ルパンが愛車に選んだあの車 フィアット500ってどうなの?

子どもの頃大好きだったアニメ“ルパン三世“。当初は赤いジャケットを着て、メルセデスSSK(エンジンはフェラーリだったそうです)に乗っていましたが、2期目からは青いジャケットを羽織り、フィアット500を乗り回していました。映画カリオストロの城で定着した感がありますね。世紀の大泥棒が選んだこの車をすみからすみまで大解剖!

まずはフィアットについてお勉強

社名のFIATとはFabbrica Italiana Automobili Torinoの頭文字を取って並べたものです。“トリノのイタリア自動車製造所”という意味ですね。トリノ市内のリンゴットと呼ばれる地区に本社がありますので、フィアット本社工場=リンゴットという表現をされることがあります。
“フィアット、陸に、海に、空に”というスローガンのもとに、自動車だけでなく、鉄道車両や船舶、航空機の製造など、さまざまな産業分野全般を掌握しています。さらに産業だけでなく、出版業や金融等にも進出しています。

実はイタリアの主

第二次世界大戦後に、ランチア、フェラーリ、アルファ・ロメオ、マセラティ、アウトビアンキ、アバルトなど国内の自動車メーカーなどを次々と傘下に収め、イタリア最大の自動車メーカーとなりました。
さらに商用車部門としてイヴェコ、電装部品部門としてマニエッティ・マレリなども傘下に収めています。
現在のフィアット本体では比較的小型の大衆向け乗用車を生産していて、スポーツカーや高級車は傘下のメーカーが生産しています。

長い歴史をなるべく短く

フィアットは、ジョヴァンニ・アニェッリ他数人の実業家の出資によって、1899年にトリノで創業されました。モータリゼーションが始まる40年代後半には、フォーミュラーレースにも参戦してアルファ・ロメオやブガッティなどを追い回していました。「8V」という高性能な高級GTカーを発表し、数々の先進的な設計を次々と実用化・量産化しています。第2次世界大戦前から国外進出に意欲的に取り組み、1934年フランスにシムカを設立、1932年にドイツのNSの自動車部門を買収して「NSUフィアット」を設立。戦後も1950年にスペインでセアト(現在はフォルクスワーゲングループ)を設立し、1968年にはトルコでトファシュを設立しています。
冷戦時代でもその意欲は衰えをもせることなく東欧圏へも進出しています。1970年にソビエト連邦にプラントを輸出し、AvtoVAZが「ジグリ(輸出名『ラーダ』)」の生産を開始、ポーランド(ポルスキ・フィアット)やユーゴスラビア(ザスタバ)にも進出しました。さらに南アメリカではアルゼンチンに進出した他、1970年代にはブラジルでも生産を始めています。

経営不振

石油ショックとその後の慢性的な労働争議により、フィアットはひどい経営不振に陥ります。1974年から1978年まで新型車の発表ができずにいました。リビアの元首であるカダフィ大佐からの融資のおかげで、後の大ヒットモデルとなるパンダとウーノの販売にこぎ着けることができました。この成功で窮地を脱したフィアットは、エンツォ・フェラーリ亡き後のフェラーリを傘下におさめます。しかもレイオフ(一時解雇)した従業員を呼び戻し、経営不振のルノーを買収する噂まで流れました。実際にフランスでは、エイプリルフールに“ルノーがフィアットに買収される”というウソのニュースが流されたほどでした。
1990年代にはブラーボ/ブラーバと、ジョルジェット・ジウジアーロのデザインした初代プントがヨーロッパで大ヒット、かろうじてその屋台骨を支えましたがその後も低迷は続いていました。
2000年からは、自動車部門でゼネラルモーターズと提携していましたが、2005年にはゼネラルモーターズ側から一方的に提携を解消されます。おかげで違約金15.5億ユーロをゼネラルモーターズから受け取ることができました。

仕切り直し

その後は、フェラーリとマセラティの経営を立て直したルカ・コルデーロ・ディ・モンテゼーモロ会長とセルジオ・マルキオンネCEOのもと、経営の建て直しがはじまります。
そんな流れの中でも創業者一族による経営が根本に活きていて、2005年にはジャンニ・アニェッリの孫のジョン・エルカーンがフィアットの取締役に、その弟のラポ・エルカーンがブランドマーケティング担当部長に就任します。彼らは過去に使用していたロゴマークを復活させ、ロゴを入れたアパレルなどを展開して世界的に大ヒットさせました。
また、モンテゼーモロ会長も意欲的で、2005年に相次いで3つの新型車を発表しています。新Dセグメントモデルとしてかつての名車クロマを復活させました。これは、ワゴン風の5ドアボディを採用しています。
続いて第3先代となるプント、グランデプントを発表しました。実際に全長が4mを超えるグランデ(大きい)サイズですが、それ以上に大きな命運がかっていると言われました。実際に、2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になり、フィアット建て直しのシンボルとなったのです。
さらに12月11日には、スズキとの共同開発による小型クロスオーバーSUVのセディチを発表しました。いずれもジョルジェット・ジウジアーロとの協力でデザインされました。

※セディッチの名前の由来は4輪駆動車を4×4と呼ぶことから、“じゃぁ、16だね”と言うことでセディッチ(イタリア語で16の意味)になったそうです。このあたりのユーモアがファンにはたまらないのでしょうね。

復活

デビュー以来根強い人気に支えられてきたパンダも、新しい安全基準に対応できず、生産終了を迎えますが、後継であるニューパンダが2004年度のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを受賞しました。
積極的な新車攻勢とブランドイメージの復活を受けて販売台数が増加、2005年11月には単月黒字を計上し、その後も単月黒字を連続して達成しました。
他にもクロマは予想を上回る販売台数を得られ、グランデプントが2006年1月のヨーロッパ市場における販売台数1位になりました。ルノーやプジョーなどのライバルが前年比割れになる中、前年比増になるなど長年の低迷から完全に復活したと評され、フィアット自身も復活宣言を行いました。
2007年には往年のヒット作である「500」の新型がデビューしました。同車はヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーを獲得しています。
さらにはアバルトのブランドも復活しています。

そして現在

フィアットの好調は続き、2009年1月にはサーベラス・キャピタル・マネジメント傘下で経営再建を目指しているクライスラーに資本参加し、35%の株式を取得する資本提携合意を発表しました北アメリカ市場で燃費性能の高いコンパクトカーを生産するための技術などを提供すると同時に、北アメリカ市場以外でのクライスラー車の販売でも協力することを発表しました。2014年1月には、クライスラーを完全子会社化すると発表、同年10月12日に合併して新たに設立された持株会社「フィアット・クライスラー」の傘下にフィアットとクライスラー両社が置かれる企業形態となりました。

フィアット500という車

出典:https://ja.wikipedia.org/

これじゃな~い!って声が聞こえてきそうですね。でも、これがフィアット500なんです。みなさんがご存知のフィアット500はもう少し後でお話しますね。
初代フィアット500は、1936年に発表された2人乗りの超小型車です。とても人気があったロングセラーモデルで、20年以上、1955年まで製造されました。
500Aにはじまり、その改良版及び派生モデルの500B・500Cがあります。小型車ではありますが、当時としては高度なメカニズムを多数取り入れた革新的な車で、戦前・戦後を通じて大成功を収めたのです。系列車は総計約60万台が生産されました。
初代フィアット500は、“トポリーノ”の愛称で呼ばれました。トポリーノとは、“ハツカネズミ”の意味です。その小柄なボディと小さなエンジンで機敏に走り回るさまと、丸みのあるボンネット脇のやや高めの位置に配置されたヘッドライトなど、愛嬌ある外観から名付けられたニックネームです。

出生の秘密

1932年に発表した1,000cc級の小型車“508バリッラ“の販売が好調だったのですが、当時のフィアット総帥ジョヴァンニ・アニェッリは大衆向け自動車市場のさらなる開拓を目論んで、バリッラよりも小型の乗用車を市場に送り出す計画をたてました。
開発に当たったのは、元航空機技術者のアントニオ・フェッシアを中心とするチームで、この中に後のフィアット主任技術者として数々の傑作車を開発することになるダンテ・ジアコーサがいました。
すでにバリッラで4輪油圧ブレーキと鋼製ボディの技術を習得していました。そして、1935年に発売された6気筒エンジンの中級車“フィアット1500”では、当時としては前衛的な空力流線型スタイルの効果による1クラス上の旧型2L車を凌ぐ走行性能を確保することに成功していました。さらに同車で前輪独立懸架の採用もクリアしていました。
それらの先行成果は、新しいミニマムカーに惜しげなく応用されました。こうして開発された初代500は、5,000リラという激安価格での販売計画だったにもかかわらず、高度なメカニズムを詰め込んだ結果製造コストは跳ね上がり、実際の販売価格は8,900リラになってしまいました。
それでも従来の自動車に比べれば廉価だったのでイタリアの大衆からは歓迎され、派生型の商用モデルの展開も手伝って当時の「国民車」として大成功を収めました。

映画『ローマの休日』では、オードリー・ヘプバーン扮するヒロインの王女を撮影しようとするカメラマンの足車としてトポリーノが登場します。主人公の新聞記者のベスパと共にローマの街を走り回りますが、カメラマンと新聞記者が乗車した前席の後に王女が立ち乗りするシーンがあります。これは二人乗りだったトポリーノの乗り方として、イタリアではポピュラーだったものを再現しています。

実は2代目

お待たせしました。“これこれ~!”って言う声が聞こえてきそうです。“ん?何か違わない??”って思ってる人は20代ですね?あなたが知ってるフィアット500はもう少し後で紹介しますのでお待ちください。
話を戻しますね。みなさんがご存知の、そしてルパンの愛車にもなったこのフィアット500は、実は2代目なのです。正式名称は“NUOVA 500”です。NUOVAはイタリア語で新しい(英語のNEW)ですので、紛れもなく2代目であることを物語っています。愛称は皆さんご存知の“チンクチェント“ですね。これはイタリア語で500を意味しています。トポリーノと区別するためにそう呼ばれています。

出生の秘密

出典:https://ja.wikipedia.org/

FIAT600

実はこのチンクチェント、純粋なトポリーノの後継車ではありませんでした。トポリーノの後継車として開発されたのは“セイチェント”(600の意味)でした。開発はトポリーノと同じくジアコーサです。セイチェントはトポリーノと同等の全長ですが、リアエンジン・リアドライブ方式の採用でスペース効率を大幅改善し、完全な4人乗り乗用車として設計されました。
ジアコーサは600の開発にあたり「4人乗り車の半分の費用で2人乗り車を作ることはできない(従って4人乗り車の方がユーザーの便益が大きい)」という考えから、4人乗りにこだわったようです。この実現のためにドライブシャフトを廃した駆動方式を探り、当時前輪駆動車実現には等速ジョイントの実用性が不十分だったことから、より現実的なリアエンジン方式を採用したのです。
セイチェントはトポリーノに劣らない人気車種となりましたが、フィアットはこの成功に満足しませんでした。1950年代当時のイタリアでは、航空機メーカーや鋼管メーカーが軍需を失った戦後の代替生産としてこぞってスクーター市場に進出していました。事実、自動車を買えない大衆の足として大きな成功を収めていました。フィアットはこれらスクーターに代わる乗り物として、600よりさらに安価な乗用車を投入しようと考えたのです。
このような背景から、チンクチェントは基本的にセイチェントを一回り縮小したモデルとして設計されています。セイチェントよりも窮屈ですが、4人乗りとして成立していまいした。2人乗りだったことで競合車種に顧客を取られてしまったトポリーノ時代の反省点と、スクーターとの大きな差別化を図るという点から4人乗りは必須として実現されたのです。
ジアコーサは、頭では理解していたものの、さらなる小型車の開発にはあまり気乗りはしていなかったようです。セイチェントこそが自身最良の回答であり、それ以下の構成では走行性能における進化が見込めないと考えていたのでした。それでも度重なるフィアット側の説得に折れる形で設計に着手しましたが、エンジンを空冷直列2気筒とすることには最後まで抵抗を続けました。実際にはコストや開発期間の関係からそれに変わるエンジンの調達が難しく、最終的にはジアコーサもこの条件を飲まざるをえなくなりました。
大々的なキャンペーンと廉価な価格設定から、ジアコーサの憂いをよそに販売は非常に好調でした。いつしかエンジン形式の変更の話は立ち消えとなりました。ジアコーサは生前、日本の自動車趣味誌のインタビューに対し、チンクチェントが多くの人々に愛されたことに感謝しながらも、「あのエンジンを許したことだけには悔いが残る」と語っています。

発売初期の1957年当時は、スクーターを高価下取りするという荒業の販売施策でスクーターユーザーの乗り換えを促し、それまで2輪車に乗っていたイタリアの大衆を4輪車に乗り換えさせたそうです。

派生モデルたち

出典:http://www.omniauto.it/f

2代目(NUOVA)には、FIAT 500 Giardinetta(ジャルニディエラ)というエステートバンがあります。エンジンを水平に寝かせることで、その上を荷室にしてあります。リアエンジン車でこのようなボンネットスタイルのバンないしエステートモデルは非常に珍しく、世界的にも他にはフォルクスワーゲン・タイプ3や初代スバルレックス・バンくらいでしょう。
大衆車だからこその発想で、4人乗り+アルファの性格が受けていたようです。

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1959年 排気量を499.5ccにまで上げ21.5PSに向上させたスポーツモデルのスポルトが登場しました。
1960年 スポルトのエンジンを17.5PSにデチューンしたマイナーチェンジ版の500Dを発売。
1965年 500Fを発売。新しい交通規則に対応するため、これまでの前開きドアを廃止し後ろ開きドアになりました。これに伴い大幅に手が加えられ、フロントウィンドウの大型化・キャンバストップ開閉レバーを変更・キャンバストップ後方の金属屋根部を一体成型に変更・テールランプの大型化・ドライブシャフトのジョイントを強化・クラッチをコイルスプリング式からダイアフラムスプリング式に変更・ボディパネルの変更。
このような大幅変更だったため、D以前の前期型とF以降の後期型とに区別されています。
1968年 デラックスモデルでバンパーを補強するフロントバーが特徴の500Lを発売。

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FIAT126

1972年 低価格版の500Rを発売しました。同時に500F、500Lは生産を終了し、500Rのみのラインナップとなりました。
チンクチェントの後継車種126が発売されましたが、500Rは下位モデルとして販売が続けられました。500Rは126と同じエンジンを搭載しています。基本的には500F、500Lが搭載していたエンジンと変わらないものの排気量は594ccへ拡大され、出力もネット値で18PSから23PSへなっています。内装についても500Fと同様にシンプルになり、リアシートは固定式の取り外せないものでした。
車体構造に変化はありませんが、唯一フロントエンブレムがFIATと銀色の文字のみになり、トレードマークであったヒゲのようなフロントグリル風エンブレムはなくなってしまいました。
最終的に500Rは30万台以上が生産されました。

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NUOVA 500をベースとしてエンジンやシャシーに改良を施した高性能版が、販売当時アバルトから複数種リリースされています。
写真はチンクチェントベースのABARTH車、FIAT595ABARTHです。

500じゃないのに“チンクチェント”

このエンブレム、読めますか?“Cinquecento”と書いてありますよね。実はこの四角い車もチンクチェントなんです。トポリーノやNUOVA500にはおよそ似ていませんね。この車を3代目と呼ばないのには理由があるんです。
FF式の小型車チンクェチェント (Cinquecento) はポーランド生まれです。1992年にFSMがイタリア本国FIATの完全子会社になったことを受けて、ヨーロッパ小型戦略車として1998年まで生産されました。
この読みは大当たりで、イタリアにおいてもパンダの下を担うエントリーカーとして大人気を博しました。名称はイタリア語読みのCinquecentoとアルファベットで綴られています。
エクステリアデザインは現代的な2ボックスタイプのコンパクトな直線基調となり、トポリーノやNUOVA500とは異なるデザインとなっています。
搭載されるエンジンの排気量は当初0.7Lと0.9Lで、その後1.1L版が追加されました。

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フィアットはこのチンクェチェントをベースにしてチンクェチェント・トロフェオという名称の競技車両を製作、イタリア国内のラリー選手権を中心に参戦していました。この車両はNUOVA 500時代からスポーツ車両を手掛けていたアバルトが開発を担当しています。

そして3代目

大変お待たせしました。“これこれ~”ってかんじですよね。今、フィアット500と言えばこいつのことでしょう。

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ん?うちの子とちょっと違うみたい...というあなたは、素晴らしい眼力の持ち主です。実はこの写真、現在販売されているFIAT500ではないんです。
2004年の第74回ジュネーヴ・モーターショーで初公開されたトレピウーノTrepiúnoという車です。
"トレピウーノTrepiúno"というのはトレ・ピ・ウーノtre piú unoを縮めた言葉で、イタリア語で“3足す1“の意味です。これは、スポーツカーなどでしばしば見られるおまけ程度の後部座席を指して2+2(本来は2人乗り+緊急2人分)という配置の変形であることのようです。助手席のレッグスペースの部品をコンパクト化して高性能のより薄いシートを採用することにより、大人サイズのフル後部座席を設けられるレベルに助手席を前進させることができました(これが3tre)。運転席の後ろは小さめな席になる(これが+1 piú uno)という意味のようです。

言うまでもありませんが、このトレピウーノをベースに3代目FIAT500がつくられました。

新生FIAT500

トレピウーノの発表から3年、2007年にイタリアを始めとするヨーロッパ各国で販売が開始され、日本では2008年3月15日から販売が開始されました。先代、NUOVA500の生誕からちょうど50年になるこのタイミングを狙ったみたいですね。
エクステリアは NUOVA 500 をイメージさせるような丸みのあるボディ。小さくつぶらなヘッドランプや軽くせり出したフロント周り、インテリアのデザインもメーターレイアウトなどに NUOVA 500 の雰囲気をうまく再現しています。
フォルクスワーゲン・ニュービートルや、BMWによるミニ、さらにはフォード・マスタングなどと同様の“ヘリテイジライン“や“リビングレジェンド“など、日本ではレトロ調と呼ばれる手法です。
日本では前席2名、後席2名の4名乗車とされ、後席シートは分割可倒式で185Lから550Lのラゲッジルームの容量の実用性を確保しています。
最小回転半径はエンジンバリエーションによって異なり、0.9L・1.2Lは4.7m、1.4Lは5.6mです。

この車は、ヒット作がしばらくなく経営が思わしくなかったフィアットの業績回復に寄与したといわれていて、ヨーロッパだけでなく世界的なヒット作となりました。2つある生産拠点のうち9割以上を生産するポーランドティヒの工場では、2013年4月(発売から5年9ヶ月)に生産台数100万台を突破しました。

2008年ヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤー受賞。
2009ワールド・カーデザイン・オブ・ザ・イヤー受賞。

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通常のHBのほか、アバルトがチューニングを手掛けたABARTH 500やオープンモデルの500C(カブリオレ)も用意されています。500Cにはピラーを残してルーフ前端からリアウインドウ下端までソフトトップが開くセミオープンのスライディングルーフ式が採用されました。これは初代や2代目と同じ方式ですが、開閉は電動化されています。

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さらにマセラティとのコラボレーションで製作されたアバルト695エディツィオーネマセラティや、フェラーリとのコラボレーションで製作された限定版ハイパフォーマンスモデルのアバルト695トリブートフェラーリも用意されました。
エディツィオーネマセラティは500Cをベースにポルトローナフラウ社が手掛けたインテリアを採用するなどしてマセラティのイメージを色濃く反映たモデルで限定499台、トリブートフェラーリは総生産台数1696台中、152台がイギリス向け右ハンドル仕様として製作されました。日本での右ハンドル仕様の導入は未定とされていましたが、2012年3月にアバルト695トリブートフェラーリ トリブート アル ジャポーネとして新たに設定。3月24日に予約受付を開始することが発表されました。
同モデルはビアンコ フジ(パールホワイト)の外装色にブラック内装を組み合わせた専用仕様となっています。
50台限定で価格は609.5万円!

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特別仕様車も数多く設定され、外装色をピンクで仕上げた500 PINK!(日本への割り当ては50台)やディーゼルとコラボレーションした500 by DIESEL(150台)、500C by DIESEL(100台)。専用外装色と専用色ソフトトップを組み合わせ、リヤコーナーセンサーとSTART&STOPシステムを追加した500C VINTAGE(150台)、サルサにヒントを得た500 GUACAMOLE(150台)、イタリアのアパレルメーカーGucciとコラボレーションした500 by Gucci、500C by Gucci、そして500 Giardinetta、500 Pastello、500 'O Sole Mio(オーソレミオ)などがあります。

兄弟車種 FIAT500L

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車名の“L”は“Large”の意味で、500ハッチバックよりも594mm長く、153mm広く、175mm高いボディサイズです。プラットフォームは500とは異なり、同じくフィアットのプントがベースとなっています。
エンジンは当初ガソリン2種類(直列2気筒0.9L ツインエアと直列4気筒1.4L)とディーゼル1種類(直列4気筒1.3L)がラインナップされ、後に直列4気筒1.6Lディーゼルが追加されました。
この500Lにはとてもユニークな装備の車載エスプレッソマシンがついています。市販車では世界初のことです。

500Lトレッキング
2012年11月のロサンゼルスオートショーで、SUV版の500Lトレッキング (500L Trekking) が世界初公開されました。最低地上高が上げられ腰高なデザインです。専用のフロントおよびリアフェイスが与えられ、拡大されたホイールアーチとボディ側面に黒色モールディングが施されています。17インチアロイホイールとツートーン(黒色/茶色)の内装を与えられました。また、トレッキングでは6.5インチスクリーンのUconnect 6.5も選択可能です。

500Lリビング
2013年6月には3列シート7人乗り仕様の500Lリビング (500L Living) が発表されました。500Lから全長が210mm延長されて4,350mmとなり、また全高も10mm高い1,670mmとなっています。3列目のシートを倒すと、500Lよりも238リットル大きい638リットルのラゲッジスペースが現れます。パワートレーンは500Lと共通。

兄弟車種その2 FIAT500X

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500の一員となるべく、500L/500L リビング同様、500のデザインモチーフを随所に反映させているのが特徴的な外観ですね。
ジープブランドで販売されるレネゲードとは兄弟関係にあたります。
日本でも10月24日から販売されています。日本仕様は全車1.4Lマルチエアエンジンとなり、FF車のシティルック“POP STAR“、“POP STAR PLUS“は6速デュアルクラッチトランスミッション(DCT)が組み合わされます。
4WD車のオフロードルック“CROSS PLUS“には9速ATが組み合わされます。

フィアット500の中古車情報

ルパンが乗っていた名車でもあり、現行のモデルも可愛いと人気です。この車はどのくらいで手に入るのかなど興味を持った方も多くいらっしゃると思いますので是非中古車をチェックしてみてください。

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最後にまとめ

いまさら言うことではありませんが、このキュートなデザインはたまりませんね。もちろん女性に乗って欲しいのですが、アバルトモデルやトリビュートフェラーリのような男気溢れるモデルも用意されていますので、ボーイズレーサーとしてもオススメです。
オリジナルを求めるならNUOVA500の程度の良いモノを探してみましょう。トポリーノは...たぶん見つからないと思いますので諦めましょうね。