキングで逆転されてしまいます。しかし第17戦日本GPで優勝し、最終戦ブラジルGPで2位を獲得。シューマッハはリタイアしたことで、アロンソの2年連続世界王者が決定します。

マクラーレンへの移籍と失敗

2007年シーズンからアロンソは「マクラーレン」へと移籍します。チームメイトはその時ルーキーであった「ルイス・ハミルトン」第2戦マレーシアGPで優勝し、それを移籍後初勝利とすると、モナコ、ヨーロッパ、イタリアGPで勝利し、第14戦のベルギーGPまで連続でポイントを獲得し続けます。しかし、マクラーレンがタイトルホルダーではなく、ルーキーのハミルトンを贔屓しているという不満を持ち、その不満が原因でチームとの関係が悪化します。その結果、第15戦日本GPではシーズンで唯一リタイアをし、3年連続の世界王者を逃します。

その後、3年契約であったマクラーレンとの契約を破棄し、古巣ルノーへ戻ることが発表されました。

ルノー時代、フェラーリ移籍

2008年シーズンからルノーに復帰しますが、マシンの戦闘力は決して高いとは言えません。それでもなんとか第15戦シンガポールGPで優勝すると、次戦日本GPでも優勝。最終戦ブラジルGPでも2位表彰台を獲得して年間ランキング5位。序盤こそマシンの戦闘力に苦しみましたが、それでもポイントを獲得するアロンソの能力の高さがうかがえるシーズンとなりました。翌年はルノーのマシンの競争力の低さに苦しみ表彰台はシンガポールGPの1度だけ。ランキングでも9位と苦しみます。

2010年、3年契約でフェラーリへ移籍し、戦えるマシンを手にしたアロンソは開幕戦、バーレーンGPで予選3位を獲得すると、決勝レースでは「セバスチャン・ベッテル」をかわしてそのままトップチェッカーを受け、フェラーリ移籍後初レースで初優勝とシーズンをいい形で始めることに成功します。
その後も母国スペインGPでの2位表彰台や、ドイツGP、イタリアGP、シンガポールGP、韓国GPと4つの優勝と合わせて年間で表彰台が10回と移籍後1年目のシーズンをいい形で過ごしましたが、ドライバーズランキングでは2位となり、そのシーズンはベッテルが世界王者に輝きます。

2011年、2012年、2013年、2014年とフェラーリで過ごすことになりました。それぞれドライバーズランキングでは4位、2位、2位、6位と高いレベルで安定した走りを見せています。しかし世界王者には手が届かず、2014年にいたってはメルセデスのマシンが高い戦闘力を発揮した一方で、フェラーリF14Tは競争力に欠け、フェラーリに移籍してきて初めてシーズンを通して優勝の無い年となってしまいます。
そのような戦闘力の低いマシンでも成績を残せるのがフェルナンド・アロンソというドライバーで、優勝こそありませんし、表彰台も2度のみでしたが着実にポイントを稼いで、ドライバーズランキング6位という結果を出すことができたのです。

マクラーレンホンダ復帰

2015年、アロンソはフェラーリとの契約を残していましたが、ホンダ製のパワーユニットを積むマクラーレンに移籍することを発表します。2007年を最後に喧嘩別れのような形で離れていましたが、アロンソがフェラーリを離れると決めた時点でレギュラーシートが空いているチームがマクラーレンしか無かったことや、マクラーレンホンダとなり、安定した走りを見せるアロンソをチームが欲したことなどから、再びマクラーレンホンダというチームで走ることになりました。

しかし、迎えた2015年シーズン。開幕前にクラッシュ事故を起こし開幕戦オーストラリアGPを欠場してしまいます。第2戦マレーシアGPから復帰したものの、2015年のマシン「MP4-30」はお世辞にも速いマシンとは言えませんでした。まずホンダのパワーユニット自体にパワーが不足していたこと、そしてマクラーレンのシャシー自体も、ホンダのパワーユニットと相性があまり良くなかったという話もあります。そのようなことが原因で、アロンソ、そしてチームメイトのバトン共々苦しいシーズンを過ごすことになりました。しかしそのような中でも、イギリスGPでは9位入賞。ハンガリーGPでは5位入賞と、アロンソの「速いマシンでなくともいいレースができる」という良い部分は出すことができました。

しかしそれでも基本的な速さが足りなかったのでしょう。アロンソの不満はよりによってホンダの母国であるここ日本GPで爆発してしまいます。12番グリッドからスタートした決勝でしたが、アロンソのドライビング技術もあり、一時は入賞圏内に順位を上げます。しかし、レース中盤に「トロロッソレーシング」の「マックス・フェルスタッペン」にコーナー外側からオーバーテイクされ、その後チームラジオに向けて。
「GP2だ!GP2のエンジンだよ!」と不満を叫びました。自分のドライビングでなんとか順位を上げて行っても、他のチームにストレートで簡単にオーバーテイクされてしまう。それがフェラーリやメルセデスといった明らかな力の差を感じるものであれば別なのでしょうが、トロロッソや、ロータス。今まで自分の後ろを走っていたドライバー達に軽々とかわされていくことに我慢できなくなったのだと思います。結果としては11位と、アロンソの力でどうにかその順位を獲得できたというレースでした。
またレース後にはチームメイトのジェンソン・バトンが「鎧も刀も持たないサムライのように戦わなければならなかった」と発言するなど、母国であるホンダエンジンへの不満をレギュラーシートに座る二人のドライバーが嘆くという不名誉なレースとなってしまいます。
2015年シーズン、アロンソは年間を通して入賞がイギリス、ハンガリーの2回のみ、リタイアが7回(完走扱いを含めると8回)というまったくもって不満の残るシーズンとなってしまいました。

2016年、開幕戦オーストラリアGPでアロンソは大クラッシュを起こしてしまいます。セクター1の第3コーナー。ハースの「エステバン・グティエレス」の後方に付けたアロンソはアウトから仕掛けます。しかしグティエレスのブレーキングがアロンソが思っていたよりも早く、そのままアロンソのマシンは右フロント部でグティエレスの左リア部へ衝突。右フロントのタイヤを弾き飛ばし、そのまま壁に激突。両フロントタイヤを失いながらグラベルへと突っ込んで行ってしまいます。
マシンは原型をとどめていなかったのですが、なんとかアロンソは自力で脱出。その後肋骨を骨折していることがわかり、次戦バーレーンGPは欠場となってしまいました。

戦績

2001年 ミナルディ  最高決勝順位10位 ドライバーズランキング23位
2002年 
2003年 ルノー    最高決勝順位1位 ドライバーズランキング6位
2004年        最高決勝順位2位 ドライバーズランキング4位
2005年        最高決勝順位1位 ドライバーズランキング1位
2006年        最高決勝順位1位 ドライバーズランキング1位
2007年 マクラーレン 最高決勝順位1位 ドライバーズランキング3位
2008年 ルノー    最高決勝順位1位 ドライバーズランキング5位
2009年        最高決勝順位3位 ドライバーズランキング9位
2010年 フェラーリ  最高決勝順位1位 ドライバーズランキング2位
2011年        最高決勝順位1位 ドライバーズランキング4位
2012年        最高決勝順位1位 ドライバーズランキング2位
2013年        最高決勝順位1位 ドライバーズランキング2位
2014年        最高決勝順位2位 ドライバーズランキング6位
2015年 マクラーレン 最高決勝順位5位 ドライバーズランキング17位
2016年        最高決勝順位5位(2016年6月29日現在)

この戦績を見ると、非常に高いレベルで安定していることがわかります。F1ドライバーが「最速」を決めるアンケートでは、現役最強のドライバーにアロンソが選ばれたことからも、彼がどれだけ優れたドライバーなのかがわかります。ルノー在籍時の2009年や、フェラーリの2014年など、戦闘力の劣るマシンでも上位を狙える技術がアロンソの魅力であるが、2015年、16年のマクラーレンホンダに移籍してからの成績だけを見ると、どれだけマクラーレンホンダと二人のレギュラードライバーが苦労しているかがわかります。

逆を言えば、マクラーレンホンダは「フェルナンド・アロンソ」と「ジェンソン・バトン」という二人の優れたドライバーを獲得できたことで、今の苦しい状況が最悪の状況にならずに済んだ。ともいえるでしょう。

性格

アロンソは基本的には明るい性格で、優しい一面もあります。2016年シーズンの開幕戦オーストラリアGPで大クラッシュし、ドクターストップがかかった次戦バーレーンGPでは、アロンソの代わりにリザーブドライバーであった「ストフェル・バンドーン」が出場することとなり、アロンソはバンドーンに付っきりで指南をしたと言います。また2011年3月11日の大震災時には、「日本で起きた悲劇のことを考えると、F1の世界でウイングがどうした、エンジンはどうだった、なんてことの重要度はどうでもよくなる」とコメントするなど親日家の面も持ち合わせています。

しかし、レースになると荒々しい部分が露呈することがあり、2015年の日本GPでの「GP2のエンジンかよ!」という言葉もそうですが、マクラーレンに所属していた2007年にはチームメイトであった「ルイス・ハミルトン」の予選タイムアタックを妨害したという事件もあります。ピットに入って最終タイムアタックを待っていたアロンソとハミルトンでしたが、ピットから「GO!」という声がかかっても発進せず、その無駄な10秒間のせいでハミルトンは最終アタックができなかったのです。
こういった、いい意味で言えば負けず嫌いで、常に自分がチームの中心。つまりファーストドライバーで優遇されていなければ満足できないといった一面があることは事実です。

世界最強ドライバーの収入は?

「現役最強」と言われるアロンソですが、2015年、16年シーズンとチームは低迷し自らのドライバーズランキングも下から数えた方が早いという状況です。しかし、2015年の年俸ランキングではマクラーレンホンダの不調ぶりとは裏腹に、その厚い待遇の状況がうかがえます。
アロンソの年俸は3,500万ユーロ、日本円にして約40億円です。ちなみに2位がフェラーリのセバスチャン・ベッテルで2,800万ユーロ、日本円にして約31億円ですからそこに大きな差があることがわかります。チームメイトのジェンソン・バトンも1,000万ユーロ、11億円で6位。チームの状況とは関係なく、やはり二人は元世界王者。その辺りが評価されているのかもしれません

アロンソの彼女は?

アロンソは2006年に歌手の「ラクエル・デル・ロサリオ」と結婚しています。が、2011年に離婚。友人関係はこのまま続くという声明を出していました。2012年にはロシア人モデルの「ダーシャ・カプスティナ」、最近ではスペインの人気司会者「ララ・アルバレス」、ミスユニバースジャパンファイナリストの「高田知美」と数々の噂があります。
これはジェンソン・バトンにも言えることですが、何十億という収入のあるF1ドライバーという仕事がら、美女が彼らを放っておくわけがありません。

世界最強ドライバーは親日家?

2011年の東日本大震災の時のコメントを発表したということを前述しましたが、他にもアロンソが日本好きであることは彼のインスタグラムを見てもわかります。上の写真は東京国立博物館に訪れた時の写真で、彼が「サムライ」を大好きであることは有名な話です。

この写真も彼のインスタグラムに投稿されたもので、日本GPの時にアロンソの名前入りの横断幕と彼の母国であるスペインの国旗、そして出身地であるアストゥリアス州の州旗を持って応援にかけつけた日本のファンを撮影したもので、アロンソも「日本は最高の国だ」とコメントしています。
彼の背中には「サムライ」のタトゥーが入っていると言われ、そのことからもアロンソがどれだけ日本を愛しているかが伝わります。

まとめ

「世界最強」その言葉の裏には、「○○には敵わないけどね」だとか「ベストな状態ならね」という言葉が付きまとうと私は思います。現役でないドライバーで、「速い」と言われたり「強い」と言われたドライバーはたくさんいます。「ミハエル・シューマッハ」「アラン・プロスト」「アイルトン・セナ」「ミカ・ハッキネン」「ナイジェル・マンセル」ここだけでは語れないほどのドライバーが伝説となり、また新しい世代のドライバーが出てくるのです。
前述したドライバーたちは間違いなく、現役の時は「強かった」のです。そして彼らの時代が終わり、アロンソの時代が訪れました。2005年、2006年と連覇を経験したアロンソは間違いなく「世界最強」でしょう。しかし近年では「セバスチャン・ベッテル」「ルイス・ハミルトン」など若手のドライバーたちがチャンピオンに輝くことが増えました。
アロンソがこれから、「あの頃は速かった」と言われてしまうのかどうかはまだわかりません。できればその言葉はまだ聞きたくないと思いますし、世界王者にアロンソが返り咲く瞬間を見たいと少なくとも私は思っています。そのためにマクラーレンホンダはいいマシンを与えなければなりません。アロンソは今年、ポジティブな発言を続けています。

「2016年シーズンのタイトルを、マクラーレンはまだあきらめてはいけない」
「2017年にはチャンピオンを狙える」
「マクラーレンにはメルセデスを倒す力がある」

これが社交辞令のようなものとは思いたくないですし、本心だと思いたいですが、アロンソもマクラーレンホンダのマシンづくりに希望や未来を感じていることは確かだと思います。まだ2016年シーズンは中盤。アロンソ、バトンの二枚看板を武器に、マクラーレンホンダには「良い意味で」大暴れしてほしいと思います。

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