【フォルクスワーゲン サンタナ】名車を生み出した混血児セダン!中古車情報もお届け!

1980年代のフォルクスワーゲンを代表するクルマの1台が、サンタナです。日本でも日産自動車によるノックダウン生産が行われ、一時代を築き上げました。後に日産がある名車をつくり上げるきっかけにもなったといわれるサンタナとは、どういうクルマだったのでしょうか。

サンタナが生まれるまで

1960年代のフォルクスワーゲンは、1930年代に設計されたタイプⅠ(いわゆるビートル)が依然主力車種であり、後継車の開発が急務でした。K70と呼ばれる水冷エンジンのFF車も存在していましたが、市場にはまったく受け入れられないまま終わってしまいます。

出典:http://automuseum.volkswagen.de/en/the-cars/the-new-era-generation-golf.html

そこで企画されたのが、パサートです。1973年に発売されたこのクルマは、ジョルジェット・ジウジアーロによるファストバックスタイルのボディデザインが特徴で、アウディ 80とプラットフォームを共有するものでした。パサートはフォルクスワーゲンの目論見通り同社の主力車種の1台となり、ゴルフと人気を二分する存在にまで成長します。日本でもヤナセが輸入を行い、販売していました。

日本で生産されたサンタナ

こうしてメインステージに躍り出たパサートは、1980年に2代目へと進化を遂げます。初代とは異なり3ドアモデルが消滅、代わりに5ドアハッチバックとワゴンモデルであるヴァリアントの2タイプとなりました。この2代目パサートの4ドアセダン版として開発されたのが、サンタナだったのです。このサンタナも2代目パサート同様、2代目アウディ 80と多くの部品を共用していました。

このサンタナは、日本でも生産されていました。1984年、日産自動車は同社の座間工場にてサンタナのノックダウン生産を開始します。

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当時のTVCM。「ロマンティック街道から」というコピーとともに、ドイツの道が鍛え上げたクルマであることを強調したものとなっています。

サンタナ日本生産の背景

これには当時の日産が、国外展開戦略に非常に積極的だったことが背景としてあります。時の日産自動車社長であった石原俊氏は、フォルクスワーゲンとの前面提携を切望しており、その足がかりとすべくサンタナの製造や販売をフォルクスワーゲンに提案します。1981年に大和証券の仲介により、日産によるサンタナのノックダウン生産の契約は成立します。しかし当のフォルクスワーゲン側の対応は冷ややかなもので、それ以上の日産とのビジネスは積極的には望まないスタンスだったのです。

こうして販売が始まった日産製サンタナですが、当初フォルクスワーゲンと合意を交わした月産4,000〜5,000台という数字は果たすことが出来ず、結局生産を終了した1991年までに50,000台程度が販売されたにとどまりました。これにより、両社の関係は後退してしまいます。

その後日産は3代目パサートを輸入販売しますが、こちらも不調に終わります。そしてフォルクスワーゲンはトヨタ自動車と手を組むことになり、日本国内での販売網を広げていったのです。

サンタナと「901運動」

なかなか上手くいかなかったかのように見える日産によるサンタナの生産ですが、当時の日産としては収穫がとても大きいといえる見方もあります。というのも、1980年代の日産には「901運動」と呼ばれる社内プロジェクトがあり、これは「1990年代までに技術の世界一を目指す」という、日産のクルマづくりにおける一大決心でした。この頃の日本車の技術的ベンチマークは、メルセデス ベンツやBMWといった欧州の名だたるメーカーのクルマたちで、国内メーカー各社とも追いつけ追い越せという機運が高まっていました。

そんな中、日産はフォルクスワーゲンと手を組むことにより、欧州のクルマづくりのノウハウを1から学んでいきます。こうして手に入れた財産は、後に生まれるさまざまな日産車に活かされていくことになります。その集大成ともいえるクルマが、初代プリメーラです。

出典:http://www.carsensor.net/catalog/nissan/primera/

この初代プリメーラは欧州での販売も念頭に置かれたモデルで、901運動の成果ともいえるフロントマルチリンク式サスペンションによるハンドリングの評価は上々、欧州車を超えたとも評されました。見た目の豪華さを競うのではなく、本質的なクルマづくりを高らかに謳ったそのパッケージングは、多くのクルマ好きの心をとらえました。日産がサンタナを生産していなければ、生まれてこなかったモデルといえるでしょう。

海外でも生産されたサンタナ

日本では日産製のサンタナが最も有名ですが、国外を見てもサンタナは存在します。
最も大きなマーケットは、中国です。フォルクスワーゲンと上海汽車の合弁会社、フォルクスワーゲン上海によって長期間生産され「サンタナ 2000」や「サンタナ 3000」という独自モデルも販売されていました(車名の数字は、排気量を表すものではありません)。
2012年には、2代目へと進化。中国専売モデルとして、一定の地位を築いています。

出典:http://www.barbuza.com/edit.php?image=http://cdn.johnywheels.com/2016/02/26/vwsantana-l-927b30308dd4d097.jpg&title=VW%20Santana&tag=Volkswagen%20Santana%20for%20China

次に大きな市場は、南米です。ブラジルのフォルクスワーゲンの現地法人である「フォルクスワーゲン・ド・ブラジル」にて、初代パサートの後継車種として生産が開始されます。従来の4ドアに加え2ドアセダンもラインナップされていたのが特徴で、1991年には外観のみを3代目パサートに似せた「ニュー サンタナ」が登場、2006年まで生産されていました。

出典:http://www.thesamba.com/vw/archives/lit/1999santana_brazil.php

また南米では、フォードからサンタナをベースにした「フォード ヴェルサイユ」というクルマも1995年まで販売されていました。

出典:http://carnutter.tumblr.com/post/84331988312/another-autolatina-model-share-here-this-time

サンタナの中古車は、今どれくらいある?

2016年6月現在、大手中古車検索サイトに登録されているサンタナは、わずかに1台。もともと日本では売れなかった部類のクルマになるため、良質な中古車を探すのは至難の業となります。フォルクスワーゲン専門店でも扱われることは稀な存在であるため、本当に欲しい方は逐一情報をネットなどでチェックする必要があります。またアフターサービスについても、現在のフォルクスワーゲンのディーラーにて受け入れてもらえるかどうか事前によく確認することが大事です。

おわりに

当初は貿易摩擦対策という名目で日本で生産・販売されていたフォルクスワーゲン サンタナ。販売面では確かに苦戦しましたが、日産には大いなる財産を残していきました。
現在はルノーとアライアンスを組む日産ですが、初代プリメーラのような鮮烈な印象を持つクルマを再び世に送り出してほしいものです。